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廣瀬過労死事件勝利判決報告  入社51日の21歳の雑誌編集アルバイトの過労死が認められた事例 弁護士 村瀬謙一(民主法律時報256号・2004年9月)

弁護士 村瀬謙一

  以前、民主法律251号で、労災認定と会社に対する損害賠償請求訴訟の提起を報告させていただいた事件につき、平成16年8月30日、大阪地方裁判所第15民事部合議係において、会社に対し、約4700万円余りの賠償を命じる判決が下されたので、報告させていただきます。

1 事案の概要
 亡くなった廣瀬勝さんの勤務先は、株式会社ジェイ・シー・エムと言い、この会社は、中古車流通の仲介や中古車情報誌の製作を業務内容とし、本社は東京都千代田区、従業員約200人、資本金3億円の企業である。大阪支店は、「カーセンサー関西版」というリクルート社発行の雑誌の制作を代行していたが、勝さんは、その編集を担当していた。
 勝さんは、昭和50年2月生まれの若者で、平成8年4月22日、アルバイトとして入社し、当時、21歳であった。
 当時月刊誌であった雑誌の編集という仕事の性格上、締め切り前の約10日間は非常に忙しく、同社では、異常なまでの長時間業務が恒常化していた。
 ちなみに、発症9日前から発症に至るまでの間、全く休日はなく、実に、116時間43分にも及ぶ長時間労働であった。1日平均約13時間であり、その過重性には著しいものがある。特に、発症前日、発症前々日の労働は、ほぼ16時間にも及ぶものであり、想像を絶する過重な労働であった。
 そして、勝さんは、帰宅後、就寝した状態のまま、死亡していたのであり、 医師の診断により、死因は虚血性心疾患(推定)と診断された。

2 これまでの経過
 本件については、弁護団としても、労災であることを確信し、遺族の依頼により、大阪天満労基署に労災申請を行ったが、平成12年1月、同僚も勝さん以上に長時間の勤務をしていることや、手待時間が多く労働密度は低かったなどとして、業務外であるとの決定をした。しかし、同僚も被災者以上に長時間であるからというだけで否定し得ないことは、既に確立された議論であり、労働密度が低いなどと言っても、一緒に仕事をしていた同僚の聞き取りを行わず、会社が用意した者の聞き取りのみで判断するなど、ひどい判断であった。
 大阪労働局への審査請求の結果、平成14年5月、天満労基署の判断を取り消す旨の決定がなされ、同年6月、大阪地裁に、会社に対し、損害賠償を求めて提訴した。
  会社は、補助者によって負担は軽減されていた、前任者からの引継中であって業務量は多くなかった、忙しいのは締切直前の夕方以降のみだったなどとして、業務の過重性を争い、また、勝さんの死亡後、解剖がなされなかったことから、死因が特定されていないことを指摘し、業務と死亡との因果関係を争った。また、このような業務程度で死亡することは予見し得ないとして、会社の帰責性を争ったほか、損害論においても、就職前の交通事故において腎臓の1つを失っていた後遺症や喫煙を問題にするなどして、争った。

3 判決内容
 判決は、長時間労働、死亡直前の深夜勤務や、休日の取得状況、雑誌の締切に追われると言う精神的ストレスなどを考慮して、同僚と比して、特に業務量が多くはなかったとしても、肉体的・精神的に過重であったものとして、業務の過重性を肯定した。因果関係については、経験則に照らした総合的判断により因果関係の有無が検討されるべきとした上で、職業性ストレスにより心筋梗塞を発症したと推認されるとし、相当因果関係の存在を肯定した。また、過重業務を強いたことによる安全配慮義務違反を肯定し、このような労働を強いた場合、健康を損なう危険性があることは周知の事実であるとして、予見可能性を肯定した。
  なお、腎臓の1つを失っていたとの点から逸失利益の計算において、20%を減じ、喫煙の心筋梗塞への寄与につき、損害全体から、20%を減じた。
 この判決に対して、双方共、早期解決のため、控訴せず、判決は確定した。

4 最後に
 本件は、熾烈な長時間業務により、入社51日目という非常に短期間内に、しかも21歳の健康なアルバイトの若者が過労死に至ったという特殊な事案であり、民事責任が肯定された意義は大きい。
 本件では、廣瀬裁判支援の会に、運動面で訴訟を大きく支えてもらったいたが、宣伝の過程では、同種職場の従業員やその家族から、自分たちも同じ状況であり、健康に不安がある旨の声も寄せられていた。本件判決が、雑誌編集職場の過酷な労働条件に警鐘を鳴らすものとなることを願いたい。

(弁護団は、岩城穣、宮崎明佳、村瀬謙一、井上耕史)
(民主法律時報256号・2004年9月)

2004/09/01