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書評「時短革命 ゆとりある私的時間」(藤本正・著) 弁護士 岩城 穣(民主法律時報274号・1994年6月)

書評 『時短革命 ゆとりある私的時間』
藤本 正・著(発行・花伝社 定価2800円】

弁護士 岩城 穣

1、「時短」─この言葉は、過労死が社会問題として共通認識になり、かつバブル経済が急速に翳り、崩壊した1990年前後には流行語となったが、最近の深刻な経済不況のもとで、パートや派遣労働者はもとより、正社員や管理職の「雇用調整」の嵐が吹きすさぶなかで、今や過去の言葉になってしまった感がある。
 しかし本書の著者もいうとおり、長い間の長時間労働の代償が「雇用調整」では、あまりにも無残な人生である。長時間、無定量の労働を前提とした、これまでの企業経営のあり方を、不況のいまこそ見なおすべきであろう。現在の「企業社会」のひずみを構造的に改善するキーワードが「時短」であり、不況のもとでサービス残業がいっそう広がり、残業カットによる収入減に労働者が怯えている今こそ、改めて「時短」の原点に立ち返る必要がある。

2、本書は、実に豊富なデータや資料を用いて、現状をリアルに認識させてくれる。様々な角度からの各種の調査結果を豊富に紹介し、長時間労働やサービス残業の形成過程や現状、実態が統計的に理解できる。そして、それを裏付ける具体的事件や新聞の投書などもふんだんに紹介され、また、著者の外国旅行の経験や外国人の友人も多く、諸外国との比較も実によくわかる。
 そして、それを通じて、「200時間ものサービス残業を含めると、最大700時間も欧米諸国より長い労働時間と、長時間の通勤のもと、日本の勤労者には家族と一緒に夕食をとるという家庭のいこいの原点も、地域の生活も満足になく、帰って寝るだけの毎日である」ことを明らかにし、「これは近代文明国家に生きる、働く市民の姿ではない」(まえがき)とする。

3、その上で本書は、著者の豊かな人権感覚、憲法感覚に裏付けられた、極めて基本的だが示唆に富むテーゼを述べ、更に、立法論を含めて、具体的な政策掟言を行っている。
 すべてを紹介することはできないので、以下、私の印象に残ったくだりを、少しだけ紹介する。
【恒常的残業について】
 8時間労働制は、近代社会においては、働く者のマグナカルタであり、それこそが近代社会の働く者の人権を保障した。残業が常態化し、残業手当がなくては生活できないとしたら、それは10時間労働、11時間労働の社会である。
【サービス残業について】
「代価を支払わずに商品を取得できない」これは、商品取引の鉄則である。
「汝、ひとの物を盗むことなかれ」聖書の時代から、遊牧民の社会では、生産力である牛馬を盗むことは死刑に値した。労働力は、働く者の唯一の商品であり生産力である。どんなことがあっても経営者は労働力をただで取り上げてはならない。
【余暇とは何か】
 日本の働く者は、まず、休日、休暇にゴロ寝をするべきなのだ。「ゴロゴロ」しなければ、亭主は過労死するのだ。ゴロ寝で充電したあと、本を読めばよい。時間が余り、自然に本が読みたくなる─それだけの時間がなければ「余暇」とはいえない。
 日本の経済的豊かさは、新しい形態の貧困=「知的精神の貧困」を生み出している。知的批判精神は、現代社会に生きる近代的社会人の本質的な属性のはずである。それこそが、社会的正義感情を支え、現代社会を正常に機能させる原動力である。超過密の長時間労働と長時間通勤とは、働く者が家に帰りついたとき、本を読む気力をも奪った。それは社会の矛盾を学び、「社会的弱者を守る」という、働く者の本来もつべき姿勢すら後退させた。「ゆとりある余暇」の喪失は、無数の「正義の使者」の出現を著しく後退させている。

4、このようにして本書は、現在の日本の長時間労働やサービス残業の形成過程と現状を明らかにするとともに、名実ともに8時間労働制を確立し、ゆとりと余暇を確保することは基本的人権であること、日本でそれを行うことはまさに「革命」であることを結論づけている。
 「子供の時代にも仕事の時代にも遊びを、そして、仕事と老後の時代にも学ぶことが、いま、求められている。それが、人生60年時代から、80年時代に入った、新しい人生なのである」
「時間短縮を目指すことは、現代日本の人権宣言であり、新しい近代日本の『革命』である」
 現在の企業社会の変革を求める、すべての人々に、是非読んでほしい一冊である。
(民主法律時報274号・1994年6月)

1994/06/01