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国立循環器病センター村上過労死事件 1審敗訴までの経過と控訴審の課題 弁護士 岩城 穣(民主法律260号・2005年2月)

弁護士 岩城 穣

一 村上事件とは
1 村上優子さん(昭和50年9月10日生まれ)は、97年3月看護学校を卒業し、同年4月国立循環器病センター(大阪府吹田市)に看護師として就職した。同センターは国立病院の中でも、厚生労働省が直轄し、循環器病に対する最先端の医療をめざす医療施設である。優子さんはこの病院で、重傷、瀕死、高齢の患者の多い脳神経外科病棟(九階東病棟)での看護業務に従事してきた。
 勤務は、早出(7時~26時40分)、日勤(8時40分~27時)、遅出(11時~19時30分)、準夜(16時30分~深夜1時)、深夜(0時30分~9時)の5つの勤務シフトのローテーションによる極めて不規則なものであることに加えて、勤務開始前の情報収集、看護記録の作成、シフト間の引き継ぎ、退院・転院サマリーの作成、更には看護研究、プリセプター業務(新人看護師の教育指導)、看護計画の作成、病棟相談会・チーム会、係・委員会などの様々な業務・課題に追われ、超過勤務命令簿に記載された超過勤務(15~25時間)以外に、膨大なサービス残業が存在していた。
 タイムカードによる労働時間管理はなされていなかったが、サービス残業や優子さんが疲れ切っていたことを示すメールのやり取りが残されていた。
2 優子さんは就職後4年目の01年2月13日、遅出勤務(定時は11時から19時30分)を21時30分ころ終了し自宅に帰宅後、頭痛に見舞われ、同僚にその旨連絡した。被災者の自宅に駆けつけた友人が被災者の状態を見て救急車を呼び、勤務先の国立循環器病センターに搬入され、2月14日手術を受けたが、同年3月10日、脳動脈瘤破裂を原因とするくも膜下出血により死亡した(当時25歳)。

二 これまでの取り組みの経過
01年 6月16日 両親の村上雅行さん、加代子さんが「過労死110番」に電話相談
02年 6月 5日 厚生労働大臣に対し公務災害を申請
    7月30日 「看護師・村上優子さんの過労死認定・裁判を支援する会」結成
    7月31日 使用者である国に対し、損害賠償請求訴訟を提訴(全国初)
   12月10日 参議院厚生労働委員会で小池参議院議員(共産党)がこの事件を取り上げて追及
04年 5月17日 第1回集中証拠調べ(原告側同僚3人、両親)
    5月20日 公務外の決定
    5月24日 第2回集中証拠調べ(原告側同僚1人、友人1人、被告側看護師長、副看護師長、同僚各1名)
   10月25日 大阪地裁が請求棄却判決(控訴)
05年 3月 4日 控訴審第1回期日(予定)

三 一審判決のポイント
 〇四年一〇月二五日に言い渡された一審判決のポイントは、次のとおりである。
1 優子の労働時間
① 被告(国)の主張する超過勤務命令簿に記載された時間外労働時間数は、同じ勤務年数の看護師はほぼ同じ時間数になるよう、また年度末におて予算額と実績を合わせるよう、調整されていた可能性が高く、これに基づいて時間外労働時間数を判断することはできない。
② 優子の送信メールについては、終業時刻を明示している場合は別として、送信時刻から直ちに始業・終業時刻を推認することはできない。
③ 公務災害認定の資料として作成された同僚等の陳述書等から、始業前・終業後にある程度の時間外労働があったと推認される。病院が超過勤務の対象外としている看護研究、プリセプター業務、病棟相談会・チーム会は業務であり、ある程度労働時間として認められるが、その他の係・委員会や勉強会は業務と評価できない。
④ これらを総合すると、発症前六カ月間の時間外労働時間は、月50時間前後であり、専門検討会報告書で疲労の蓄積が生じないとしている月45時間を若干上回る程度であって、休日も十分に確保されていたから、優子の看護業務と本件発症との関連性は低い。

2 優子の従事していた看護業務の質的過重性
① 専門検討会報告書(現在の過労死労災認定基準の制定の根拠となった文書)によれば、交替制勤務、深夜勤務が直接的に脳・心臓疾患の発症の大きな要因になるものではないとされている。
 もっとも、日勤→深夜勤、準夜勤→日勤の場合、始業前と終業後の時間外労働の実情から、これらの勤務の間は6時間半ないし6時間程度しかなく、このような勤務形態の相当性には疑問があるが、準夜勤の後は遅出又は週休日となっていることが多いなど、一定の配慮がされており、また深夜時間帯勤務の頻度についても、同様の立場にある同僚看護師と比較して、優子が特に夜勤が多かったわけではない。したがって、不規則な深夜交替制勤務であったことは、本件発症との関係で特に重視すべき事情とは解されない。
② 専門検討会報告書によれば、質的過重性を検討するに当たり、看護業務における精神的緊張等の点をことさら重視することは相当ではない。
③ 九階東病棟における看護業務は、特に外来病棟と比較すると質的に過重な業務であったと推測することができるが、そのことから当然に優子の看護業務と本件発症との因果関係を認めることはできない。

3 医学的観点からの検討
 優子には、右前大脳動脈のA1と呼ばれる部分に形成不全があったために、幼年期から脳動脈瘤が徐々に形成され、破裂限界にまで成長したとする澤田意見書は一定の合理的な説明がされているといえる。優子は勤務先病院に就職して以降、健康診断時に高血圧を示したことはなく、血圧の持続的な上昇傾向も認められず、むしろ低値を示していた。優子において睡眠時の血圧低下が抑制される「non-dipper型」の血圧日内変動が生じていた可能性も否定できないが、それは一つの可能性にすぎない。

四 一審判決の評価と控訴審の課題
1 労働時間数について
 一審判決が、優子の時間外労働時間数は「超過勤務命令簿」記載のとおりであるとする国の主張を斥け、その2倍ないし3倍に及ぶ時間外労働(サービス残業)があった旨を認定したことは、一審における重要な成果である。
 しかし、他方で、その時間数の認定は極めて不十分であり、控訴審ではその大幅な積み上げが必要である。

2 看護業務の質的過重性について
 一審判決が、専門検討会報告書を鵜呑みにして、不規則な深夜交替制勤務や看護業務の過重性を一般的に否定し、また九階東病棟における看護業務を外来病棟と比較して質的に過重な業務であったとしながら、優子の発症との因果関係を否定したことは極めて不当である。ここでは、病院を運営しているのが国であること、また優子さんの労働実態が優子さんに限らず広く行われていることから、その過重性を認めることに裁判所が躊躇した(いわば「引いて」しまった)と思われる。
 控訴審では、不規則な深夜交替制勤務がいかに身体に大きな負荷を与えるかについて、産業医学的な見地からの主張立証を検討中である。また、脳神経外科病棟における看護業務がいかに大変なものかを、現役の看護師の方に、法廷で生々しく証言してもらいたいと考えている。

3 医学的観点からの検討について
 一審では、元国立循環器病センターの部長であった澤田徹医師と、原告側の新宮正医師の間で、激しい医学論争が行われた。内容的には新宮医師の意見が澤田意見を圧倒していたが、一審判決が優子さんの業務の過重性を否定する結論をとったことから、医学面では澤田意見を採用せざるを得なかったといえる。
 優子さんが定期健康診断では一貫して高血圧を示しておらず、睡眠時の血圧低下が抑制される「non-dipper型」の血圧日内変動が生じていた可能性も否定できないとしつつ、一つの可能性にとどまるとしたことも重大である。
 控訴審では、新宮医師の指導のもとで、実際に不規則な深夜交替制勤務に従事する看護師の方たちに二四時間血圧測定をしてもらい、夜勤明けなどの睡眠時には血圧が下がりにくく、脳動脈瘤に対する血行力学的負荷が大きいことを立証することを検討中である。
 そのうえで、新宮・澤田両医師の証人尋問を実施させ、医学論争でも必ず勝利したいと考えている。
 総じて、一審では、国が労働時間数を徹底的に争ったことから、その主張立証に大きなウェートを置かざるを得なかった。控訴審では、不規則・交替制による九階東病棟での看護業務の過重性と医学面での主張立証に全力を尽くす予定である。

五 公務災害手続について
 公務災害申請に対して厚生労働大臣が公務外の決定をしたこと(昨年5月20日)は、判断権者が国であることから予想されたことであった。
 これに対しては、昨年末、人事院に対して審査請求を行った。
 今後、民事訴訟の動向も見ながら、行政訴訟の提起も含め、対応を検討していく予定である。

六 控訴審でのいっそうの支援を
 公務災害申請・民事訴訟提訴と前後して結成された「支援の会」は、法廷傍聴、署名活動、ホームページの開設、厚生労働省交渉など、さまざまな活動を精力的に行ってきた。その結果、支援の輪は大きく広がり、また法廷での証言や陳述書、資料提供といった形で協力してくれる元同僚も出てくるなど、大きな役割を果たしてきた。
 しかし、残念ながら世論を変え、裁判所を包囲するまでには至っていない。被告が国であり、国自身の安全配慮義務違反を追及する裁判であること、優子さんの働き方が決して特殊でなく、現在の国立病院、更には医療現場全体の現状を揺るがす判決を求める闘いであることから、控訴審では文字どおり世論を変える規模・内容の活動が求められている。
 皆様のご支援、ご協力を強く訴える次第である。
(弁護団は、松丸正、原野早知子、有村とく子、波多野進と私である。)

(民主法律260号・2005年2月)

2005/02/01