過労死問題について知る

HOME > 過労死問題について知る > 勝利事例・取り組み等の紹介 > 「違反通告」によりサービス残業代を支払わせ、残業時間も激減──日本ペイント── ...

「違反通告」によりサービス残業代を支払わせ、残業時間も激減──日本ペイント── 弁護士 岩城 穣(民主法律時報357号・2002年2月)

弁護士 岩城 穣

1 うれしい知らせ
 「昨日給与明細書を見たら、10月分の給料に、遡及調整として時間外手当が83万円付いていました。こんなことが起きるなんて、大変驚いています。このところ帰宅時間が早くなり、感謝でいっぱいだったのに、過去の残業手当を頂けるなんて、思いもよらないことでした。本当にありがとうございました。」
 2001年10月25日、B子さんからこんなメールが届いた。
 この時、会社は、社員21人の合計3500時間の時間外労働時間に対し、総額990万円を支払った(02年2月5日付毎日新聞)。

2 「労基オンブズマン」としての初の「違反通告」
 私たちは2001年6月12日、「労働基準オンブズマン」を結成し、同月16日の「自殺・過労死・サービス残業110番」は大阪過労死問題連絡会とオンブズマンの共同で行った。
 B子さんの夫のAさんは、日本ペイントのある部に所属しているが、帰宅は深夜11時が普通、遅い時2時、3時で、実際の残業時間は月に150時間を超えていた。にもかかわらず、会社は労働者に、自分の残業時間を15時間と申告させ、15時間分の残業代しか払っていなかった。そんな毎日が続く中でAさんは疲労困憊し、以前はよく笑う朗らかな性格であったのに、笑うこともなく、口数も減り、「もう死んでしまうかも」「来年までもたない」等と口にするようになっていた。
 B子さんは00年10月、天満労基署に相談したところ、しばらくの間は残業は減ったが(後で担当者から聞いたことだが、労基署は会社を指導し、01年2月には是正勧告を出していた)、同年3月ころから、再び労働時間が長くなった。
 そこでB子さんは「過労死110番」に電話し、労基オンブズマンに相談したのである。
 当時、9月7日にオンブズマンとして「一斉告訴・告発」を準備していたが、この件はB子さんと相談したうえで、9月11日、「労働基準オンブズマン所属弁護士岩城穣」の名前で「違反通告」を行うことにした。

3 是正に至る経緯
 通告をしたものの、当初労基署は必ずしも積極的ではなかった。担当者は私やB子さんに、「労働者たち自らが15時間の残業時間申告書を提出している以上、それ以上残業していることを立証はしにくい。」「家族(B子さん)ではなく、労働者本人(Aさん)に立証してほしい。他の社員からも申し立てはない。」「引き続き指導はするが、これまで改善が見られていないため、今後も従来と同じ指導では改善は困難だと思う。」などと弱気の発言をしていた。
 しかし、担当者の頑張りは、そこからであった。会社に行き、無作為に5人くらいの労働者と面談し、「決して誰が言ったと会社に言わないから、正直に話してほしい」と粘り強く説得した。その結果、1人を除いて、会社との関係では15時間しか残業していないことになっているが、実際は月に50~60時間残業していることを打ち明けた。そこで、今度は会社に対し、「裏は取れている」と迫り、ついに認めさせた。
 通常は違反申告の場合、遡って支払わせるということはしないが、今回の場合、2月にも是正勧告をしたのに従わなかったということで、2月から9月までの8ヶ月分を遡って支払わせたということであった。

4 感想
(1) 今回の成果を導いたのは、直接的には労基署の担当者の努力の賜物であり、心から敬意を表したい。厚生労働省は01年4月に「労働時間管理通達」を出したが、その実効性が問われる事案であった。
 その労基署の担当者を突き動かしたのは、このままでは夫は死んでしまうというB子さんの夫に対する思いであった。また、労基オンブズマンの結成を含め、世論の後押しがあった。今回の結果は、これらの条件がうまくかみ合った成果であろう。
(2) ただ、いま一つ釈然としないのは、今回改善された職場の社員たちの大多数は、なぜ突然過去のサービス残業代が支払われ、残業が激減したのか、なぜ労基署が今回動いたのかわからないということである。当のAさん自身、今回の成果は、自分の妻のB子さんが頑張ったことによるということを、まだ知らないのである。
 本当は、違法状態の是正は、労働者が自らの手でしなければならないことだし、そのために労働組合がある。日本ペイントには労働組合があるのに、本来の役割を発揮できなかった。そんな現状がまだまだある以上、オンブズマンが「天の声」や「ねずみ小僧」のような役を果たすのも、当分はやむを得ないのかな、とも思う。 
(民主法律時報357号・2002年2月)

2002/02/01