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草野過労死事件 勝訴判決下る 弁護士 高木吉朗(民主法律時報373号・2003年6月)

弁護士 高木吉朗

 平成一〇年一二月、家屋のリフォーム等の増改築請負を業とする南大阪マイホームサービス株式会社の業務課長であった草野護さんは会社で突然倒れ、そのまま急性心臓死で亡くなった。その年の二月に行われた会社の定期健康診断では、拡張型心筋症と診断され、しかも「要医療」と記載されていたが、会社は草野さんの仕事を軽減させるどころか、責任感の強い草野さんに広汎な仕事を任せ続けており、亡くなる数ヶ月前ころから、草野さんは家族に対ししきりに「しんどい」とこぼすようになっていた。家族は心配しながらもどうすることもできず、草野さんは肉体的にも精神的にも追い詰められていった。このような状況の中で、草野さんは亡くなったのだった。
 草野さんの告別式で、会社社長は「僕が殺したようなものだな」とつぶやいた。以前から草野さんの過酷な働きぶりに疑問を持っていた奥さんは、この会社社長の一言に会社に対する不信感を募らせていった。

 奥さんの相談を受けて、護さんの友人や組合関係者らを中心に、草野さんを支援する会が作られ、続いて弁護団も結成され、当初は労災申請が検討されたが、拡張型心筋症が過労死による労災認定の対象疾病ではなかったことから、会社に対する民事訴訟を先行させることになった。

 亡くなる前の護さんは、南大阪マイホームサービス株式会社の業務課課長として、一人では到底こなしきれない量の仕事に連日のように振り回されていた。業務課長としての本来の業務である資材管理業務(仕入れや在庫管理を中心とする)のほか、他の部署が担当するはずの委託新築工事やリフォーム現場の管理、他部署からの依頼による小規模補修工事、顧客からのクレームの対応、現場での残材・廃材の回収、各種イベント時の会場設営や運営、防水テストなどの現場調査作業等、極めて広範囲の仕事を、ほとんど一人でこなしていた。

 責任感の強かった護さんは、いくつもの現場を抱えて深夜まで現場回りをして顧客のクレーム対応をしたり、また職人の工事作業を自ら手伝ったりした上に、会社へ戻ってからも事務作業の整理に追われ、会社を出るのは普段でも九時から十時になっていた。また、週一回の会議の日には、会社を出る時間はしばしば夜中の一二時を回っていた。さらに、月一回の査定の日には朝四時、五時まで会社に残ることもまれではなかった。

 護さんのタイムカードを見ても、亡くなる半年前の残業時間は、一か月あたり一三九時間から一六八時間にも及んでいた。
 このような事実関係をもとに、奥さんの敬子さんは平成一二年八月、南大阪マイホーム健康配慮義務違反に基づく損害賠償及び残業代不払いなどを根拠に、総額一億円強の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁堺支部に起こした。

 約二年半にわたる審理の末、本年四月、大阪地裁堺支部(中路義彦裁判長)は本訴訟の判決を言い渡したが、判決は原告側の主張をほぼ全面的に認めたもので、大いに意義のある判決であった。
 
 争点の第一は、タイムカードの信用性である。被告側は、護さんのタイムカードの記載に手書きが多いことなどを理由に、タイムカードは信用できないなどと主張していたが、裁判所はタイムカードの信用性をはっきりと認めただけでなく、実際にはタイムカードの労働時間を超える過重労働をしていたものと考えられるとして、責任の重い仕事をひとりで背負っていた護さんの過重労働の実態を認定した。

 争点の第二は、過重労働と死亡との因果関係であったが、この点も裁判所は、激しい過重労働が護さんの拡張型心筋症を著しく悪化させ、死に至らしめたとして、因果関係は肯定できると判断した。もっとも、拡張型心筋症の予後はかなり悪いことも考慮し、損害額の五割が減額された。

 争点の第三は、会社の健康配慮義務の内容である。この点が本訴訟の最も重要な争点であったが、裁判所は、護さんが死亡する前の健康診断で「要医療」との診断がなされていたこと、護さんの過重労働の実態は会社としても十分知りうる立場にあったことなどから、会社には健康に配慮すべき義務の違反があったと明確に認定し、会社の責任を断罪した。

 このように、本判決は原告側のほぼ全面的勝訴と言ってよい内容であったが、被告側が控訴したため、対抗上原告側も控訴し、舞台は大阪高裁の控訴審に移行することとなった。
(弁護団は松丸正、横山精一、私の三名である)
(民主法律時報373号・2003年6月)     ※新聞記事はこちら

2003/06/01