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「解雇の金銭解決制度」や「自己管理型労働制」の創設と労働基準行政への影響 全労働省労働組合(民主法律268号・2007年2月)

全労働省労働組合

はじめに
 厚生労働省の諮問機関である労働政策審議会は平成18年12月27日、「今後の労働契約法制及び労働時間制度の在り方について(報告)」(以下、労政審答申)を厚生労働大臣あて答申した。
 労働契約法の新たな制定や労働基準法の改定は、実際に新法が適用される労働者はもちろんのこと、法を施行する側の労働基準行政の行政運営にも影響が及ぶ問題である。特に「解雇の金銭解決制度」や日本版ホワイトカラー・エグゼンプション制度と呼ばれる「自由度の高い働き方にふさわしい制度」(厚労省は呼称を「自己管理型労働制」と統一。)の創設は、労働者の生存権保障や労働条件法定主義など憲法上の価値概念とも関わって、労働者の権利保護や権利救済のあり方を一変させるおそれがあることから、その動向が社会的に注目されている。こうした法制度が創設された場合、労働基準行政の行う行政運営にいかなる制約が及び、また、その下でどのような対応が求められるのか、以下、労政審答申の問題点を指摘しながら検討を加えたい。

1.労働契約法による「解雇の金銭決制度」の創設と労働基準行政
(1) 経過
 「解雇の金銭解決制度」の法制化構想は、平成14年7月23日の総合規制改革会議「中間とりまとめ-経済活性化のために重点的に推進すべき規制改革-」に初めて登場した。使用者側の要求もあって、平成15年の労基法改正時に法制化が議論されるも、労働者側などからの激しい反対によって見送られた経緯がある。使用者側はその後も法制化を要求し続けた結果、平成16年3月19日の閣議決定「規制改革・民間開放推進3か年計画」に再び規制改革事項として盛り込まれ、あらためて法制化に向けての検討が重ねられてきた。

(2) 労働政策審議会条件分科会での調査審議結果
労政審答申は、導入反対を強く主張する労働者側の意見を斟酌し、「労働審判制度(平成18年4月1日施行)の調停、個別労働関係紛争制度のあっせん等の紛争解決手段の動向も踏まえつつ、引き続き検討することが適当である」として、労働契約法による法制化を再び見送ることとした。
 わが国財界からこうした要求が再三にわたって出される背景には、2006年2月の在日米国商工会議所意見書「労働契約法による契約の自由と労働可動性の推進を」や同年6月の「日米投資イニシアティブ報告書」で、アメリカ政府・財界がわが国政府に対して解雇の金銭解決制度の導入を強く要求していることがある。こうした日米財界の思惑が一致している限り、今後も使用者側は引き続き法制化を求めてくるものと思われる。

(3) 労働基準行政への影響
 解雇の金銭解決制度は、解雇権行使の正当性や整理解雇の合理性を争うなど解雇関係の労働民事裁判で利用することを予定した制度であるため、個別労働関係紛争解決促進法に基づく労働局長の助言・指導や紛争調整委員会によるあっせんの場で運用する余地はない。労政審答申もまた、労働契約法制定後に国が果たす役割は「同法の周知にとどめ、同法について労働基準監督官による監督指導を行うものではないこと」「個別労働関係紛争解決制度を活用して紛争の未然防止及び早期解決を図ることとすること」としている。したがって、仮に労働契約法制に解雇の金銭解決制度が創設されることがあったとしても、労働局や労働基準監督署では、労働契約法の概要のほか、解雇の金銭解決制度のしくみや手続等について一般的・概括的に説明するにとどまるものと思われる。
 他方、解雇の金銭解決制度の創設と相まって、有責使用者のからの申立を容認するとすれば、従来の判例準則に照らせば認められるはずのなかった解雇権の濫用的行使や「整理解雇の4要件」を満たさない解雇もまた、解雇補償金の支払いを介して実質的に合法化されることになる。また、こうした制度の法制化は、解雇通知か雇用継続か、あるいは被解雇労働者の職場復帰か、就労拒否かを逡巡している使用者側の遵法意識なり、意欲・努力を低下させる一端となることは間違いなく、個別労働関係の解雇紛争を増加させるであろう。解雇紛争の増加は、労働民事訴訟や労働審判制度にとどまらず、個別労働関係紛争解決制度にも影響が及ぶことから、労働局長の助言・指導や紛争調整委員会へのあっせんの申請件数の増加が予想される。

2.労基法改定による「自由度の高い働き方にふさわしい制度」の創設と労働基準行政
(1) 経過
 わが国における「ホワイトカラー・エグゼンプション制度」の法制化構想は、平成13年7月24日の総合規制改革会議「重点6分野における中間とりまとめ」に初めて登場し、平成14年3月29日の閣議決定「規制改革推進3か年計画(改定)」に検討事項として盛り込まれた後、平成16年3月19日の閣議決定「規制改革・民間開放推進3か年計画」に引き継がれ、改定・再改定を経て今日に至っている。
 平成17年度に改定された3か年計画では、裁量労働制の適用対象業務の見直しや管理監督者の深夜業規制の適否と併せて、米国のホワイトカラーエグゼンプション制度を参考にした労働時間規制の適用除外を同年度中に検討するとされたことから、厚生労働省は直ちに省内に研究会を発足させて検討を開始した。平成18年1月には「今後の労働時間制度に関する研究会報告書」を公表し、有給休暇の取得促進策や時間外・休日労働の抑制策など合わせて「自立的に働き、かつ、労働時間の長短ではなく成果や能力などにより評価されることがふさわし労働者のための制度」を提起するに至った。これを受けて厚生労働大臣は同年2月に労政審に調査審議を諮問し、審議会は同年12月、労働条件分科会でとりまとめられた調査審議結果を大臣にあて答申した。

(2) 労働政策審議会条件分科会での調査審議結果
 ①自己管理型労働制の対象労働者の要件
労政審答申は、この間の省内研究会や労政審労働条件分科会での労使の激しい意見対立をふまえた上で、「一定の要件を満たすホワイトカラー労働者について、個々の働き方に応じた休日の確保及び健康・福祉確保措置の実施を確実に担保しつつ、労働時間に関する一律的な規定の適用を除外する」とし、自己管理型労働制を創設するとした。
また、対象労働者の要件として労政審答申は、「ⅰ労働時間では成果を適切に評価できない業務に従事する者であること、ⅱ業務上の重要な権限及び責任を相当程度伴う地位にある者であること、ⅲ業務遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする者であること、ⅳ年収が相当程度高い者であること」を列挙し、「いずれにも該当する者であること」ととした。
しかし、対象労働者の年収要件については厚労省側と使用者側との見解が一致しなかったことから、「管理監督者の一歩手前に位置する者」を想定した上で、「管理監督者一般の平均的な年収水準を勘案しつつ、かつ、社会的に見て当該労働者の保護に欠けるものとならないよう、適正な水準を当分科会で審議した上で命令で定める」とした。

 ②自己管理型労働制の制度要件
労政審答申は続けて、制度の導入に際してのもう一つの要件に「労使委員会を設置し、下記(2)に掲げる事項を決議し、行政官庁に届け出ること」とした。
 併せて、労使委員会での決議事項として「i対象労働者の範囲、ⅱ賃金の決定、計算及び支払方法、ⅲ週休2日相当以上の休目の確保及びあらかじめ休日を特定すること、ⅳ労働時間の状況の把握及びそれに応じた健康・福祉確保措置の実施、v苦情処理措置の実施、ⅵ対象労働者の同意を得ること及び不同意に対する不利益取扱いをしないこと、ⅶその他(決議の有効期間、記録の保存等)」を列挙した。
 また、健康・福祉確保措置を決議するにあたっては「『週当たり40時間を超える在社時間等がおおむね月80時間程度を超えた対象労働者から申出があった場合には、医師による面接指導を行うこと』を必ず決議し、実施すること」とした。

 ③自己管理型労働制の履行確保
 労政審答申は、「①対象労働者に対して、4週4日以上かつ一年間を通じて週休2日分の日数(104日)以上の休日を確実に付与できるような法的措置を講ずること」「②対象労働者の適正な労働条件の確保を図るため、厚生労働大臣が指針を定めること」「③②の指針において、使用者は対象労働者と業務内容や業務の進め方等について話し合うこと」「④行政官庁は、制度の適正な運営を確保するために必要があると認めるときは、使用者に対して改善命令を出すことができることとし、改善命令に従わなかった場合には罰則を付すこと」とした。

(3) 自己管理型労働制の問題点と労働基準行政への影響
 ①対象労働者要件の問題点
労政審答申の態度は、一見、4つの要件によって対象を一定範囲の労働者に限定しようとしているように見える。しかし、ⅰからⅲの要件は全体を通して抽象的であいまいな表記の仕方をしているだけに、かえって要件に合致する具体的な対象労働者像をイメージしにくくしている。結局、定量的で明解といえるのはⅳの年収要件だけである(もっとも、その年収要件の適正水準は、国会での審議を必要とせず、厚労省主導で決定・変更できる省令で定めるとした。)
 労基法第41条は労働時間規制が適用されない業種や職種、業務を定めているが、同条第2号の「監督若しくは管理の地位にある者」(管理監督者)の規定の仕方が抽象的で、その概念や定義も明らかでないため、専ら行政解釈によって対象となる労働者の職務内容や地位、労働時間管理の実情、賃金その他の待遇など具体的な要件や判断基準を示してきた。こうした労基法の規定のあいまいさが原因となって、管理監督者の違法な拡大や割増賃金の不払いが広がった結果、労働基準行政による労働実態の解明はますます困難化するとともに、管理監督者の該当性に関する判断に悩まされ続けてきた。
 自己管理型労働制は、使用者に対する労働時間規制や時間外・休日労働・深夜労働手当の支払い義務を適用除外する制度であるだけに、現行の裁量労働制によるみなし労働などとは比較にならないほど使用者の経済的メリットが大きい。法改正に伴って定められる省令や指針などにより、「自由度の高い働き方」の詳細で具体的な要件、解釈や判断基準などが一定示されるであろう。しかし、関係法令の規定に抽象的な部分が多いような場合、これに目をつけた使用者が「行政との見解の相違」と称して独自の解釈を強硬に抗弁・主張し、行政の追及を逃れようとする事案が増加するのは避けがたいであろう。こうした事態が企業社会全般に広がるようであれば、労働基準行政だけでは自己管理型労働制の濫用的運用を抑制できなくなるおそれがある。

 ②労使委員会で法定事項を決議することの問題点
 自己管理型労働制のもう一つの問題点は、労基法が定めた「制度要件」に違反しない限り、本人同意条項や不同意時の不利益扱い禁止条項、医師による面接指導制度、休日の特定・確保などといった決議事項に違反したり実施しなくても、自己管理型労働制の存廃に何ら影響しないことである。
 現行労基法の企画業務型・専門業務型裁量労働制でも、労使委員会で決議すべき事項(専門業務型裁量制の場合は労使協定事項)を定め、使用者にその履行を求めている。しかし、平成17年に厚労省が実施した「裁量労働制の施行状況等に関する調査」でも明らかにされたように、決議(協定)事項の違反・不履行はすでに深刻な問題となっている。
 労政審答申の記述からは何を制度要件とするのか判然としないが、自己管理型労働制の制度設計にあたって、制度要件をごく限定し、労使委員会で決議すべき事項の範囲をあまり広げすぎるようであれば、現行裁量労働制以上に、決議事項の遵守・履行を軽視する使用者が現れるおそれがある。これでは自己管理型労働制自体が形骸化してしまい、単なる割増賃金支払免除制度と化してしまうであろう。しかし、決議事項の違反・不履行が直ちに制度の廃止と割増賃金の遡及払いという結論を導かない以上、労働基準監督署は使用者に対して遵守・履行を繰り返し勧告するか、後に述べる改善命令によって是正を求めるしかないのである。
 また、労政審答申は、具体的な対象労働者の範囲などは労使委員会の決議に委ねたが、労基署への決議の届出時に、使用者が、委員全員の合意による決議であるとか、管理監督者の一歩手前に位置する者にあたると委員会で確認されたなどと強弁するような場合、労基署の受付窓口では実際の就業実態がわからないだけに、そうした使用者の強弁を違法なものとして即時に退けることは決して容易ではない。結局、多少疑義の残る決議であっても、違法な運用事例を示すなどして使用者に指導した上で、一旦その決議を受け付けざるを得ないであろう(その後の立入調査などによって就業実態が解明され、対象労働者の範囲の違法な拡大や年収要件違反が明らかになれば、法定要件を欠いた労働者には労働時間等の適用除外が認められなくなるのはいうまでもない。)。決議に委任するということは、こうした危険性も

 ③自己管理型労働制の履行確保手段の問題点
 適正な制度運用の確保に関して労政審答申は、4週4日以上かつ週休2日制に相当する年間104日以上の休日の確保、行政官庁による改善命令と命令に反した使用者の処罰といった事項にとどめた。
 今日、大企業を中心に大半の企業では、就業規則や労働協約などによってほぼ週休2日制が普及しているが、実際の運用面で様々な問題を抱えているのも事実である。例えば、労基署が行った過労死・過労自殺の労災認定や長時間・賃金不払労働の実態調査では、出勤簿やタイムカードの記録上は業務を終えて退社したり、所定休日で休んでいることになっていても、実際は終業時刻後に引き続き時間外労働に従事していたり、所定休日に出勤して仕事をしていたりする「ヤミの時間外・休日労働」が、電子メールの発信記録や守衛所の鍵の管理簿、通用門の出入場記録などから多数発見されている。こうした「ヤミ労働」は、偶発的で個人的なものは少なく、その大半が上司が介在する形で企業ぐるみでおこなわれ、また多数の労働者を巻き込んだ形で常態化していたことが明らかにされている。
 労基署からこうした事例の存在を指摘された企業は、今までその事実を知りながら何ら防止策を講じることなく超過労働を黙認し、無償で労働の成果物を受領してきたにもかかわらず、決まって「残業は命じていない、労働者が勝手に残業していた」「上司の知らぬ間に出勤して休日に仕事をしていた」などと抗弁するでのある。労政審答申は使用者が自己管理型労働制の対象労働者に年間104日以上の休日を付与しなければ罰則を科すという。しかし、企業がこうした「ヤミの休日労働」をやめるどころか、さらに巧妙な手口で隠蔽するのであれば、労基法改正でいかに休日数を増やし、罰則を強化したとしても、実効ある休日確保対策にはなり得ないであろう。
 また、もう一つの履行確保措置である行政官庁による改善命令と命令に従わないことへの罰則については、労政審答申の内容からはどのような状況や状態に対して改善命令が発せられ、どの程度の罰則となるのか定かではない。こうした措置は一見、行政官庁に強い監督指導権限を付与するかに見える。しかし、実際は「必要があると認めるとき」と改善命令を発出できる事由を一定の範囲内に制限しようとしているのである。使用者側が要求する「労使自治の尊重」に配慮する余り、「必要がある」とされる事象をあまり絞り込みすぎると、労基署による監督指導は十分に効果を上げることができなくなるであろう。

 ④異常な長時間労働者が存在する場合の問題点
 労基法による労働時間規制が適用除外されるということは、すなわち、1日・1週(あるいは1か月)の労働時間や休憩、時間外・休日労働に関する概念なり、考え方が消滅するということである。したがって、使用者が労働者に対して業務遂行手段や時間配分についての実質的な裁量権を与えず、明示または黙示の指揮命令によって業務遂行を指示していたという事実でも判明しない限り、ある期間内の労働時間がいかに長かったとしても、それは労働者が自己の責任において日々の業務量や労働時間配分、業務遂行の速度を決めているとされるのである。
 これまでにも、労働基準行政に対しては、過労死・過労自殺などの労災申請とは別に、労働者自身やその家族から過剰な長時間労働や賃金不払い残業に対する苦情や申告が寄せられており、その都度、事業場への立入調査や企業関係者への聞き取りなどを行い、労働実態の解明と違反事実の把握、是正勧告や送検処分に努めてきた。自己管理型労働制の下で働く労働者やその家族からの苦情や申告があれば、これまでと同様、労基署が違法な制度運用の有無や労使委員会決議の履行状況などを調査し、制度要件違反があれば自己管理型労働制の濫用・無効と割増賃金の遡及払いを勧告するであろうし、決議事項の違反・不履行事案に対して改善命令を発するであろう。
 しかし、制度要件違反がない、決議事項は完全履行、年間104日以上の休日も完全付与といった事業場で、調査の結果、恒常的に異常な長時間労働をしている労働者の存在が明らかになったとしても、管理監督者の一歩手前の労働者が将来の昇進を慮って自己の裁量による就労を装ったり、使用者が労働者の自由な意思決定や業務遂行の裁量を最大限尊重した結果であると反論したような場合、調査にあたった労基署は、使用者から当該労働者に対して、労働時間や業務量の適切な配分や医師による面接指導制度の積極活用などを呼びかけるよう指導するしかないであろう。

(4) 自己管理型労働制と労働安全衛生行政への影響
 ①自己管理型労働制と健康・福祉確保措置の問題点
 労政審答申は、2006年4月施行の改正労働安全衛生法と同様に、自己管理型労働制にも「医師による面接指導制度」の導入を提起した。
 しかし、財界がいかにホワイトカラー労働者は「自由度の高い働き方」をしていると唱えたとしても、激しい企業間競争の下で納期の短縮と生産性の向上が叫ばれる今日、多くの労働者は、最小限の人員数でチームで業務を遂行し、その上に目標水準が高く業績評価が厳しい成果主義賃金の下で働いている以上、業務遂行や労働時間配分に全く裁量がなく、過剰な長時間労働から脱却できない労働者が相当数存在していたとしても、何ら不思議ではない。自己管理型労働制によって長時間労働が解消され、ワーク・ライフ・バランスが実現されるといった「バラ色のイメージ」をふりまく厚労省が、一方でこうした制度の導入を提起せざるを得なかったのは、「自由度の高い働き方」の美名の下で過重労働状態に陥った労働者に何らかの健康確保措置を講じなければ、その中から相当の確率で過労死・過労自殺や精神障害が発生するおそれがあると明快に認識しているからに他ならない。
 労基署は、すでに労安法上の医師の面接制度の整備が先行している企業に対しては労基法上のそれとの整合性の確保や、安全衛生委員会をも交えた医師による面接指導制度の統合と共同運営など実効ある制度運営を指導し、制度整備が遅れている企業に対しては関係労働者が利用しやすく実効性のある制度づくりを急がせるなどして、少なくとも労使委員会決議の空文化・形骸化を防止するため、重点的に監督指導することになるであろう。

 ②「在社時間等」の把握を医師による面接指導の実施要件にしたことの問題点
労政審答申は、在社時間等がおおむね月80時間を超えた対象労働者のために「医師による面接指導制度」の導入を提起したが、その実施要件は労安法とは異なる「在社時間等」という新たな概念を打ち出した(もっとも、「等」に何が含まれるのか労政審答申は明らかにしていない。)。
厚労省は、適用除外となるのは労働時間規制だけであって、健康管理義務まで免除するものではなく、今までと同様に使用者には労働時間の把握と記録義務があるという。しかし、自己管理型労働制の対象労働者には、法定労働時間や休憩、36協定などに関する規定が適用されない以上、使用者には労基法に基づく労働時間の把握と記録義務はなくなったと解さざるを得ない。もっとも、労働契約上の安全配慮義務に基づくそれは依然残るであろうが、これを労基法によって強制するには無理がある。
 こうした問題を意識してか、労政審答申は「在社時間等」という全く新しい概念を打ち出したのであろうが、労基法の解釈論だけで在社時間等の把握・記録義務を説くことには無理がある。なぜなら、平成16年11月16日の「2004年度日本経団連規制改革要望」で使用者側は、労基法の労働時間関係の諸規定に基づいて始業・終業時刻や時間外労働時間の把握・記録義務があるとする「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準について」(平成13年4月6日基発第339号)や「賃金不払残業の解消を図るために講ずべき措置等に関する基準について」(平成15年5月23日基発第0523004号)の見解に対して、「そもそも企業による労働時間管理義務には明確な根拠規定がない」「労働時間の管理・把握方法については、(中略)個々の職場の労働実態を最もよく知る労使の取り決めに委ねるべき」であると主張し、労働時間の把握と記録義務の存在を否定してきたからである。
 ましてや、在社時間は、実労働時間よりも範囲が広くあいまいなだけに、休憩時間を含んだ拘束時間をさすのか、それとも全く業務に従事していない不活動時間をも含めるのか、解釈をめぐって労使間の紛争に発展しやすい。それだけに、その概念や起算点・終了点の考え方と把握の方法などと併せて在社時間管理義務を労基法や関係省令などで明確に定めておく必要がある。そうしなければ、その義務の存否をめぐって生じた行政と労使相互間の紛争によって、医師による面接指導の確実な実施に支障を来しかねないのである。

 ③対象労働者からの申出を実施要件としたことの問題点
 労働安全衛生法と同様、医師による面接指導に「対象労働者からの申出」という条件を付したということは、当該労働者からの申出がなければ、健康・福祉確保措置としての機能・効果を発揮することはないということである
 使用者から業務遂行の手段と時間配分の決定等に関して具体的な指示を受けないとされる自己管理型労働制の対象労働者は、建前上、業務遂行時間と私的生活時間の配分や遂行すべき業務量の決定は、当該労働者の自由な意思と裁量に委ねられるとされる。労政審答申は、使用者の指揮命令の下で従属的労働に服し、就業規則や労働協約の時間外労働条項によって時間外・休日労働を行わなければならない一般的な労働者と異なり、自己管理型労働制の下で働く対象労働者は、自由に労働時間や休日を調整し、健康に配慮することができるのだから、労働者からの申し出制としても大きな支障はないと考えたのかも知れない。しかし、自己管理型労働制の対象者は、労働時間規制による健康保護が一切受けなくなるからこそ、在社時間等がおおむね月80時間を超えた対象労働者の全員に医師による面接指導を実施し、当該労働者の健康状態を把握する仕組みにすべきであったと考える。
 使用者が面接指導制度を全く整備していなかったり、制度を整備していても労働者からの申出を拒否するといった法違反が見られる場合や、医師による面接指導制度の仕組みが不十分であるような場合には、労基署は使用者に対して、面接担当医の確保、申し出やすい窓口の設置、関係労働者への周知公報、人事労務担当をも交えた事後措置の実施、健康情報の保護対策など面接指導体制の整備や、申出のあった労働者に対する面接指導の確実な実施などを是正勧告ができる。しかし、制度が十分に整備されているにもかかわらず、労働者からの申出がないような場合には、使用者に対して、制度の仕組みや申し出窓口の周知徹底や、対象労働者に対する積極的な申出を呼びかけるよう行政指導するにとどまるであろう。

(5) 自己管理型労働制と労災補償行政への影響
脳・心臓疾患の労災認定基準にしても、精神障害等のそれにしても、時間外労働の長さや休日の状況や、交替制労働や深夜業など労働の不規則さなどを一つの尺度として過重負荷や心理的負荷を判定しているという点には変わりがない。しかし、法定労働時間や休憩、週休制に関する規定が適用除外されることによって、労働時間概念は実質的に消滅するか、あっても極めて抽象的であいまいなものにならざるを得ず、使用者の指揮命令下で就労した時間と労働者個人の私的生活時間とを明確に区分・判別することは極めて難しくなる。
 自己管理型労働制の対象労働者が関係した脳・心臓疾患や精神障害の労災申請で最も懸念されるのは、請求人労働者や遺族だけでなく、調査にあたる行政側が当該労働者の出勤状況や実労働時間に関する具体的記録を発見できるかである。もっとも困るのが対象労働者の「持ち帰り残業」である。自宅での就業は個人の生活領域と業務遂行の場所が重複し、労働時間性の判別が極めて難しい上、始業・終業時刻や就業時間などに関する詳細な記録が存在しないのが一般的である。
 したがって、「会社から持ち帰り残業による業務遂行を指示した事実はない、当該労働者自らの判断によるものだ」と企業側が業務遂行の指揮命令や労働時間性を拒否した場合、当該労働者や遺族あるいは労基署が、当該労働者が担当していた仕事の質や量と仕事の締切日の関係、当該労働者の企業内の地位や職責などから黙示の業務命令の存在を証明するなり、業務と発症との因果関係を合理的に推定できる程度の労働時間と業務量を明らかにできなければ、労基署としても業務上疾病とは認定できないのである。

まとめにかえて
 労基法でホワイトカラー労働者の労働時間規制をしなくても、業務遂行や労働時間配分に裁量を認め、一定日数以上の休日を確実に保障すれば、自ずと長時間労働は抑制されるとか、ワーク・ライフ・バランスが実現されるので少子化の防止にも有効であるとか、政府・財界は自己管理型労働制の効果を持ち上げる。
 しかし、労働基準行政にとって一番頭の痛い問題は、現行労基法下の「管理監督者」と「スタッフ職」への拡大適用にせよ、自己管理型労働時間制の新たな創設にせよ、多少の差異はあるものの、いずれも対象労働者には労働時間規制が適用されなくなることである。つまり、労働者保護法で保護される対象労働者が減れば減るほど、法規定の仕方が抽象的であいまいなほど、また本法への規定より省令や指針、行政解釈に委ねられる部分が多いほど、労働基準行政の出番がなくなったり、監督指導権限が弱まってしまうのである。
 また、改善命令や罰則が実効性を発揮するには、抽象的な表記はできるだけ避けるとともに、その要件や判断基準などは本法もしくは省令に明文で規定する必要がある。また、労働者の保護の実効性があがるよう、社会経済の状況変化に応じて適切に法改正を行うべきであろう。

(民主法律268号・2007年2月)

2007/02/01