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塚野保則さんの労災申請について 労働組合での取り組みを中心に 新聞労連近畿地連調査部長 伊藤明弘(民主法律272号・2008年2月)

新聞労連近畿地連 調査部長 伊藤明弘

 塚野保則さん(享年35歳)は、報知新聞大阪本社の事業部に勤務していました。04年6月4日、徳島県内で同社が主催するキス釣り大会のため出張、現場に早朝から入って準備等をしていましたが、朝方突然くも膜下出血を発症、徳島赤十字病院に搬送されましたが、意識が戻ることなく、6月28日に死亡しました。
 その後、塚野さんの妻信子さんが05年6月28日に天満労基署に労災申請、06年3月28日に同労基署が不支給決定、同年5月29日に審査請求し、現在に至っています。

死亡時の組合の対応
 報知新聞労組大阪支部では、塚野さんが倒れた時点から、業務上の疑いが極めて濃い事件として注目、上部団体である新聞労連近畿地連に労災申請についての相談等を行っていました。そして死亡後、妻の信子さんの意向も受けるかたちで、労組主導で労災申請の準備をすることになりました。
 会社側もこの時点で労災申請を遺族に勧める意志を持っていたようですが、労組が労災関連に詳しい専門家による弁護団を結成したこと等を受け、労組の申請を見守る形になりました。

労災申請に向けた準備について
 報知新聞労組では、労災申請を決めた時点から積極的に会社への働きかけを行い、塚野さんの就労状況についての調査を進めました。具体的には、出退勤の全ての記録の確保、塚野さんの業務に関わりがあった社員等の証言、さらには主要な取引先の証言などの収集です。他にも塚野さんの業務で使っていたパソコン、ワープロ等のデータなどについても収集しました。
 しかし、最も重要な就労時間の確認について、会社資料の全面開示を実現したにもかかわらず、難航します。その一番の理由は、時間外の「打ち切り手当」が当たり前になってしまっている社の状況の中(ほとんどの新聞社が、打ち切り手当となっている)で、労使ともに労働時間の管理についてルーズだった事です。塚野さんが死亡した直前の04年1月までは、職場に備え付けの手書きの出勤簿に後日自分で出退勤時間を記入、職場の責任者が捺印するだけ、という状況でした。さすがに会社もこれでは状況把握に難があると判断したのか、同年2月からデータ処理出来る形の日報制度を導入しましたが、それでも正しい勤務状況を反映できているのかどうかは、難しい点が残りました。社に残っている資料だけでは、過労死の認定ラインとされる労働時間に達しません。
 しかし、就労の実態はというと、後述するように恒常的に土・日曜日に仕事が発生する担当業務の他に、社の周年行事や、社がもっとも力を入れる事業であるゴルフ大会の担当責任者等にも当たっており、相当な負担がかかっていました。労働時間の疎明とともに、労働の過重性にも力点を置いて訴えました。

休日就労の実態把握の困難さ
 塚野さんは死亡当時、同社の事業部で「ボーイズリーグ」を担当していました。ボーイズリーグは、全国に普及している少年野球組織で、関西だけでも200チーム以上が加盟しています。塚野さんは一人で、その200チームを越える組織の運営の補助を行っていました。
 特に3月からのシーズンに入ると、関西圏でほぼ毎週末、どこかの支部が大会を開催します。その大会のトロフィーを手配し、社旗を持って行き、開会式であいさつをする社の幹部の日程調整などをし、記事執筆のため編集記者の配置を手配します。人のやりくりがつかない時は、さらに自分で記事を書いたりもしなければならなかったようです。さらに、雨で大会が順延になると、その連絡をこれら関係先全てに、早朝からつけなければなりません。これだけの業務を、シーズン中は、ほぼ毎週していたはずだし、実際に家族も、ほとんど塚野さんは土日も休んでいないと証言しています。
 しかし、会社の出勤簿には、実際にこれらの土曜・日曜の出勤について、記載していない日が多くありました。これらの日に業務をしていたことの特定が、なかなか出来ません。実際にボーイズリーグのチームの監督さん達にも聞き取りに行くのですが、毎週のように試合があるシーズン中の日程の中で、いつ塚野さんに会ったか、という事になると、「いつも来てくれていた」「毎週どこかの大会に顔を出していたのでは」などの証言は集まりますが、日時の特定に至りません。

「支援する会」の結成

 05年6月の労災申請の後も、引き続き就労の実態を調査していましたが、さらに支援を拡げる必要を感じ、同年9月に、組合が中心となって「支援する会」を結成しました。
 結成に当たっては、今後の調査等の範囲の広さなどを考えて、労働組合だけの閉塞的な組織にせずに、取引先などにも協力していただける組織をつくろう、ということで、塚野さんの主要な担当業務であった「ボーイズリーグ」の関西の各支部を代表する監督さん達にも、呼びかけ人になってもらいました。実際に皆さん、快く呼びかけ人に名を連ねていただき、関西9支部の全ての代表の賛同を得ました。これも、塚野さんが生前、しっかりとした信頼関係を築くまで妥協せずに仕事に打ち込んでいたこと、取引先の皆さんも、塚野さんの働き方に明らかに無理があったと感じていたことの証左となっています。

署名は約5万筆
 「支援する会」の最初の取り組みとして、労災認定の誓願署名に取り組みました。ボーイズリーグでも署名を拡げて、多くの成果を集めていただいたほか、とくに塚野さんのご遺族が奮闘、塚野さんの大学時代の繋がりも含め、あらゆる伝手を駆使して署名を集められました。それに比して組合側の取り組みは、他の事例と比べて抜きん出た成果を上げるには至りませんでした。

不支給決定、「情報提供お願いビラ」の配布
 こうした署名や、度重なる申し入れも功を奏さず、労基署は06年3月に不支給決定を下しましたが、遺族はすぐ審査請求を決断します。これを受けて支援する会では、塚野さんの写真をカラーで掲載した「情報提供のお願い」ビラを3千枚印刷、ボーイズリーグ関係を中心に配布しました。
 いままでボーイズリーグの監督さんを中心に調査をしていたのですが、実際には面識のない父母の皆さんでも、例えば我が子の活躍を撮影したビデオの片隅に、塚野さんが映ってはいまいか、そういうものからでも、その日の勤務が確認できれば、という思いでした。
 監督さん達も、この取り組みに理解を示していただき、実際に父母の方々への配布を引き受けて下さいました。成果としては1件、ビデオテープの提供がありました。残念ながら死亡の1年半以上前のものであるため、有力な証拠とはならなかったかもしれませんが、試合中もあちこち動き回り、写真を撮り、試合直後に選手に話を聞きに行くなどの塚野さんの業務の様子が、画面の隅に克明に映っており、審査官に業務の状況を印象づけるのには大きな役割を果たしていると思います。

裁量労働性と成果主義への流れの中で
 以上のように、塚野さんの事件の場合、私たちから見ると明らかに長時間労働をしているのに、それが証明できないために不支給とされてしまっています。
 新聞産業の職場でも、最近編集の職場に専門業務型の裁量労働制を導入する社が、ぼちぼち出始めています。それでなくても、報知新聞の出退勤管理は異常な例では決してなく、取材先への直行・直帰(いわゆる夜討ち・朝駆け)や、記者クラブへの直行、1人支局など勤務実態の把握が困難な職場が極めて多い実態から、タイムカードはもちろん機能しないし、出退勤管理が杜撰になっている職場がほとんどです。それでも時間外手当をきちんと申請分支払う職場はまだましで、「打ち切り」になっている職場では本当に何時間残業しているのか判らないのが実情です。この状況で裁量労働制になったら、おそらく社は各社員の勤務時間管理を完全に放棄するでしょう。さらに成果主義賃金が導入され「残業が多いのは出来ない証拠」という暗黙の圧力が加われば、事態は一層悪化します。
 新聞労連が昨年実施した「組合員意識調査」では、特に残業が多い編集外勤の職場での月平均残業時間が66.6時間という結果が出ています(申告、あるいは打ち切り時間は39.2時間)。実際にもらっている残業代との乖離も問題ですが、それ以上にいざとなった時に労働時間の疎明が出来ない状況にあることが一番の問題です。実際に自分の残業時間をきちんと記録している人は少ないようで、調査の回答(記述式)も「60時間」「70時間」などの「丸まった数字」が多くなっています。
 働くものの意識の問題といっても、これだけ忙しい中で、正味の残業代という成果も期待できない中、日々自身で勤務状況を記録するには、相当の決意と努力が必要です。会社が、個々の社員の勤務実態を正確に把握し、かつ残業時間の多寡を査定に反映しないシステムを構築するよう、強く要求していく必要があります。

(民主法律272号・2008年2月)

2008/02/01