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草野過労死事件 民事訴訟に続いて労災認定でも大きな成果 弁護士 高木吉朗(民主法律時報383号・2004年4月)

弁護士 高木吉朗

一、草野護さんは、1998年12月4日、職場(南大阪マイホームサービス株式会社)で急性心臓死した。もともと拡張型心筋症という難病を抱えており、会社の健康診断でも「要医療」と診断されていた草野さんだったが、会社は仕事を減らすどころか、健康診断の結果が出た後もさらに多くの仕事を草野さんに担当させていた。
 草野さんが搬送された病院の待合室で、会社の社長は「僕が半分殺したようなものだな…」とつぶやいた。この言葉が、奥さんを労災申請、さらには民事訴訟へと踏み切らせるきっかけとなった。

二、通常、過労死とされる事例では、まず労災申請を先行させ、労災認定を得てから、場合により民事訴訟へと進むのが一般的である。
 しかし草野さんの事例の場合、もともと草野さん自身が拡張型心筋症という基礎疾病を有していたこと、さらに発症一週間前の過重労働の実態が必ずしも明らかではなかったことなどから、労災申請しても厳しい結果になることが予想された。
 そこで弁護団では(というより、もっぱら松丸師匠の発案なのですが)、いったんなされた労災申請をひとまず取り下げ、民事訴訟を先行させるという戦略をとることにした。
 民事訴訟とその結果については、以前にも本紙上で報告しているが、そのポイントをかいつまんでまとめると、裁判所(大阪地方裁判所堺支部(中路義彦裁判長)2003年4月4日判決)の判断は、草野さんが亡くなる年まで会社は定期の健康診断を行っていなかったこと(労安衛法違反)、亡くなった年の健康診断で「要医療」と診断されたにもかかわらず、会社は草野さんの病状などについて医師の意見聴取も行わず(やはり労安衛法違反)、過重な業務を続けさせたことを明確に安全配慮義務違反と断じ、草野さんの死亡との間に因果関係を認めて会社の損害賠償責任を肯定した。拡張型心筋症という基礎疾病についても、弁護団では大幅な寄与度減額を恐れていたが、5割に抑えることができた。

三、会社側は大阪高裁に控訴したが、控訴審が始まる前の6月10日、ほぼ一審判決に添う内容での和解で決着した。こうした民事訴訟での成果を踏まえ、6月16日、堺労基署に労災申請を行った。
 労災申請に当たっては、民事訴訟の場で明らかになった草野さんの過重労働の実態に加え、2001年12月に過労死の認定基準が改定され、発症前6ヶ月間の過重労働実態を評価することとされたことも有力な武器となった。
 このような経過を経て、2004年1月、堺労基署は保険給付の決定をしたが、ここでも、遺族補償年金等の額にサービス残業分も参入するという大きな成果をあげることができた。 労災申請をいったん取り下げて民事訴訟を先行させ、大きな成果を挙げた例として紹介した次第である。
(弁護団は松丸正、横山精一、私の3名です)
                             (民主法律時報383号・2004年4月)

2004/04/01