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堺市鈴木均教諭過労死事件の報告 ─1審敗訴から高等裁判所で逆転勝訴へ─ 弁護士 村田浩治(民主法律255号・2004年8月)

弁護士 村田浩治

1 事案の概要
  堺市立新金岡小学校に勤務していた鈴木均先生は、きわめて多忙だが、職場にも保護者にも信頼の厚い教師であった。小学校五年生という思春期の入り口でまだ幼い部分も抱え、登校拒否気味の児童、アトピーをもった児童など「要配慮児童」を多数抱え、保健主事、体育主任という学校全体でも重要な公務を担っていた。
  夏休みが終わり二学期の遠足、社会見学、体育大会、連合運動会と通常の授業以外に校外を含む様々な行事が集中する九月期から10月期は時期的にみてもきわめて多忙で公務が過重な時期であった。
  こうした最中、1990年10月8日午後7時頃、帰宅途中のコンビニエンスストアで突然発症し、午後11時頃ようやく病気と気づいたコンビニエンスストア従業員の通報によって病院に運ばれた。すでに3時間たっていた病状は回復することなく10月12日、帰らぬ人となった。
  小学校の教師でもある妻の鈴木和子さんは、疲労困憊状態だった夫の死は過労死であると考えた。職場の同僚たちは労働組合が中心となりすぐに同僚会として公務災害申請の支援を決定し、11月には弁護士に相談が寄せられた。職場での聞き取りが開始され、数多くのエピソードが集められた。支援の輪ははじめは同僚中心で堺教組、大教組と徐々に支援の輪は広まっていった。
  しかし、支援の輪が広がったのは、基金支部が1996年1月11日、動脈硬化が進行した自然の増悪の結果であるとして公務起因性を否定し、さらに1998年6月9日、基金支部審査会、同年12月23日、基金審査会がいずれも不服申立を棄却し、大阪地方裁判所への提訴に至った頃からであった。実に発症から8年以上が経過していた。

2 一審大阪地方裁判所での審理と判決の内容
  大阪地方裁判所では、公務過重性が争点であるというのが弁護団の基本的考えであった。
  地裁では、鈴木均先生が他の先生に比べて如何に過重であったか、一年の最も忙しい時期に重なっていたということを強調し、4名の証人は警備員と同僚2名、そして原告本人が鈴木先生の仕事の過重性を証言するというものであった。
  しかし、一審判決は、取消を求めた原告の請求を棄却した。
  判決は、発症直前の「相当程度の過重性」は認めたものの、脳血栓という疾病が原因であるという前提に立てば、血管の動脈硬化が相当進行していたと推測し、したがって直前の9月、10月の時期に相当程度過重であったとしても死因となった脳血栓の原因はそれ以前の自然的な増悪の結果であり公務の過重性が原因ではないとした。殆ど議論がされなかった医学的判断を前提にして、直前の公務過重性の立証そのものが意味のないという判断であったわけで、不意打ちとも言えるものであった。
  また教師労働についての評価も、冷淡であった。たとえば「要配慮児童がいたとしても、四六時中緊張しっぱなしというわけではない」という具合に児童との関係を巡るストレスについてもきわめて軽くみるなど、教育労働がそんなに大したものではないという偏見があることが判決文から散見された。

3 大阪高等裁判所(控訴審)の争点と立証
  一審判決の理論では、脳血栓で死亡した人は長年にわたる公務過重性によって動脈硬化が生じたことまで立証しなければ認定されないことになる。これでは過労死の認定基準から脳血栓が除かれたも同然である。この理屈そのものがおかしかった。
  専門医は、鈴木均先生の死因は、脳塞栓と見るのが妥当であるとの判断を示した。「脳塞栓」とは同じ脳梗塞の中でも血栓と違い、心臓等で形成された血栓がストレスや物理的なショックなどで脳の血管に飛び、血管を詰まらせるというものであり、鈴木均先生の突然の発症の経過に照らせば、脳塞栓と見るのが妥当だということになる。これなら直前の公務過重が極めて重要な意味を持ってくる。一審で認め原告も主張していた脳血栓という病名を変更するということについては議論もあったが、それが無ければ勝訴はないということで弁護団での議論のすえ、主張を変更することにした。しかし、むしろ、よりはっきりと一審判決をひっくり返す道筋は見えたともいえた。
  さらに、気を抜いてはいけないのが、公務の過重性であった。一審裁判官が示した教師労働の重さに対する軽視をどう払拭するのか。弁護団としてもこれをすればひっくり返せるという確信はなかったが、とにかく教師労働が他の労働と比べても決して軽いものではない。むしろ心的ストレスは大変であり、無定量で持ち帰りは当たり前なのだということを打ち出していくことが必要だった。病名が、脳塞栓でも直前の公務過重性が否定されれば認定はない。教師全体の公務について全教が実施したアンケートも示し、堺教組委員長の意見書、同僚の陳述書の補充、大阪教育大学で教師労働をデータに基づいて研究されている中迫教授の意見書を提出し教師労働の過重性立証を補強した。
  多くの医師の協力を得ながら、控訴審では原告側が圧倒的に医学立証をリードした。被告側医師までも塞栓性の脳梗塞であると認めざるを得なかった。
  均先生が倒れていたため警察が事件性の有無がないか捜査を行いコンビニで発症した時のビデオ再生の報告書も警察署に残っていることが分かり、控訴審で取り寄せられ、突発的な脳梗塞発症の裏付けとなった。立証終了時点で、医学的前提は覆ると確信した。持ち帰り残業を入れれば、鈴木均先生の1ヶ月の残業時間は100時間を超えている。過労死の新認定基準によれば、過重性も量的には十分といえた。

4 高裁判決の内容と意義
  2004年1月30日に言い渡された高等裁判所の判決は、医学的には原告の主張をほぼ認め、また教師の公務の過重性についても、児童に対する配慮の精神的負担や持ち帰りをせざるを得ない実情を素直に認定し、原告の提出した陳述書の内容を丁寧に認定材料に使い残業時間も質的な過重性も認める完全勝利だった。
  特に授業の合間の休憩時間や給食指導の時間については被告の主張を退け、授業の準備であったり給食指導時間であるとして労働時間であるとの判断を示した。教師労働のもっている特殊性を十分に考慮した判決となった。判決は教育労働だけでなく人的コミュニケーションを基本とする不定型な福祉労働にも共通する認定手法を提供しているという意味でも重要な意義を有しているといえる。労働の質や内容を具体的陳述によって認定した高裁判決は、資料の乏しい同種事件にも参考になるものと評価できる。基金支部は上告を断念し判決は確定している。
  (弁護団は、松丸正、岩城穣、阪田健夫、村田浩治、小川和恵)
                             (民主法律255号・2004年8月)

2004/08/01