過労死問題について知る

HOME > 過労死問題について知る > 勝利事例・取り組み等の紹介 > ◇4年間の労災認定の闘いと、今の思い 翁長昌代(民主法律226号・1996年2月...

◇4年間の労災認定の闘いと、今の思い 翁長昌代(民主法律226号・1996年2月)

4年間の労災認定の闘いと、今の思い
                               翁長昌代
  昨年12月28日、主人の過労死について、中央労基署で労災認定がなされました。
  一口に4年間と言っても、私にとっては長く暗いトンネルの中の生活でした。長男の就職や次男の受験と心の痛む事の多い中で、仕事もしつつ、闘争の生活と生きるための生活を両立することは、一言で言い尽くせないものがありました。
  思えば1992年1月3日、日本中がお正月で楽しくにぎわっている最中、我が翁長家に突然の沈黙が襲い、言葉では表現てきない、悲しい日となりました。あの日、虫の知らせでしょうか──主人の生命の危険をなぜか感じ、営業所に主人の容態を連絡したにもかかわらず、私の要請は、会社の管理職に踏みにじられ、主人は昇天してしまいました。喘息の持病を持った夫は、疲労の蓄積から破局へと進んでしまったのです。
  夫の突然の死、身体の水分の全部が涙となって流れてしまうかと思うほど、悲しみの感情がとめどなく涙を流させる日々が続きました。2人の子供は、あの時はお母さんに声をかけることもできなかったと、後で聞かせてくれました。子供たちの悲しみも考えず、自分だけか悲劇のヒロインのようになってしまったような気持ちであった当時の自分を、後になって反省をしたものでした。
  「泣いてはいられない、何とかしなければ‥‥。そうだ、労災の申請をしよう」そう思い立ち、家族に相談したところ、全員反対でした。「死んだ人は帰らない、しんどい思いをするな」これが家族全員の答えでした。1人で近鉄本社へ乗り込んで、部長、課長と何回も話合いをしました。課長の答えは、「奥さん、翁長君は二十数年間も良く働いてくれました。貴女がここで騒ぐことで、彼のロマンはどうなるか考えてみて下さい」というものでした。私は心の中で叫びました。『課長、あなたの部下が死んだんですよ。まだ50歳にもならない若さで‥‥。そんな事、よく言えますね。あなたの部下に対するロマンこそ、いったいどうなってるの?』 こんな課長の下で働いていた主人か、とてもかわいそうでなりませんでした。
  主人が死亡したことで会社は慌てふためき、小さな営業所の一運転手の為に、会社のバスを出し、営業所の全社員を葬儀に出席させ、大変な騒ぎでした。その慌て方一つを見ても、自分たちのミスを公表しているようなものです。葬儀の日、会社の点呼担当の助役が一日中私の家で大声で泣いているので、何も知らない私は、主人のために、あんなに悲しんで下さっている人がいるんだなあと思ったものでした。
  そんな助役が、私が労災申請の話を出すと、手のひらを返すように会社側につき、人間の醜さをいやと言うほど知らされた思いでした。あの大声で泣いたのは何だったの‥‥?  課長にしても、バスまで出して精一杯のことをしたつもりでしょうが、死ぬ前にそれをしてほしかった。1分1秒早く救急車を呼び、人命を救ってほしかった。従業員に対する安全配慮というものが、近鉄にはありません。現代社会では当然のことを、近鉄ともあろう大企業か、全く行っていないのです。
  生命よりも企業利益を優先させるという、大企業の非人道的横暴によって、尊い生命か奪われました。これこそ明白な「企業殺人」であり、犯罪的な労働災害と言わなければなりません。
  人・命を預かる交通労働者が、お客様を巻き添えにして過労死するようなことだけは、絶対にあってはなりません。せめてお客様を巻き添えにすることなく終点まで行った主人のお客様に対する思いを、とても立派たったと、毎日お仏壇の前で褒めてあけています。
  さまざまな過酷な労働条件が過労死のきっかけになっていますか、それら一つ一つを見ると、今の企業社会では当たり前になっており、誰かか倒れないとそれが異常と気かつかないほど「日常化」しています。不幸にして倒れた家族の救済、過酷な労働条件とそれの健康への影響の究明と予防のために、労働者の闘いを強化せねばならないと考えます。過労死の闘いは、人間の尊厳を求める闘いです。
  幸いにして私は、業務上の認定を勝ち取ることができました。これは、素晴らしい弁護団と、『君の汗と涙は、俺たちのもの』という素晴らしいロマンを持った私鉄の仲間、そして大阪交運共闘会議の皆さんから大きな支援を得、大きな愛に包まれ、たくさんの良い人たちに恵まれて勝ち得た認定であり、多くの皆さんと共に喜び合いたいと思っております。4年間という長い月日を、本当に心強く過ごすことができ、支援して下さった各労組の皆様、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
  そして、今闘争中の皆様、何も分からなかったこの私でも、頑張ることができました。どうか粘り強く頑張って下さい。少しでも時間があれば、労基署や労基局に足を運び、どんなささいな事でも訴えて、わかってもらって下さい。最後に、健康に気をつけて‥‥。
  ともに頑張りましょう。
(民主法律226号・1996年2月)

1996/02/01