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大島過労死事件の支援闘争に取り組んで~労働組合が過労死問題に取り組む意義~ 東大阪労連 河野禮三(民主法律272号・2008年2月)

東大阪労連 河野禮三

東大阪労連と未組織労働者の組織化と拡大
 中小企業のまち「東大阪」の100名以下の零小企業での労働組合の組織率は1%に満たない状況です。東大阪市で働く26万人は大半が100名以下の企業で働き、未組織労働者であると考え、統一労組懇時代の1980年6月29日、東大阪地域労組「働く仲間の会」を結成しました。しかし、1985年10月の「第4回定期大会」後は、活動が中止していました。東大阪労連は、1995年再建を目指し、再建集会、再建総会を経て、1998年6月14日、再建大会(組合員数12名)を開催、同年11月、定期大会(組合員数23名)を開催し、以降、東大阪地域では徐々に存在が浸透してきました。2000年10月、東大阪労連の定期大会で、「東大阪労働相談室」の体制強化の方針を決め、相談員を2名体制にし、財政確保は加盟組合員へ1万円カンパをお願いしました。以後、相談件数も増え、2006年7月に組合員数150名を達成することが出来ました。

大島過労死裁判の支援の経過
 東大阪市所在の澤村製作所で24年間働いてきた大島秀敏さんが、平成10年5月26日、会社内で「クモ膜下出血」で倒れ、平成10年6月14日に死亡。大島秀敏さんは、月80時間以上の長時間労働であった。秀敏さんの奥さん・大島照代さんは、1999年11月19日、東大阪労働基準監督署へ労災申請をしました。2000年4月14日、不支給決定、同年6月8日、大阪労働局へ審査請求、2001年3月28日、審査請求棄却、同年5月5月20日、労働保険審査会に再請求、2002年12月2日、大阪地裁へ行政訴訟と民事訴訟を提訴しました。
 2002年10月頃、大阪労働安全健康センターの事務局長・北口修造氏から、「会社がの所在地が東大阪市、被災者も東大阪市に在住」なので、東大阪労連で体制をとって、支援をお願いしたいと要請されました。東大阪労連は、この裁判を未組織労働者の劣悪な労働条件の改善と働く権利を守る闘いと位置づけ、支援体制を結成して、この「裁判」を勝利するために「支援する会」を結成して、全力で取り組む意思統一をしました。「支援する会」結成に向けて、打ち合わせ会議1回、準備会3回を経て、2003年2月12日、「支援する会」が結成されました。東大阪労連と地域で働く仲間で2つの裁判を勝利させるために、「支援の会」の加入の訴えで支援を強め、同時に東大阪市内で働く労働者のいのちと健康を守るために労働条件の改善、働くルールの確立、過重労働による健康障害防止等の運動を併せて進めてきました。

東大阪労連の支援の位置づけ
 1.日本の歪んだ労働実態をただす意義。2.使用者責任を明らかにする闘い。3.大島過労死裁判の闘いは、大島さん自身も未組織労働者で、中心になる単組もなく、地域労連が支援する初めてのケースです。この裁判を通じ、東大阪労連が真の東大阪地域の未組織労働者の「守護神」なっていく闘いと考え、未組織労働者を組織する壮大な闘いの中で、未組織労働者に東大阪労連が一つの権威を打ち立てていく闘いとして、大島裁判を位置づけました。具体的な支援の取り組みとして、①支援の訴え「支援の会加入=個人、団体、リーフの作成(1万部)、労組、民主団体へ訴え」②宣伝行動「ビラ3万枚作成、駅頭宣伝、地域全戸配布、新聞折込み(民主団体の機関紙)」③裁判傍聴「傍聴席を満席にして、原告を励ます」④地域から原告への激励「東大阪労連の取り組みに参加」⑤2004年4月、メーデー前夜祭で「タイムカードは夫の遺言状」を上演し、多くの方に感動を与え、支援が広がりました。2005年1月6日、「労災不支給の取り消し」が決定し、民事訴訟も和解で解決しました。
 大島過労死裁判支援の意義は東大阪の未組織労働者の組織化が前進したことです。東大阪労連の労働相談室の労働相談から、東大阪地域労組「働く仲間の会」に加入して、2002年以降、毎年20数件が解決しています。2008年1月31日現在、東大阪地域労組「働く仲間の会」は190名の組合員数になりました。小泉内閣の「構造改革」で雇用が破壊され、格差と貧困が広がる中、非正規労働者は増え続け、労働者を「モノ」扱いして簡単に解雇、サービス残業は当たり前、こんな状況の中、未組織労働者が組合に加入して、現在、未払い残業代請求裁判を2件、30代~40代の正規労働者6名が長時間・過重労働とパワハラでメンタルヘルスになり、組合に加入して長期休職中です。6名の組合員の闘いはこれからですが、大島過労死裁判を支援した経験と過労死家族の会の皆さん方や弁護士の先生方から学んだことを教訓として、日本が過労死のない社会になるよう、奮闘していく所存です。

(民主法律272号・2008年2月)

2008/02/01