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大阪高等裁判所で逆転公務災害認定 ~堺市鈴木均教諭過労死事件~ 弁護士 村田 浩治(青法協大阪支部ニュース280号・2004年3月)

弁護士 村田浩治

1 事案の概要
 堺市立新金岡小学校に勤務していた鈴木均先生は1990年10月8日午後7時頃、帰宅途中のコンビニエンスストアで突然発症し、午後11時頃ようやく病気と気づいたコンビニエンスストア従業員の通報によって病院に運ばれた。すでに3時間たっていた病状は回復することなく10月12日、帰らぬ人となった。

 小学校の教師でもある妻の鈴木和子さんは、疲労困憊状態だった夫の死は過労死であると考えた。職場の同僚も労働組合が中心となり徐々に支援が始まった。

 地方公務員災害補償基金大阪府支部長は、1996年1月11日、動脈硬化が進行した自然の増悪の結果であるとして公務起因性を否定、基金支部審査会、東京の中央審査会に対する不服申立も棄却され、大阪地方裁判所に移ったのは発症から
8年後であった。

2 一審判決
 大阪地方裁判所での審理は、公務過重性が立証の中心であった。

 鈴木均先生は、難しいとされていた5年生の担任で、しかも家庭での虐待といじめのある児童やアレルギー、不登校傾向など要配慮児童が多数いるクラス担任であったこと、保健主事と体育主任を兼任する(教育委員会からも兼任をさけるよう指示されていた)状態だったこと、9月から10月という遠足、社会見学、自校の体育会、市内小学校の連合運動会という行事をこなす極めて多忙な状態であり、持ち帰り残業も月100時間を超えていた。また、天候不順による調整、早朝練習の連続と例年以上に公務が増加していたことや、一年半後の転勤を控え、互換性のないパソコンのために文書を打ち直す作業に追われていたこと、教育実習生の指導と、休む間もなく公務をこなしていたことなど質量的とも過重な公務であったことを同僚証言で立証していこうとした。タイムカードや出勤簿といった客観的な資料が乏しく、推測と間接事実を示す同僚証言など工夫と苦労の立証といえた。

 一審では医学的な判断部分は主たる争点にはしなかった。脳梗塞のうちの脳血栓という病名に争いはないままであり、公務災害の過労死認定基準においても疾病として掲げられているため、公務過重性の立証さえすれば足りるという判断であった。

 ところが、平成13年2月5日一審大阪地裁は、脳血栓という疾病が、血管の動脈硬化が相当進行している病気であり、したがって直前の9月10月の時期に相当程度過重であったとしても死因となった脳血栓の原因はそれ以前の自然的な増悪の結果であり公務の過重性が原因ではないと棄却判決を下した。殆ど議論がされなかった医学的判断を前提にして、直前の公務過重性の立証そのものが意味のないものであるとするもので、不意打ちともいえる内容であった。また他方で判決書の中には教師の公務についての偏見ともいえる内容も散見された。例えば最も同僚教諭の反感を買った部分のひとつとして次のような下りがあった。「鈴木が要保護児童を担当していたことが、それなりに精神的緊張を要求されることは否定しないが、多くの部分は教諭としての通常の公務に属する事柄であり、児童が下校すれば、その児童との直接の対応はなくなるわけであるし、養護教諭の援助もあったわけで、46時中緊張のしっぱなしというわけではない」という類のストレス軽視の判断や、持ち帰り公務時間について何の根拠もなく半分しか認めないという認定であった。全体としては教師の公務について「要するに教師は楽だ」という偏見が見え隠れする判決であった。

3 控訴審での争点と立証活動
 一審判決の理論では、脳血栓で死亡した人は長年にわたる公務過重性によって動脈硬化が生じたことまで立証しなければ認定されないことになる。これでは過労死の認定基準から脳血栓が除かれたも同然である。この理屈そのものがおかしかった。とはいえ、一審判決後、脳外科の専門医たる伊藤医師に相談したところ、鈴木均先生の死因としては、脳血栓というよりは脳塞栓と見るのが妥当であるとの見解が示された。「脳塞栓」とは同じ脳梗塞の中でも血栓と違い、心臓等で形成された血栓がストレスや物理的なショックなどで脳の血管の飛び、血管を詰まらせるというものであり、鈴木均先生の突然の発症の経過に照らせば、脳塞栓と見るのが妥当だということになる。これなら直前の公務過重が極めて重要な意味を持ってくる。一審判決の理屈を根本から改めるという判決を引き出せると考えた。一審判決をひっくり返す見通しはたった。

 問題は教師の労働に対する軽視偏見であった。たとえ脳塞栓でも直前の公務過重性が否定されれば認定はない。教師全体の公務について全教が実施したアンケートも示しながら教育労働が決して楽ではなく過重なものであることを示す努力をした。同僚の陳述や大阪教育大学の中迫教授の意見書によって教師労働の過重性立証を補充した。その他にも緒方浩美医師など多くの医師や研究者の協力を得た。

 控訴審では医師3名の証人尋問で、原告側は圧倒的な立証が出来た。被告側医師までも塞栓性の脳梗塞であると認めざるを得なかった。均先生が倒れていたため警察が捜査を行いコンビニで発症した時のビデオ再生の報告書が残っていたことも突発的な脳梗塞発症の裏付けとなった。立証が終了した時点で、一審の示した医学的前提は覆ることは確信した。

 教師の公務の過重性も学級崩壊がテレビで話題となり、学校現場における教師の公務の過重性もそれなりに認知されるようになっていた。持ち帰り残業を入れれば、鈴木均先生の1ヶ月の残業時間は100時間を超えており過重性を強調した。

4 高裁判決の内容と意義
 2004年1月30日に言い渡された高等裁判所の判決は、医学的には原告の主張をほぼ認め、また教師の公務の過重性についても、児童に対する配慮の精神的負担や持ち帰りをせざるを得ない実情を素直に認定し、原告の提出した陳述書の内容を丁寧に認定材料に使い残業時間も質的な過重性も認める完全勝利といいうる内容だった。

 特に授業の合間の休憩時間や給食指導の時間については被告の主張を退け、授業の準備であったり給食指導時間であるとして労働時間であるとの判断を示した。教師労働のもっている特殊性を十分に考慮した判決となった。これらの判決は教育労働だけでなく人的コミュニケーションを基本とする不定型な福祉労働にも共通する認定手法を提供しているという意味でも重要な意義を有しているといえる。

 発症から実に13年が費やされ、当時小学生だった均先生のお子さんも成人した。教師に対する社会的な認識の変化はあったが、労働の内容と質について客観化した資料が乏しかった。労働の質や内容を働く者の健康という立場から客観化していくことも今後判決を生かす意味で重要であると感じた。ようやく訪れた勝利は基金の上告断念で確定した。
                    (青法協大阪支部ニュース280号・2004年3月)

2004/03/01