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書評「企業中心社会の時間構造 生活摩擦の経済学」(森岡孝二・著) 弁護士 岩城 穣(民主法律時報285号・1995年8月)

評者 弁護士 岩城 穣
 (大阪過労死問題連絡会・弁護士)

一 近年、あちこちで「企業社会論」が盛んである。それは、年間1万人を超え、交通事故の死者よりも多いといわれる 「過労死」、会社の辞令一つで夫や父を家族と何年間も引き裂く「単身赴任」などによって象徴される、現在の企業中心社会をどのようにとらえるか、それはどのように形成されてきたか、それを変革していくにはどのようにしたらよいか、といった議論である。
 その議論は政治学、社会学、家族関係学、法律学など多くの社会科学の分野からアプローチが試みられ、またルポライターや評論家、日々事件活動や社会運動に携わっている弁護士などによっても行われている。そして、近時は、経済企画庁などの政府関係機関においても、「企業中心社会」を問題にする政策文書が次々と発表されるに至っている。
 本書は、経済学、とりわけ労働時間論の立場から精力的に企業中心社会を論じてきた著者の、近年の研究の一つの集大成といえるものであり、今後、様々なアプローチや議論のベースとされるに値するものといえる。

二 以下、本書の各章について、概略を紹介する。
 「第1章 日本的働きすぎのメカニズム」は本書の序論であり、本書の主題である今日の日本における企業活動と個人生活の摩擦という観点から、過労死・サービス残業・家事労働をワンセットに取り上げ、本書のアウトラインを示している。

 「第2章 戦後日本の経済成長と企業中心社会の形成」では、戦後日本の経済発展の特質と企業中心の社会経済システムの形成をあとづけ、また「企業中心社会」の見直しの必要性を論じる近年の政府関係械関の政策文書を紹介し、かつその弱点を指摘している。

 「第3章 企業中心社会と労働時間の二極構造」では、冒頭に「現在の日本においては、正確な労働時間を把握すること自体が、たたかいの課題である」という川人博弁護士の言葉を引用したうえで、過労死を生む日本的長時間労働の実態、特に1970年代後半からの十数年間の労働時間の構造変化の分析結果を論じている。そのポイントは次の2つであると思われる。
 第一に、政府の労働時間統計では1975年以降、年間労働時間はほぼ横ばいのように見えるが、それは労働時間の二極分解、即ち一方での男性の正社員を中心とする所定外労働時間の増加と、他方での女性を主力とする非正規労働者の増加がともに顕著に進んだこと(労働時間の性別分化)の「相殺」の結果に他ならないこと、そして過労死は、週60時間(年間約3100時間)以上働く「超長時間労働者」(男性の4人ないし5人に1人の割合)の層から発生しているということである。
 第二に、労働省の行っている「毎月勤労統計調査」(企業に質問し、企業が貸金台帳をもとに回答する)と、総務庁の行っている「労働力調査」(勤労者に直接就業時間を尋ねる)との差から、賃金の支払われない「サービス残業」が、労働者一人について年間300時間を超えているということである。

 「第4章 日本的生産システムと過労死」では、日本の生産管理システムは、労働時間構造と同様に、第一次オイルショック後の減量経営をとおして大きく変貌を遂げたが、それを支えた条件は「生産技術ではME技術革新と情報システムの革命的変化、作業組織ではトヨタシステムの全産業的普及」であったことを論じている。
 そして、「製造業における超長時間労働と過労死」の例として椿本精工平岡事件を、金融業における超長時間労働と過労死」の例としてエース証券亀井事件と富士銀行岩田事件を、詳細に紹介している。
 そして最後に、日本的経営における労働者の参加が「自発」か「強制」かという従来の議論について、「自発はそれ自体が強制されたものであり、したがって参加も強制されたものであること」、この強制のメカニズムは、職場の小集団活動や人事考課などの企業内のシステムに組み込まれているだけでなく、すべての働く人々を企業の存立と成長に駆り立てる日本の社会システムの総体に組み込まれていることを指摘している。

「第5章 サービス残業-奪われた自由時間」では、蔓延するサービス残業の実態を各種の調査結果をもとに詳細に明らかにしたうえで、サービス残業による年間不払賃金の総額(1993年で27兆円)、サービス残業を含めた残業の推定実質時間給(1993年で、パート労働者の時間給889円の半額以下である412円)などを算出し、日本の企業がなにゆえに残業に依存するのかを明らかにしている。
 そして次に、労働者にサービス残業を強制でき、労働者がそれを受容する直接・間接の誘因として、(1) 残業規制を欠いた労働基準法、(2) 残業規制に非力な労働組合、(3) 長時間残業の恒常化、(4) ホワイトカラー労働者の増大、(5) サービス残業を強いるノルマ経営、(6) ずさんな労働時間管理、(7) 日本的雇用慣行と企業内福祉が生む会社人間、(8) 自由時間・余暇時間の価値の軽視、の8点を挙げている。
 最後に著者は、「サービス残業において、人びとが実際に失っているものは、不払賃金であるというより、むしろ自分のための、家族のための時間である」と説き、「サービス残業をなくすことは、労働時間短縮運動のもっとも急を要するもっとも切実な課題である」と結んでいる。

 「第6章 雇用の女性パート化と労働時間の性別分化」では、第3章で述べられた労働時間の二極分解と表裏一体のものとして、「労働時間の性別分化」の構造があり、雇用労働時間は「男は残業」「女はパート」に、家事労働時間は「男は仕事」「妻は家庭」に、それぞれ引き裂かれていることを詳細に明らかにしている。

 「第7章 現代日本の時間文化と家庭生活」では、現代日本の労働者の職場生活と家庭生活における時間文化の貧困を、各種の統計資料の分析や過労死犠牲者の手記(八木事件、要田事件)の紹介もしつつ論じている。
 また、特に家事労働に注目し、男性労働者が過労死するほど働くことを可能にしている背景には、90パーセント以上の家事を負担し、夫の収入労働時間とほとんど同じ時間数の家事労働を行う専業主婦、仕事と家事の二重の負担を背負わされ、収入労働時間と家事労働時間を合計すれば夫よりも週に10時間半も長く労働している共働きの主婦の長時間労働があるという意外な事実を明らかにしている。そして締めくくりとして、時間文化の変革の諸条件を探り、「文化の権利」を宣言する。

 そして、「第8章 1800労働時間計画の検証」では、近年の労働時間短縮政策の変遷を概観したうえで、1800労働時間社会の実現のための条件と、現段階での時短推進に向けた労働組合と企業の取り組みの特徴を述べ、「第9章 企業中心社会の変革と労働時間の制限・短縮」は、本書のまとめとして、「高圧釜」の企業社会を変草していくための課題を具体的に明らかにしている。

三 本書における著者の考察と論述は、極めて具体的で説得力に富んでいる。
 その理由としてはまず第一に、政府の労働時間統計をはじめ豊富な各種の労働時間統計を緻密に分析していること、数多くの文献を紹介するとともにこれに批判的検討を加えつつ、著者の主張を論じていることにある。
 いま一つの理由は、重要な論点ごとに、その根拠あるいは具体例として、現在労災申請や裁判闘争を闘っている多くの具体的事件における被災者の労働時間や手記などを紹介し、また「過労死110番」の相談結果やアンケート結果を引用するなどして、読者が自らや周りの労働者の働き方と重ね合わせ、あるいは具体的にイメージすることができるようにしていることである。

四 このような論述は、著者の深い洞察力に加え、著者自身が1989年以来、自らを我々大阪の過労死をなくす運動の中に身を置いて、平岡事件など過労死の裁判を傍聴し、過労死をテーマにした劇「突然の明日」の上演連動にも参加する中で、「過労死を考える家族の会」をはじめ遺族や支撰者たちと語り、交流してきたからこそ可能であったものといえよう。
 過労死110番運動は1988年4月に大阪で始まり、同年6月以降から全国ネットに広がり、現在に至っているが、本書にまとめられた著者の労働時間の研究は、その歴史と共に歩んできた。
 それ故、本書は、著者自身のこの間の研究の集大成であるとともに、我々過労死問題に取り組む弁護士や過労死の遺族・関係者にとっても、運動の大きな成果ということができ、本書の刊行は、我々にとっても大きな喜びである。
 企業中心社会の変革を望む一人でも多くの方々に、是非一読をお勧めしたい一冊である。
(民主法律時報285号・1995年8月)

1995/08/01