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労災給付の遅延と遅延損害金請求の正当性について─ある過労死事件における遺族年金給付の遅延に対する遅延損害金請求訴訟の報告と問題提起 弁護士 小林保夫(民主法律時報299号・1997年2月)

弁護士 小林 保夫

一、労働災害における遺族年金の支給決定の遅延の実情
 たまたま昨年11月15日付の新聞は、同月14日、岐阜地裁において、ある労働者の遺族が、当該労働者の死亡が労働災害を原因として発生したものであるとして遺族年金等の支給を請求したところ、労働基準監督署がその業務起因性を否定して不支給の決定をしたのに対して、この決定の取消を求めて争っていた事案について、裁判所が右の決定を取り消す旨の判決を言い渡したとのニュースを報じていた。
 1986年(昭和61年)3月4日の事件の発生後、実に10年8か月を経過した後の判決ということになる。
 そして同判決に対して労働基準監督署が控訴して争うことになれば、事件の確定と年金の支給は、さらに遅延することになるのは言うまでもない。
 私がここに報告する事案も、外国航路に就航していた定期貨物船の船長の1986年(昭和61年)7月9日発生の死亡事故について、社会保険庁が、業務起因性を否売して遺族年金不支給の決定をしたために、遺族たる原告においてこれを争うことを余儀なくされ、東京高裁で1995年(平成7年)2月28日言渡の判決の確定をみるまで、実に9年8か月を要したのであった。
 少しでも社会的な関心を持つ者であれば、このような事例が、実に枚挙にいとまがなく、深刻な社会問題の一分野をなしていることを容易に察知できるであろう。
 実際、報告によれば、近時、裁判になった結果われわれが把握できることになった死亡事故の事例だけでも50件に近いのである。

二、遅延損害金請求の社会的正当性
1、学生・児童や幼児を抱え、一家の生計の中心であった働き盛りの労働者が、就労中死亡し、あるいは障害を負うことになり、突然収入を失うことになった場合、遺族や家族が、生活、教育などの点でどのような苦痛と不利益を余儀なくされることになるかは言うまでもない。
 多くの場合、労災保険金の支給は、このような事態に対する遺族や被災労働者を抱えた家庭のほとんど唯一の生計のよりどころである。
 ところが、労働基準監督署が保険金の支給要件に関する認売を誤った結果、遺族等が10年前後にものぼる長期間年金等の支給を受けることが出来なかった場合、どのような事態を惹起するか、これも想像に難くない。
 長期の係争の結果国の判断の誤りが是正されたとしても、多くの場合遺族等の生活や人生のありようは取返しがつかないであろう。
 したがって、国によるこのような判断の誤りの発生が避けられなければならないことは言うまでもないのであるが、かりにこのような事態を生じた場合、せめて国が、その判断の誤りによって保険金の支給の遅延を来したことによって、受給権者に生じた損害の支払をなすべきことは、論をまたないと言うべきである。
 従来労災保険金等の支給の遅延について、遅延損害金請求にかかる事例、裁判例を見なかったのは、受給権者が、不支給決定の取消を求めて争った長年月にわたる裁判等の苦闘の結果、ようやく支給を受けることが出来るにいたった時点で、これに満足し、あるいは精力、資力を使い果たしたため、さらに、長年月に及ぶ遅延という事態に対する責任の追及にまで思い及ばず、あるいは余力を残さなかったことによると思われる。
2、本件報告にかかる事案はまさに保険金の支給の遅延について、遅延損害金の支払を求めて争っている事案である。
 本件において、もし社会保険庁が、原告の当初の申請に対して正当な判断と処分を行っていたとすれば、原告は、死亡事故のあった1986年7月から処分に必要な期間を経過した後各支払期日毎に、所定の年金の支払を受けることが出来たのであり、その後約10年を経た後に遡及して一括して支払われた年金について右の本来支払われるべきであった各時期以降実際に支払われた時点までの遅延損害金を計算すると、民法所定の年5分の利率によっても約400万円に達するのである。
 原告にとってこのような事態と損害は看過できないものであった。
 そこで原告は、1996年3月、神戸地方裁判所に対し、国を被告として、さきの年金支給の遅延について遅延損害金請求の訴訟を掟起した(同裁判所平成8年(行ウ)第14号)。
 ところがこれまでのところ国の応訴態度は、これらの点に対する洞察を欠くもので、裁判により不支給決定が取り消されたとしても改めて国が支給決定をしない限り国民に具体的な給付請求権を生じないのであるから支給の遅延を生ずることにならないなどという権力的ないし官僚的論理を弄することで足れりとするもので、不誠実極まりないものである。
 そして、後述の阿部泰隆教授の意見書の内容をそのまま授用した原告の主張に対しても、法廷においてなんら反論するところなく、口頭で「争う」と述べたのみであった。
3、なお、ここで付言したいが、本件は、船員保険制度における遺族年金の支給請求にかかる事案であり、さきに言及した事案も労働災害における保険金請求にかかるものであった。
 しかし、国の給付行政は、単に労働災害保険に限らず、社会保障制度の全分野にわたる。したがって、本件裁判の帰趨は、広く国の給付行政のありかた、とりわけ給付要件の存否に関する判断の誤りや支給の遅延による国民の権利の侵害とその救済のありかたの点で深く国民の利害にかかわっているものである。

三、本件請求の法律的正当性
 私は、本年遅延損害金の請求が、法律上の根拠を有することは、金銭債務の支払の遅延に関する民法所定の原則によって明らかであると考える。
 しかし、私は、被告国の主張にかんがみ、神戸大学法学部阿部泰隆教授の労を煩わせ、「年金不支給裁定の取消しと遅延利息」という本件の争点たるテーマについて、国と国民の間の債権債務・給付行政に関する現行法上の関係規定、公法関係における私法の適用と遅延利息の取扱い、年金の給付に関する裁定の法的性格と遅延利息の発生、ドイツの社会保障制度における裁定の遅延と遅延損害金の取扱いなどについての詳細な分析と検討を得ることが出来、これによって本件における遅延損害金請求の法律上の正当性を明らかにした(ちなみにこのようなテーマについての阿部教授の検討と分析は、前例を見ないもので、きわめて貴重であると考える)。
 以下に、本件において原告が、本件請求の法律的論拠として裁判所に提出した教授の意見書の要旨を紹介する(なお教授は、後日国の反論を踏まえてさらに検討を加え論文として発表を予定したいとのことなので、ここでは裁判所に提出した意見書の要旨の紹介に止めることを了解されたい)。
1、教授は、まず本件について、同教授が年来研究してきた行政処分の取消判決の事後措置の諸問題の延長線上の問題として強い関心を吐露したうえ、さきの諸点の検討に入る。
2、教授は、国と国民の間の債権債務・給付関係をめぐる法律の規定について、利息を付さない法律、国民から利息を取る法律、国民に利息を付して支払う法律などの整理・点検を行い、その不統一・不備を指摘する。
 そのうえで、年金の場合も、年金の受給権者は、支給の遅延によって不利益を被るにもかかわらず、年金の支給者たる国は、遅延の間本来払うべき年金を払わずに運用し、利息相当分の利益を得ることが出来ることになり、その利息を年金の権利者に払わないのは公平を欠くもので、本来遅延利息を付すとの規定を置くべきであったとする。
 そして一般に、国の国民に対する給付の遅延について、遅延利息の支払をする規定を置かないのは、「役人無謬論を前提する法制度であり、現実に適合しないのであるから、できるだけ解釈で補わなければならない。」とする。
3、そして教授は、以下法の適用に関する解釈論を展開し、公法関係における私法の適用に関して、「一般的にいって、期間の計算とか信義則などの法の一般原則は公法関係にも適用がある。」としたうえ、「遅延利息は当事者間の経済的な利害の調整の問題であるし、公法関係なら、遅延しても、利息を払わなくてもよいという理由は存在しないから、遅延利息も法の一般原則に該当するというべきである。」という。
 そして「国民の方から国家に(遅延利息を─筆者)請求する場合には、当該関係法律の立法者が遅延利息の規定をおかなかったからといって、それを受領できないのは、国民に不当に不利であるから、国家が勝手に法の一般原則に反するルールをおくことができるのかが疑問で、可能としても、その旨明文の規定が必要ではないかと思われる。」、「船員保険法、国民年金法、厚生年金法、国家公務員等共催組合法、地方公務員共済組合法では、年金の裁定を誤ったとき、遅延利息を払うという規定はたしかにないが、遅延利息を払ってはならないと、民法の規定を排除する規定はない。この場合には、法の一般原則である民法の適用を排除するほどの明確な立法者意思が表明されたとはいえない。」とし、法の解釈としてもこれらの年金の支払の遅延について民法の原則が適用されるべきものとする。
4、次に年金支給の遅延という事態の発生について、本件において国は、年金請求権は、事故などによって抽象的には発生しているとしても、裁定によって初めて具体化し、遅延という事態を生ずるのであり、それ以前の段階において抽象的な請求権の存在によっては年金支給の遅延という事態を生ぜず、遅延損害金を論ずる余地はない、と主張する。したがって国の見解によれば、民法の適用を論ずる以前に、当初処分が裁判で取り消されても、新たな支給の裁定がなされない限り、そもそも遅延という事態が生じないというのである。
 この点について、教授は、保険給付請求権の法的性格を検討し、抽象的な保険請求権と裁定によって生ずる具体的な保険請求権を分別する制度の趣旨は年金の裁定を経ない民事訴訟による年金請求を禁止する点にあり、「請求権の抽象性なり具体性と、遅延利息の発生いかんとは理論的に関係がなく、」国の主張は失当であるとする。
 ちなみに、ドイツにおいて、社会保障制度における給付について支給の遅延を見た場合には、請求権の発生時点から実際に支給が行われた時点までの期間について給付金に対して遅延損害金を支払わなければならないとされており、これも「債務の抽象性、具体性と利息の発生とは無関係である」こと、「むしろ債務が抽象的でも、遅延利息は発生するという法律構成が可能である。」ことを論拠付けるものであるとされる。
 このような理論構成を支持するわが国の裁判例として教授は、区画整理の清算金をめぐつて、公法上の金銭請求権についてその抽象的な発生時点から利息を付すべきだとした裁判例をあげる。
 以上の検討を踏まえて、教授は、「年金の場合の解釈論としても、年金の申請に基づいて必要な調査を経て資格を確認の上支給されるものであって、裁定はもともと客観的には存在する年金請求権を確認するにとどまり、この権利を創設するものではないから、資格のある者に対しては調査に通常必要な期間を徒過すれば、遅滞に陥ったと解すべきである。」と結論するのである。
5、教授は、その後、遅延利息の利率について民法404条を適用して年5パーセントとするか、あるいは公法関係の一般原則の類推適用として税法における還付加算金の利息の利率年7.3パーセントとするかの選択がありうるとする。
 また遅滞に陥った時期については、国税通則法の還付加算金の起算日、または行政手続法6条の定める標準処理期間を参考にし、船員保険法の遺族年金の申請に関する標準処理期間50日前後を基準とし、この期間を過ぎた時点において支払債務が遅滞に陥ったものとして扱うことが適切であるとする。

四、おわりに
 私は、本件について、当初、遺族年金の支給の遅延に対して遅延損害金の支払がなされるべきであると考え裁判を提起した時点においては、本件が必ずしも国の給付行政全般にかかわる重要な意味を持つことを明確には意識しなかった。しかし、裁判の進行のなかで、とりわけ阿部教授の示唆を得て、私は、本件請求が、単に本件原告の利害にとどまらない重要な意義を有することを理解するに至った。
 すなわち、本件は、国の国民に対する各種の給付の遅延が許されず、遅延をした場合は遅延損害金の支払をすべき当然の事理を明らかにするとともに、国に対して、給付の遅延について損害金の支払という現実の不利益・負担を負うことを求めることによって給付行政とそこでの権利救済における厳正・迅速を促す意義をもあわせ有すると考えるものである。
 私は、もし私の以上のような理解に基本的な誤りがなければ、多くの皆さんが本件の意義を理解され、あるいは本件を一つの問題提起として受け止めていただき、議論を起こすとともに、関係する事案において遅延損害金請求を行う契機となり、さらにはこの趣旨に沿った立法上の整備が行われることを期待するものである。
〔注記〕ちなみに本件請求訴訟は、1997年2月3日結審し、4月28日判決言渡が予定されている。
(民主法律時報299号・1997年2月)

1997/02/01