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過労自殺労災申請事件 ~労災保険審査官が、自殺は業務上の原因によるものであることと認め、労基署の不支給決定を取り消した事案~ 弁護士 原 正和(民主法律268号・2007年2月)

弁護士 原 正和

1 事案の概要
 平成14年12月20日、関西に本拠を有するある中堅電気通信会社(以下「本件会社」と言います)の部長(以下「被災者」と言います)が自殺しました。被災者は、下請け業者として本件会社が受けた工事に関して平成14年12月12日に起きたテレビ回線瞬断事故(以下「本件事故」と言います)について、本件会社の対応責任者として、関係者からの聴き取りや事故状況及び改善計画の報告等の業務にあたっていました。被災者は遺書を2通書いていましたが、いずれも会社宛てのものであり、家族に対する遺書はありませんでした。会社宛ての遺書には、「会社に多大なご迷惑をおかけ致しました」、「死により責任を取らせて頂きます」などと書かれていました。

2 打合せ、検討
 ご遺族は、本件会社から、本件事故の内容やそれに関する被災者の業務(事故対応)の内容などについて一通りの説明を受けていましたが、本件会社のこのような説明は、最愛の夫(父親)が亡くなったことの原因として、とても納得できるものではありませんでした。また、本件会社は、「それほどたいした事故でもなかったのに、どうしてこんなことに・・・」というスタンスであり、この点もまた、ご遺族としてはとても受け入れがたいものでした(被災者は、もともと大変明るく快活で活動的な人物であり、私生活には何ら問題を抱えていなかったことは間違いなかったからです)。
 ご遺族は、真実は何か(本件事故が発生した12月12日から被災者が自殺した12月20日までの間に一体何があったのか、その間、被災者はどのような業務に従事していたのか)、一体何が被災者をそこまで苦しめていたのか、誰か被災者を救うことが出来なかったのか、被災者はどのような精神状態にあったのか(どうして家族に対する遺書を書かなかったのか)を知りたい、そして、被災者の死を労災と認めてもらうことで、被災者に対するせめてもの弔い(名誉の回復)にしたいと考えておられました。
 ご遺族は、自ら、本件会社の上司、同僚、部下はもとよりのこと、本件工事を本件会社に発注した会社の関係者等にも精力的に聴き取りを行い、聴き取り内容を時系列に沿ってまとめ、それにご遺族の意見を付記したものを、「家族による報告書」として作成されました。この報告書は、極めて詳細かつ具体的で、充実した内容のものでした。
 ご遺族(被害者の奥さん、娘さん、息子さんお二人)の相談・依頼を受け、平成15年夏頃に、池田直樹弁護士、上出恭子弁護士、私の3名で弁護団を結成し、まずは労災を申請することにしました。
 ご遺族と弁護団との打合せでは、「家族による報告書」の内容を検討し、疑いのない事実の確認、事実関係がいまだ不明な点の推論、被災者本人が遺した様々なメモ(本件会社が、ご遺族からの求めに応じて、被災者の机にあった資料を若干ご遺族に渡してくれていました)の意味の解読、判明した事実の評価などにつき、何度も議論を重ねました。
 そして、このように議論を重ねるうちに、本件事故の通報を受けてからの12月14日から12月20日までの7日間の間、被災者が、本件会社が工事指名停止処分を受けることを回避せんがために、事故対応の責任者として、実に約120時間の労働時間、約77時間の時間外労働をしていたことが判明しました。被災者は、この7日間の間、3日間も会社に泊まり込み、ほとんどろくに睡眠を取れない状態が続いていたのです。

3 証拠保全
 このように、私たち弁護団は、ご遺族が作成された上記報告書や被災者が遺したメモをもとに、労災申請の準備を進めましたが、本件会社の理解、協力を求めることが出来なかったことから、やはり資料不足は否めませんでした。そこで、私たちは、労災申請に先立ち、大阪地裁に証拠保全の申立をすることにしました。平成16年10月のことでした。
 この証拠保全申立では、被災者の死から既に2年近く経過していることから、場合によっては、大阪市内にある本件会社の本社ではなく、大阪の郊外にある倉庫に本件に関連する資料が存在する可能性があると考え、本社と倉庫の2箇所について同時に証拠保全の申立をすることにしました。そして、裁判所との事前面談における調整の結果、2つの箇所に同時に証拠保全をするのであれば裁判官が2人必要になるとのことであったため、証拠保全の申立自体も2つすることになりました(なお、検証に臨む場所の記載(申立の趣旨の記載)以外は申立書の記載内容は同一です)。
 結果として、この証拠保全により、私たちは、本件会社の倉庫から、非常に重要な記録を入手することが出来ました。すなわち、倉庫の中から、本件事故の持つ意味(重大性)や本件事故の対応状況の詳細が分かる資料を数多く入手することが出来たため、本社だけではなく郊外にある倉庫に対しても証拠保全の申立をしたことが大いに功を奏したのです。

4 労災申請
 私たちは、証拠保全で得た重要な証拠を補充し、平成16年12月に、大阪西労基署に、100頁を超える「家族による報告書」と約50頁の代理人意見書を添えて、労災申請をしました。
 私たち弁護団そしてご遺族としては、これほどまでに関係者から事前に十分な聴き取りをし、かつ、証拠保全で得た資料を含め被災者の自殺が業務に起因するものであることを裏付ける多くの資料を揃えての申請であったことから、業務上認定は労基署段階で当然に得られるであろうと、ある意味自信をもって申請をしました。
 
5 不支給決定(業務外認定)
 しかし、平成18年4月27日(申請から約1年半後)に受けた結果は不支給決定でした。労基署は、被災者が「うつ病エピソード」を発病したことは認めたものの、厚生労働省の判断指針(心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針)に沿って検討した結果、業務による心理的負荷の総合評価は「中」と判断したのです。私たち弁護団は驚き、憤慨しました。もちろん、ご遺族もまた、この結果に納得されるはずがありません。

6 審査請求
 そこで、私たちは、平成18年6月、大阪労災保険審査官に対して審査請求をし、あらためて、本件事故の内容とその重大性、そして何よりも事故対応の責任者として被災者が受けていた心理的負荷がいかに大きなものであったかについて説明する代理人意見書を提出するとともに、ご遺族からも、家族の陳述書の追加提出をしました。なお、この段階から、岩城穣弁護士も弁護団に加入しました。
 請求後、2度の審査官面談(代理人同席)、4回にわたるご遺族の審査官への署名交付と面談(約7000筆もの署名をご遺族が集めてこられました)を行いました。

7 取消決定
 そして、平成18年11月28日に、労災保険審査官から、労基署の判断に対する取消決定を得ました。取消決定の判断過程は、
 「会社で起きた事故について、責任を問われた」・・・強度Ⅱ→事故による影響の規模及び責任の大きさの度合い等など本件事案の特殊性を考慮して強度を修正・・・強度Ⅲ→7日間で3回の泊まり込みを含む18時間余りの深夜労働、50時間を超える長時間時間外労働(認定労働時間は、申立人の主張労働時間とは若干異なっていました)、会社の支援なし・・・相当程度過重→総合評価「強」→業務以外の心理的負荷要因、個体側要因はない→業務上の事由
 というものでした。なお、この判断過程は私たちの主張とは若干異なりますが、紙面の関係上、ここではこの点については触れないことにさせていただきます。

8 さいごに
 私たちとしては、本件については、本来、労基署段階で支給決定がなされるべきものであったと考えていますが、とはいえ、今回、事故発生から自殺までわずか8日間の間に被災者がうつ病に罹患したことを認めたうえ、それが業務に起因するものであることを認め(被災者が従事していた業務の心理的負荷の程度は極めて強いものであったことを認め)、労災保険審査官が労基署の不支給決定を取り消したことは、事故当時の資料を客観的に把握し、事実を合理的に認定したものと評価することができると言えるでしょう。

(民主法律268号・2007年2月)

2007/02/01