過労死問題について知る

HOME > 過労死問題について知る > 勝利事例・取り組み等の紹介 > 労組の過労死事件の支援のあり方、「支援する会」の結成・活動のポイント 大阪労働健...

労組の過労死事件の支援のあり方、「支援する会」の結成・活動のポイント 大阪労働健康安全センター事務局次長 北口修造(民主法律272号・2008年2月)

大阪労働健康安全センタ-事務局次長 北口 修造

1.はじめに  
 大阪における過労死事件を労組として取り上げたのは平岡事件が最初でした。弁護団の要請に応えて全港湾阪神支部が組織を挙げて労災認定闘争を支援しました。所轄労基署が労災認定を内示し、決定日には、全港湾阪神、化学一般等が労基署に出向いてテレビ報道の画面に映し出され、それを視た組合員は「なんで北口さんがいるのか」と後日、組合員から問われたものでした。平岡事件の民事裁判では、大阪労連の争議支援行動で被告T会社本社へ30人が押しかけました。対応した管理職が面会を「拒否」したので、「それならば社長宅前で平岡さんの法要を行うぞ!」と攻め立て、その結果、代表団とお会いするとのことで、代表3人(全大阪金属産業労組小林委員長、全港湾阪神支部関口書記長、化学一般関西北口書記長)が交渉に望みました。被告会社として次回に「常務が応対する」ことを確認しました。次回交渉で、「和解協議に応じる」ことを確約させました。
 これらの交渉経過について、原告の平岡さん家族は知ることもありませんでした。勝利報告集会には、小林さん、関口さんも招かれていませんでした。

2.大阪労働健康安全センタ-の役割
  過労死事件の「支援の会」が立ち上げられたのは西原事件でした。大阪センタ-が設立(1993年12月)されて間もなく、M市の職員のKさんのご主人がT町の公務員で過労死され公務認定闘争にM市職員労組、大阪自治労連、大阪労連・北河内地区協議会が主体となって「支援の会」結成し、公務認定させました。M市内のホテルで勝利報告集会が開催され、この席上に岩城弁護士が西原夫人を紹介され、「支援の会」を作ってほしいと要請されました。大阪交通運輸共闘(全運輸・自交総連・建交労・国労・全港湾阪神・築港)藤垣事務局長と大阪労連林争議対策部長にそのことを告げ、具体的に支援の会の骨格を提起し、準備会に営業所が所在する大阪労連・北摂地区協議会、西原さんが居住する大阪労連・堺労連も加わって頂き、名称「労災認定を勝ち取る会」、会長に本多淳亮先生にお願いして立ち上げました。この事件も「認定基準が改定」されると同時に所轄労基署が「再調査」で「不支給取り消し」を行い労災認定しました。民事裁判も一審勝利し、被告M運輸(本社・東京)との交渉で「労災認定されましたら和解協議に応じる」との確約も得ていましたので、直ちに勝利和解を得ることができました。
  広告宣伝紙の編集及び発行等を行っているJ会社のデザイナーをされていました土川さんの娘さんが過労死された時、お父さんの勤めておられる会社の労働組合掲示板に「お通夜、葬儀告別式」が告知されました。勝利報告集会で「よもや過労死事件として支援の会」の主軸になるとは思ってもいませんでした。」(武田・当時書記長)、お父さんも「娘のことなので」労組に係わりないと思われていました。この「支援の会」も当該労組、上部組織の全印総連大阪地連、マスコミ共闘(新聞労連・出版労連・広告労協・音楽ユニオン・映演)、堺労連、北区労連(会社所在地)で構成されました。この事件も民事裁判先行で和解が成立し、労災認定に被告が協力することを確約し短期間で認定させました。
  堺市教職員の鈴木均教諭過労死事件も職場の同僚の手で支援の会がつくられました。基金支部不支給決定、同審査会、本部審査会で棄却、大阪地裁でも棄却という厳しい認定闘争でした。当時の教職員組合は学校保健法の影響が強く、労働安全衛生法、労基法等については知られていませんでした。支援の運動も職場の範囲に止まり、教職員組合としての機能を発揮されていませんでした。センタ-の提起によって、堺教職員組合、大阪教職員組合、大阪労連、堺労連等が主体となって「支援共闘会議」が結成され、運動が全国的に発展し、教職員の「一言意見書」が組織され、堺市教職員はもとより、全国の教職員からも寄せられ、13年余を経て大阪高裁で逆転勝訴しました。堺市教育委員会でやっと労使安全衛生委員会が確立されました。
  夫がMマイホームSの管理職をされ過労死されたことで、草野夫人が夫の友人に同行されて相談に来られました。「拡張型心筋症」(難病)の基礎疾病も抱えておられたので、認定基準(旧)では業務上認定は難しいのではないか、各所に労働安全衛生法の条文に抵触するので、民事裁判を先行させてはどうかと意見をもうしあげました。早速、松丸弁護士に資料と所見を添えて郵送し、先生の所見を伺いました。同様の見解を示され、草野夫人と同行して所轄労基署に請求申請を取り下げました。夫が市岡高校出身で友人が大阪自治労連の役員ということもあって、即時、支援の会準備会が組織され、大阪労連・大阪市地区協議会、大阪市高教、大阪自治労連、堺労連(事業所所在地)、港区労連(居住地)、業種が建設関連なので建交労の一級建築士2名にも加わって頂き、弁護団も組織され、民事裁判で勝訴、被告会社が控訴しましたが和解に転換、労災認定に協力するとの確約のもとで労災申請、2か月後に認定(この間、認定基準が改訂)されました。勝利報告集会で「民事先行の戦略勝ち」、大阪センタ-に対して過大なる評価を頂きました。
  J中古車情報誌会社の編集業務のアルバイトをされていた21歳の息子さんの過労死事件。廣瀬勝君の労災認定を支援の会は、全印総連大阪地連を主軸にマスコミ共闘、北区労連(事業所所在地)、枚方労連(居住地)等で結成されました。大阪センタ-から立ち上げ資金の貸し付けを行いました。所轄労基署担当職員の杜撰な調査で不支給決定され、審査請求で審査官が退職された上司の陳述書を発見し、処分を取り消しました。会社に対して民事裁判を起こし、和解で勝利を得ました。母親の廣瀬さんは大阪労連北河内地区協議会の個人加盟合同労組に加入されて闘われました。
  東大阪市内のS製作所で番頭役を担って来られた大島さんの過労死事件。所轄労基署で不支給、審査請求でも棄却されました。大島夫人は決定書を持参され、その内容では、時間外労働時間はゼロ、会社提出資料(ノ-残業、売上高低下)、関係者の事情聴取では「大島さんは所定外労働していない」「時間外は事務所でお酒を飲んでいた」死人に口なしという状況でした。ただ、関係者は社長の縁戚者で労基署の担当者も審査官も疑念を抱かず不支給決定、審査請求棄却をしていたのです。大島夫人は毎日、会社門前に雨の日も事務所の電灯が消えるまで終了時間をチェックし、退職者、取引先の方々から夫の就労実態を聴取し、3名の方々から陳述書を頂いて労働保険審査会に提出しました。その陳述書3通がデスクに置かれているのを拝読して「これで勝った」と判断し、直ちに東大阪労連に連絡して、「支援の会」つくりを要請しました。準備会で大島過労死労災事案の説明、過労死認定基準ついてレクチュアをしました。そうした経緯について大島夫人は知りませんでした。この支援の会は東大阪労連が主体で、大阪労連から年間会費5万円を拠出、大阪センタ-から立ち上げ資金の貸し付けを行いました。労働保険審査会で陳述書を照会され、処分取り消し裁決書が新年早々に出されました。S会社に対する民事裁判も和解で勝利しました。大島さんも地域労組に加入し、東大阪労連に支えられた闘いでした。
 ⑦ 村田弁護士からM生命営業所長をされていた渡邉さんの過労労災事件を支援ほしい
と要請され、大阪労連大阪市地区協議会に持ちかけました。草野過労死事件の支援も経験済みでもあるし、老人保健施設介護士のけいわん労災認定裁判支援の会の中軸でもありました。準備会を金融機関ということを考慮に入れて、金融共闘(全損保、全信労、大阪証券労組、銀産労、S生命元原告)、北区労連(事業所所在地)、住吉労連(居住地)で構成し、事務局を大阪労連大阪市地区協議会に設置、支援の会を結成しました。労災認定はいち早く香川県高松労基署で決定され、民事裁判の支援に集中しました。M生命東京本社にも要請行動を行い、M生命労組にも働きがけました。この事件も和解で勝利することができました。
  全医労近畿の中村さんが来所され、岩城弁護士から国立循環器病センタ-で看護師村上優子さんの過労死公務災害認定支援について助言をしてもらうように言われたと。早速、構成団体について、全医労大阪、大阪医労連、国公大阪、大阪労連、吹田労連(事業所所在地)、大阪社会医学研究所(重田さん)、大阪職対連(梶山さん)の名を挙げ、準備会を経て支援の会が結成されました。公務災害補償請求は厚労省、人事院で棄却され、公務災害損害賠償請求裁判、公務災害認定裁判の支援闘争へと。損賠は最高裁で不受理され敗訴を確定しましたが、本年1月16日、大阪地裁で公務認定を勝ち取りました。

3.支援の会構成・活動のポイント
 ① 支援の会を構成する団体は、被災者の従事されていた産業・業種に視点を置き、支援する側の親近感、労働条件の共通性、業務・業態についても理解がしやすい。草野事件に一級建築士が加わったことが弁護団も大きな救いでした。渡邉事件もS生命保険の元原告が参加したことで保険業務について理解を深めることができました。事業所所在地の労連に加わって頂くことは、宣伝・要請行動にとって組織動員が可能であること。居住地の労連を加えることは遺族・家族の方々と日常的に接し、支えになって頂くことにもあります。
 ② 支援の会の会則・申し合わせ事項を結成総会で確認し、会長または代表者の選任は、会の看板として学者・著名人にお願いをしたり、「看板だけでは駄目だ」と労組の役員を選任したり、自主的に準備会で決めています。会費は年間会費として、1口1,000円、団体会員には最低5口をお願いしています。運営も事務局を複数選任し、事務局会議を経て役員会(幹事会)を開催しています。不定期でも機関紙を発行し、団体会員・個人会員に郵送し、裁判闘争の状況、次回裁判傍聴要請を周知しています。裁判所や関係機関への要請署名には目標・期日を設定し、要請日程等を役員会で確認します。
 事務局又は役員会からセンタ-に助言を要請されたときのみ役員会に同席するようにしています。支援の会は、被災者の遺族・家族(請求人・原告)の支援の要請を具体化し、遺族の意に反した行動を慎むようにしていますが、支援運動のあり方を請求人・原告に理解して頂くように努めています。弁護団会議には、支援の会役員は原告を支え、弁護団に意見を代弁することもあります。
 ③ 支援の会も競争意識が芽生え、大量のリーフレットの作成、のぼり、ゼッケン、事業所周辺の全戸ビラ配布、定期的に日時を設定して裁判所周辺の宣伝行動も行っています。
 大島過労死労災認定(民事裁判支援)の支援の会では、東大阪労連メーデー前夜祭に構成劇を上演し、参加者に感涙させ運動をさらに発展させました。勝利報告冊子に脚本を掲載されています。

4.あとがき
 数年前、労災職業病一泊学校関連集会(弁護士・研究者・専門家)に講演されたF弁護士が「労組は冷たい、協力してくれない」と苦言を述べられたことがありました。10年前はたしかにそうかも知れませんが、「先生の見方は形而上学的であり、もっと弁証法的に視るべきです」と厳しく批判したら、F弁護士は「そのような反論を待っていました」と弁明されました。大阪センタ-が設立してから、大阪労連の運動も様変わりしています。支援の会つくりの要請も「生きた学習の場」として捉え、労災保険制度のしくみ、認定基準、労働安全衛生法等にも関心度が一段と高まったことも事実です。
 支援の会のみに綴りましたが、労災認定闘争の支援は、支援の会が結成されなくても勝利した事例はあります。ホテルNで過労死された上田さん、作業環境で急死された山口(実弟)さんの事案、過労自殺されたFさんの審査請求で処分取り消しさせた事例など、大阪労連及び加盟組織は、定期大会で訴えの場を保障し、要請署名の協力、年末助け合いカンパから支援の会組織に一定額を給付していることを付け加えておきます。

(民主法律272号・2008年2月)

2008/02/01