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西原過労死事件について 弁護士 山﨑国満(民主法律233号・1998年2月)

弁護士 山崎国満

1 経過の概要
 被災者の西原道保さんは、被災当時46歳。昭和58年9月21日名糖運輸㈱にトラック運転手として入社し、堺市の大阪営業所堺出張所に勤務していました。西原さんの業務は、スーパーへの牛乳の配送で、奈良県の王寺コース等を担当していましたが、被災直前の平成3年2月20日からは、茨木市にあるスーパーダイエーの食品配送業務に変更になりました。
 西原さんは、平成3年2月23日午前7時40分ころ、茨木センターで待機中、運転席で意識不明で横たわっているのを発見され、救急車で千里救命救急センターへ搬送されましたが、同日午前9時18分、「急性心不全」による死亡が確認されました。
  西原さんの妻の西原松子さんは、堺労基署に、遺族補償給付等の請求哀しましたが、平成7年9月22日、同労基署は、不支給の決定をし、大阪労基局に審査請求をしましたが、同労基局は、平成9年10月31日付けで、審査請求を棄却しました。
 現在、労働保険審査会に再審査請求をし、近日中に、行政訴訟を提起する予定です。

2 西原さんの業務内容
  西原さんの労働時間ほ、午前4時30分から午後5時ないし6時ころまでで、拘束時間は13時間から14時間にも及び、1日4時間もの残業をしており、走行距離は1日210キロないし230キロに及んでいます。西原さんの 担当する王寺コースは、堺市から中央環状線を通り西名阪自動車道に入り、香芝インターから一般道を通って各店舗に配送するのですが、このコースは、他のコースと比べ、店舗数が多く、道幅か狭くて坂やカーブか多く、霧が発生するところもあり、冬は積雪凍結の危険を伴い、午前7時を過ぎると通勤通学の人が増えるところです。このような状 況の中で、西原さんは、時間に追われなから配送しなければならず、しかも西原さんは、この王寺コースを1日に2便担当していたのです。
  各店舗の配送量は、日によって異なりますが、1日約480ケース、重量にして約7200キログラムでこれを、トラックに手作業で積込まなければなりません。各店舗では、カート車に乗せて運ぶのですが、配送量の多い店舗では120ケースもありました。
 そして、西原さんは、有給休暇を平成元年7月に2日とっただけで、欠勤は4年間ゼロ、毎月2ないし3日の休日出勤をしていました。
 西原さんは、平成3年1月中頃よりめまいや不整脈を訴え、同年2月6日には医師の診察を受け、薬を飲みながら仕事を続けてきました。
 そして、同年2月20日からは、茨木センターの仕事に変わり、出勤時間は従来に比べて30分遅くなり、走行キロ数や拘束時間も減りましたが、それでも1日3時間30分の時間外労働をしており、従来と全く異なるコースを担当することになって、かえって精神的なストレスは増大しました。
 そして、前述のとおり、同年2月23日、突然死亡してしまったのです。

3 審査請求の判断
  しかし、大阪労基局は、西原さんの審査請求を棄却しました。その理由は、「被災者の死亡は、過去七年間に及ぶ過重負荷が認められるとはいえ、直前の業務は、特に過重な業務であったとは判断しがたく、医学的にも業務との間における相当因果関係を認められないところから、本件死亡を業務上の事由によるものとみとめることばできない」というものでした。
 すなわち、西原さんは、昭和58年9月入社以来、午前4時30分から午後5時ないし6時ころまで、早朝から13時間もの長時間拘束される勤務を続けており、また西原さんが担当していた王寺コースは、配送先店舗数、配送量こおいて最も多いコースであったことが認められ、休日については、不定期で、月2ないし3日という状況が発症2カ月程前まで続いていたもので、1カ月の時間外労働は、常に100時間を超えていた事などから、慢性的に過重負荷があったものと推測するとしながら(過重負荷の認定)、発症2カ月前からは週1日の公休日は消化されており、発症直前の平成3年2月20日から業務が変更になり、出勤時間は30分遅くなっていること、業務内容は、午前午後1便ずつで1便1店舗であり、2便は堺方面の配送とし、そのまま堺出張所に帰るよう配慮されていたこと、トラックへの積載はキャッシュのついたカゴ車を荷台と同じ高さのバースから移動させるものであり、下ろすときはパワーゲートを使用するので特に重労働ではないなど、業務は軽減されていたものと推察されるとし(直前の特に過重な業務の否定)、また、棚橋医師、東医師、澤田医師、田内医師の意見によれば、西原さんの死因は不整脈についての関与も否定しがたいが、急性心筋梗塞と考えられるとの意見が多数をしめており、私たちの提出した東医師を除いて業務との相当因果関係については、否定的であると(医学的因果関係の否定)されてしまいました。

4 行政訴訟を提起
  しかし、右審査請求の判断は、いわゆる新認定基準で広げられた部分(直前1週間に日常業務を相当程度超える業務を継続していた場合)の当てはめをしていません。これをすると、西原さんの場合は、業務上になっていたはずだと思います。
  また、不整脈を訴えながら仕事をしていたという複数の元同僚の証言がありながら、健康診断が過去1回しかなされていなかったこともあって、医学的根拠がないと軽視されているのも問題と思います。
  いずれにしろ、医学的な意見が別れていることもあり、再審香請求だけでなく、行政訴訟も提起することにしました。

5 支援組織の結成を
 西原さんの労災認定闘争は、当初は私1人で担当し、会社の協力も得られなかったこともあってなかなか進みませんでした。しかし、当初から1人の元同僚が協力してくれ、また、他の弁護士の加入と、交運共闘や運輸一般の活動家の協力によって業務内容の解明が進み、とりわけ、審査請求の終盤になって、会社を退職した同僚が西原さんの直前の業務について証言してくれ、私は、正直いって、労災認定がとれるのではないかと思っていました。
 しかし、その結果は、棄却で、労災認定闘争の難しさを痛感しています。
 今後行政訴訟を提起して闘うことになりますが、やはり多くのかたの支援で裁判所ないし労働保険審査会を包囲していくことが是非必要だと思います。
 請求人の西原松子さんは、「家族の会」にも積極的に参加し、過労死の認定を勝ち取りたいと頑張っています。西原さんの支援組織の結成を関係各位にお願いすることにしましたが、ご協力をお願いしたいと思います。
 なお、弁護団は、私の他、岩城穣、豊島達哉、坂本団、の各弁護士です。
(民主法律233号・1998年2月)

1998/02/01