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D校長過労自殺事件 弁護士 大橋恭子 (民主法律243号)

弁護士 大橋 恭子

  「いじめのない、人の思いがよくわかり合える世の中になって下さい。……。苦しみ、苦しみぬきました。申し訳なく存じます。交通事故のない世になって下さい。」  このような遺書を残して、当時、小学校の学校長だったDさんが自ら命を絶ったのは、平成一一年三月下旬のことである。
 事の発端は、その二年ほど前に起きた、D校長の所属校の児童が交通事故で死亡したという出来事であった。帰宅後の事故で、学校側に責任はなかったものの、葬儀の際のD校長の対応、葬儀後の担任の対応等に不満を募らせていた児童の母親から、その後の平成一〇年一一月初め頃より、様々な苦情、抗議を受けることになる。
 当初、母親の攻撃の矛先は、亡くなった児童以外の自分の子供の担任の教諭に向けられていた。しかし、その教諭から納得のいく対応を得ることが出来ないことが分かると、教諭だけでなく、責任者であるD校長にも非難、攻撃が向かうようになった。教諭が母親からの非難も原因となって体調を崩し、入院のため学校を休みようになってからは、D校長が攻撃対象の中心となった。
 その態様は、ほぼ毎日のように学校へD校長あてに電話をかけてくる、学校に直接訪問してくる、時には、自宅にまで、電話がかかってくるという執拗なものであった。多い日には一日に七回、一回の電話の時間が、二、三時間に及ぶこともあった。記録に残っているものだけでも、電話の回数は七〇回を超えた。
 また、その苦情の内容は多岐にわたり、次から次へと新たな問題点が持ち込まれた。
 教育委員会に宛てたD校長作成の約四ヶ月に亘る母親とのやりとりを記した報告書は、手書きで七〇ページにも及ぶもので、母えの応対が精神面でどれほど大きなストレスを与えたものであったか想像に難くない。
 平成一一年七月に発表された地方公務員の過労自殺に関する新認定基準に挙げられている「組織の責任者として連続して行う困難な対外折衝または重大な決断等」に該当することは多言を要しない。
 母親の要求が激しくなるなか、教育委員会に相談をし、もはや話し合いでの解決は困難である、いわば限界を感じ始めたD校長は、弁護士会へも相談に行く。しかし、その直後、教育委員会から受けたアドバイスは、「学校として精一杯誠意を持って対応していること、繰り返し、繰り返し、学校側の願い、思いを保護者に伝えるように」というものであった。学校として対応すべきこと、D校長個人としてもやれることはすべてやりきり、もはや通常の方法ではどうにもならないからこそ、教育委員会へ行き、弁護士会にまで相談にいった後に、このようなことを「アドバイス」として受けたのである。
 その直後ぐらいから、D校長は、「どうしたらええ、何もする気わかへん。」「もう学校へ行くのがいや。何もかもが崩れていくような気がする。」「もう処理能力ない。生きていきたい気持ちがなくなっている。」「夜が明けるのかがこわいねん。」などと、家族に漏らすようになる。
 そして、心身ともに疲労困憊したD校長は、平成一一年二月下旬にようやく精神科を受診し、抑うつ状態により三ヶ月の休養・加療が必要と診断されて、その日から入院した。それでも、入院中も、家族に学校と毎日連絡をとってもらい学校の状況を把握し、度々、学校へ復帰したいと漏らした。
 卒業式の予行、卒業式の当日には、外泊許可を得て出席した。入院してからも、学校のことが常に頭から離れず、校長としての責任を最後まではたせなかったことへの後ろめたさのようなものを、常に感じていたのではないかと推測される。
 精神疾患だけでなく、閉寒性黄疸も発症していることが判明して総合病院に転院し、医師からは安静を命じられていたにもかかわらず、三月下旬には、新年度の人事関連の重要な会議があるということで、外泊に難色を示す医師を半ば押し切るような形で、再度、自宅へと戻る。
 右会議の前日で病院から自宅へ戻ったその日の夜に、D校長は川に身を投じて亡くなった。五六才であった。
 その後、平成一一年一二月に公務災害を申請し、同一二年四月に代理人の作成の意見書を提出し、現在地方公務員災害基金大阪支部で調査中である。過労自殺に関する新認定基準が作成されてから、学校長が過労自殺を原因として公務災害を申請したことはおそらく初めての例であろうということで、新聞などにでも取り上げられた。
 その後も、同じように学校の責任者が自ら命を絶つという事例は続いている。平成一二年三月には、中学校の校長が相次いで、自ら命を絶った。D校長と同様、卒業式直後の出来事である。
 学校の最高責任者ということで学校内では相談する相手方がいない、また、教育委員会も多くの学校を抱えるなかで、一つの学校だけにきめ細やかな対応をすることには限界がある。D校長と同じような悲劇が続くことをきくにつけ、個別の事案ごとに問題点の現れ方は違うものの、根本的な問題点は共通するものと思えてならない。 とはいうものの、D校長の自死に至る経緯を読み返すたびに、教育委員会の対応の問題点を見逃すことはできない。
 D校長の死を無駄にしないよう、また、今後の同種事案の先例となるよう、是非とも、公務災害としての認定を獲得したいと考えている。
 (弁護団は、岩城穣弁護士、小橋るり弁護士、大橋恭子) 【民主法律 NO.243】

2000/01/01