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長距離トラック運転手のクモ膜下出血について、審査請求による業務上認定 弁護士 松尾直嗣・長岡麻寿恵(民主法律208号・91権利討論集会特集号)

弁護士 松尾 直嗣
弁護士 長岡麻寿恵

一、長距離トラック運転手のクモ膜下出血について、業務外認定をなした大阪中央労基署の原決定を取り消す旨の審査決定をかちとることができた(1989年2月13日付)。紙幅の関係上、右決定についての詳しい報告は別稿にゆずるが、その取り組みについて報告する。
二、伊部富夫さん(発症当時46才)は、羽曳野市所在のM運送株式会社(社員数76名、大型車72台、2トン単34台、2トン単27台保有)に長距離トラック運転手として勤務していた。
 その仕事は、4トントラックにシャープ株式会社の家電製品を藤井寺市内の商品センターで荷積して山口県徳山市内の販売会社へ配送し、帰路ば中国西濃徳山営業所で宅急便等の小荷物を京阪神に配送するというものであった。大阪、山口間は、いわゆる「トンボ返り運転」で、1週間のうち6日間はトラック仮眠席で仮眠をとるだけという、信じ難い程の長時間労働である。ちなみに発症前2週間の勤務状況は別表1の通りであった。

三、大阪中央労基署は、伊部さんが発症前9ケ月間にわずか2日しか休暇をとらず、週3回の大阪、山口往復を繰り返す労働によって慢性的に疲労していたであろうことは推察できるとしつつ「発症直前2週間の勤務内容も平素む何等変わることなく、しいていえば中元の時期で積み荷が増加していた位であるが過載はない」として業務の過重性を否定した。
 右処分後の調査官との面接では、調査官は、その決定の趣旨を、「確かに大変だったろうが、本人は現にこれまで同じ状態で働いて来れたのだから、業務外の認定は仕方ない。」と説明している。
 これは、従前の災害主義に拘泥する余り、昭和62年10月26日付の認定基準にすら反するものと言わざるを得ない。
 即ち、「日常業務に比して特に過重な業務」とは、「通常の所業務内容」に比して過重か否かが判断されるのであって、日常業務が既に過重な場合に、より以上の過重性を要求しているものではないからである。
この点について、審査決定は、本件において比較の対象となる「通常の所定の業務内容」について、平成元年2月労働大臣告示による「自動車運転者の労働時間等の改善のための基準」をあげ、右基準に比べると本件についてはかなりの基準オーバーがあり、過重性が認めらるとして、我々の主張を受容した。即ち、同基準によれは、1日の拘束時間は13時間以内(延長の場合最大16時間)を基本とし、1日の休息時間は8時間以上でなければならないところ、「拘束時間は現地における仮眠時間を休息時間とみても原処分の実地調査復命書によっても20時間程度あり‥‥当然ながら、休息時間は基準以下になる。」「拘束時間はもちろんのこと、運転時間、実作業(荷物の積卸)時間は、14~16時間であり通常の実労働時跡の際近い。」と認定したのである。審査決定の拘束時問の認定については事実認定として不満は残るが、労基署の認定事実を前提としてさえ、過重性が認められたのである。

四、本件においては、会社は組合はなく、伊部さんには後遺症として記銘障害が残存していた。また、会社はタコメーターを保管しておらず、タイムレコーダーも月4~5回の刻印しかないずさんなもので、勤務状況の客観的資料としては、翌月の行先を記した簡単な日報しかなかった。
 そこで、組合の協力を得ながら、行先から走行キロ数を算出しそこから走行時間を割り出し、発症前2週間の稼動状況の表を作成した。
 全日本トラック協会による平成元年3月、トラック運行実態調査や、運輸省の自動車輸送統計年報、前記労働大臣告示基準も、通常の所定労働の内容として利用した。
 しかし、審査決定をかちとった最大の要因は、何と言っても組(全労連南河内地区協・運輸一般)の支援である。
 全労連南河内地区協は申請当時から、一未組織労働者の本件申請を全面的に支援して取り組んできてくれた。また審査請求段階での資料集めや審査官交渉に運輸一般が果たしてくれた力は大きかった。仮眠のつらさは、やはり実感で訴えなければなかなか伝わらない。
 本件に協力してくれた西淀病院の田尻先生曰く、業務上の認定は、組合が交渉で机を叩いて灰皿を飛ばして取るものなのだそうである。
(民主法律208号・91年権利討論集会特集号)伊部富夫さん発症前勤務状況

1991/01/01