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トヨタ内野過労死事件~過労死事件の支援に取り組んで 愛知健康センター 鈴木利往(民主法律272号・2008年2月)

愛知健康センター 鈴木 利往

1.経過
 ・2002年2月9日午前4時20分頃トヨタ自動車・内野健一さん(当時30歳)は、職場で業務引き継ぎの記録中に、「致死性不整脈」を発症し死亡。
 ・2002年3月6日妻・博子さんは、健一さんの災害は労災と確信し、豊田労基署へ労災認定申請。
 ・2002年3月中旬頃、全国センターより愛知センターへ相談依頼。
 ・2002年4月上旬博子さん、愛知健康センター事務局来訪。
 ・2003年6月28日~29日大阪過労死家族の会交流会参加。
 ・2003年11月30日豊田労基署長は、十分な調査も実施しないで、労災とは認めない決定。被災1ケ月前の残業時間は約45時間しか認定せず。
 ・2003年12月22日不認定の理由の説明を聴くために豊田労基署へ赴く。田巻・水野弁護士同行
 ・2004年1月9日愛知労働局へ審査請求。
 ・2004年4月11日「内野さんの労災認定を支援する会」発足総会を、豊田市で開催。(約40名の出席)
 ・2004年5月「しんぶん赤旗」日曜版5月2日号に初めて報道される。
 ・2004年7月18日~19日大阪過労死家族の会交流会参加。
 ・2004年8月18日愛知労働局要請。
 ・2004年9月30日愛知労働局要請。
 ・2004年12月17日厚生労働省要請(佐々木憲昭議員、八田ひろ子元議員)
 ・2005年2月1日専門医福永先生意見書を、愛知労働局へ提出。
 ・2005年3月31日愛知労働局は、弁護団が準備した専門医の意見書を無視の上、「会社にいたすべての時間仕事をしてたわけではない。」と決め付け、労災とは認めない決定。裁決書を出した後、人事異動により他の部署へ転勤。
 ・2005年4月19日中央労働保険審査会に再審査請求。
 ・2005年5月29日「支援する会」第2回総会を、刈谷市・アイプラザで開催。
 ・2005年7月22日豊田労基署の労災保険不支給処分を取り消す行政訴訟を名古屋地裁へ提訴。被告は国・豊田労基署。提訴後、マスコミ記者会見。
 ・2005年7月23日~24日大阪過労死家族の会交流会参加。
 ・2005年9月21日~2007年2月28日第1回~第10回口頭弁論
 (2005・10・28第2回口頭弁論、2005・11・30第3回口頭弁論、2006・2・8第4回口頭弁論、2006・4・12第5回口頭弁論、2006・6・21第6回口頭弁論、2006・8・30第7回口頭弁論、2006・10・27第8回口頭弁論、2006・12・8第9回口頭弁論、2007・2・28第10回口頭弁論)
 ・2006年7月16日~17日大阪過労死家族の会交流会参加。
 ・2006年11月1日東京・労働保険審査会、口頭意見陳述。
 ・2006年11月3日~5日福井市・全国うたごえ祭典
 ・2007年5月25日第11回証人尋問法廷、トヨタ自動車上司2名に対し、裁判官から質問。
 ・2007年7月14日~15日大阪過労死家族の会交流会参加。
 ・2007年7月27日第12回結審法廷(名古屋地裁大法廷)。
 ・2007年11月14日「トヨタの闇」(ビジネス社、渡邉正裕・林克明著)発刊。
 ・2007年11月26日判決についてマスコミ記者会見。
 ・2007年11月30日名古屋地裁、勝利判決。集会後、愛知労働局・名古屋駅前トヨタ自動車名古屋支店へ、「控訴するな!」要請。
 ・2007年12月1日「控訴するな」ファックス。(舛添厚労大臣、厚労省、愛知労働局、豊田労基署の4カ所宛)
 ・2007年12月3日午前豊田労基署要請、午後トヨタ自動車要請。トヨタ労組要請。
 ・2007年12月5日厚労省要請。午後、外国特派員記者会見。ATU(全トヨタユニオン)若月執行委員長も参加。世界的にニュースが流れる。
 ・2007年12月9日毎日放送「映像2007」を放映。
 ・2007年12月10日「トヨタ世界一の光と影」(いそっぷ社、岡清彦著)
 ・2007年12月11日小池参議委員、厚生労働委員会にて、トヨタ自動車過労死地裁判決について「控訴しないように。」と質問。
 ・2007・12・14国・豊田労基署、控訴断念。判決確定。
 ・2007・12・20水野法律事務所にて豊田労基署と話し合い。(労基署は、判決で認定された残業時間106時間を年金基礎額に算定せず、45時間しか反映しないで算出しようとしていることが判明。)
 ・2007年12月25日トヨタ自動車渡邉社長、名古屋にて記者会見。記者会見時に、マスコミ記者から判決について質問。(内野さんが、マスコミ記者に質問してもらうようにメールで依頼)渡邉社長は、「国から指導があれば」と答える。
 ・2007年12月27日愛知労働局要請
 ・2007年12月28日豊田労基署要請
 ・2008年1月9日舛添厚労大臣と面会(残業時間106時間を遺族年金算定基礎とするように要請)

2.「支援する会」の結成と活動
 ①働く者のいのちと健康をまもる全国センターへのメール相談から愛知働く者のいのちと健康を守るセンターへ相談依頼。(インターネット検索によるヒット)トヨタ労組へ協力要請するも・・・。
 ②ご主人の頑張りを認めたい一心の、計り知れない博子さんの努力・詳細な調査。申請後の提出資料についての愛知健康センターとのメールでのやりとり。(全国センター発行の、過労死認定基準についての「検討会議報告」の活用)
 ③博子さんの、計り知れない努力による詳細な調査と解剖医訪問による死因疾病の解明。(「心筋炎の形跡があるが軽度。最終的には、致死性不整脈による突然死と考えられる。」との解剖医見解を得る。博子さんご自身の努力。)→水野弁護士「内野さんの事例は、労基署段階で十分認められるケース。」
 ④愛知健康センター事務局による支援から、運動を進めるための支援する会の設立(トヨタと豊田を中心に。事務局員は、トヨタ・アイシン・トヨタ車体関係者5名、新婦人2名、愛知センター1名)
 ⑤全国過労死家族の会・名古屋過労死家族の会への参加→運動を広めるために必要。
 ⑥大阪過労死家族の会一泊学習交流会への参加・MLへの参加→裁判所宛要請はがき・審査会宛要請はがき合計500枚、裁判所宛要請署名3万7千筆。そして、判決後の「控訴するな!」の要請ファックスは、短期間集中の必要があり、MLの協力は極めて大きい。
 ⑦「しんぶん赤旗」日曜版への実名を上げての報道。(トヨタ自動車の労災事件で、実名を出すのは博子さんが初めて。)この後、毎日新聞報道、マイニュースジャパンによるインターネットニュースなどのひろがり。
 ⑧うたごえによる、内野さんを励ます曲作りと全国うたごえ祭典参加による創作曲のひろがり。
  →要請署名のひろがりへ。
 ⑨毎日放送による「過労死~労災認定の厚い壁~」(映像07)放映。(その後、毎日放送は密着取材し、12月9日にも映像07で続編を放映。)また、外国特派員への記者会見など精力的に取材をこなした博子さんの頑張り。→マスコミを味方に。
 ⑩岡崎市出身八田ひろ子前議員の、毎回の裁判傍聴と厚生労働省要請。
 ⑪豊田市で開かれる「トヨタ総行動」参加
 ⑫国民救援会愛知支部・愛労連・愛知争議団への支援要請
 ⑪その他事務局としての支援
  ア.会報「あと少しがんばれば・・・」発行21号・文書作成
  イ.弁護団会議出席
  ウ.厚労省要請同行、過労死家族の会活動同行。
  エ.愛知県内三河地方労組への支援要請

(民主法律272号・2008年2月)

2008/02/01