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スーパー営業本部長の過労死事件 弁護士 佐藤真奈美(民主法律265号・2006年2月)

弁護士 佐藤真奈美

1 スーパーを経営する会社の専務取締役営業本部長が脳内出血で死亡した事件で、茨木労働基準監督署から業務上の決定を得た。

2 被災者のSさん(昭和19年生まれ、被災時58歳)は、平成元年10月からスーパーを経営する会社(以下「本件会社」という。)の営業本部長として勤務していた。本件会社は、大阪府下に13店舗を有しており、Sさんはその全てについて営業管理を行っていた。単にデータを分析するだけではなく、直接店舗へ行ってディスプレイの指示をする、自ら青果の仕入れに行くなど、多くの業務を行わなければならなかった。また、新規店舗の開拓もしていた。
 そのため、Sさんは、多忙を極めていた。午前6時過ぎに家を出て、帰宅するのは早くても午後9時30分ころ、帰宅せず泊まりがけで業務を続けたこともあった。平成15年1月3日に亡くなったのだが、その前1ヶ月間(平成14年12月4日~平成15年1月2日)のうち、Sさんが休んだのは、会社の同僚とゴルフに行った12月9日と、1月1日2日の3日間だけであった。
 Sさんは亡くなる前1ヶ月に限らず多忙を極めており、長時間労働が恒常的に続いていた。娘さんは、「父が仕事だから、家族旅行にも行ったことがない」と話していた。

3 平成15年6月に行われた過労死110番をきっかけに受任することになり、弁護団では、すぐにでも労災申請をするべきと考えた。しかし、タイムカードなどSさんの労働時間が記録された資料はなく、労働時間の算定に非常に苦労することになった。出宅時間・帰宅時間についての遺族の記憶、一緒に仕入れに行っていた従業員からの聴き取り、残されていた鉄道のカードに印字されていた乗車時刻・場所、オフィスの警備記録に残された出退記録など、数少ない資料をもとに、何とか被災前1ヶ月間の労働時間を算出した。算出結果は、1ヶ月間の総労働時間は318時間15分、時間外労働時間は142時間15分というものであった。
 平成15年10月17日付で労災申請したが、調査は遅々として進まなかった。労働時間を証する資料がない上、本件会社は労基署の調査に協力的でなかったようで、担当官に進捗を問い合わせるといつも「会社から資料が出てこないので判断が進まない」と回答されていた。弁護団は、申請後も、新たに会社関係者に聴き取りをしたり、鉄道のカードや警備記録を分析した意見書を出したり、Sさんがよく利用していたタクシー会社に赴きSさんが乗車した記録を探したりして、実態に即した認定が得られるよう力を尽くしてきた。
 そして、平成17年9月22日(申請して2年弱)付で、業務上決定がなされたのである。

4 担当官からは、認定理由について、次のように説明された。①短期間ではなく長期間の過重業務について検討した、②発症前1ヶ月の過重性を見ると、時間外労働時間が100時間程度であった、100時間を超えるかどうか定かではないが、少なくとも95時間以上であったと認定した、③発症前2ヶ月になると80時間以上、3~6ヶ月になると多少減ってくる。要するに、発症前1ヶ月間の時間外労働時間が100時間近かった、というのが認定理由であろう。

5 このケースは、とにかく労働時間を証する記録がなく、苦労することになった。多くの人から聴き取りをし、何度も会社に足を運んだ。忘れられないのが、タクシー会社にSさんの乗車記録を探しに行ったときのことである。平成17年7月21日に、弁護団と奥さんの4人でタクシー会社へ行き、3~4時間もの間ひたすら紙をめくってSさんの乗車記録を探し続けたのだが、一件も見付けることができず、疲労感だけ抱えて帰ることになった。その日のちょうど2ヶ月後に朗報が届いたときは、「あの時も神様はどこかで見てくれていたんだな」と、本当に嬉しかった。手持ち資料が少なくても、諦めず探し続けることの大事さを学ばされた事件である。
(弁護団は、下川和男弁護士、波多野進弁護士、佐藤です)

(民主法律265号・2006年2月)

2006/02/01