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「料理長の無念をはらすために……」過労死民事損害賠償訴訟―上田事件― 弁護士 中森俊久(民主法律253号・2003年8月)

弁護士 中森俊久

一 発症
  「会社に殺される……」紀伊勝浦にある温泉旅館「ホテル中の島」の従業員で、料理長をしていた上田善顕さんは、生前妻(上田裕子さん)にこう話していた。
  会社から毎日新たな献立表を提出するよう要求され、夜遅く帰宅してからも深夜まで献立作りに励み、翌早朝には仕入れのため家を出るという生活を強いられた善顕さんは、過労のため、平成12年3月3日脳動脈瘤破裂による重度のクモ膜下出血を発症した。発症当時の1か月の総労働時間は368時間を超え、時間外労働だけでも200時間弱に及ぶ労働状況の下での発症であった。

二 治療及び看病
  手術が行われ、ICUから特別室に移動になっても、善顕さんの意識は戻らなかった。裕子さんは、高熱のため全裸で寝ている善顕さんを、ダウンジャケットや毛布で自分の体を保温しながら(冷房で最低まで室内が冷やされているので)、必死になって看病した。裕子さんは、「お父さんの無念私がはらしてやるからね」と話しかけながら、熱の汗と裕子さんの涙で濡れる善顕さんの体を、何度も何度も拭き続けた。
  その後、善顕さんの容態は一進一退を繰り返し、懸命な治療・看病が1年以上続けられたが、善顕さんは、とうとう意識が戻らないまま、平成14年7月2日に亡くなった。

三 訴訟提起
  裕子さんは、善顕さんの発症が明らかに過労によるものと確信し、発症後数か月経った段階で労災申請をした。そして、これに対し、平成14年11月に労災保険の支給決定がなされた。労災申請については、当初は会社に依頼していたものの、会社は「労災の申請をしたけど、無理やと言われたよ」「電話でも聞いたけど、上田さんの場合は病気やで無理やと言われた」と素っ気ない態度を示すだけだった。実際は、会社は全く何もしていなかったのである。
  過労が原因で亡くなったのが明白であるにも関わらず、労災申請にさえ協力しなかった会社に対し、遺族は民事訴訟を起こすことを決意した。裕子さんを含め善顕さんの遺族である3人は、平成15年3月3日、株式会社「ホテル中の島」及び当時の代表取締役社長並びに当時の常務取締役を被告として、安全配慮義務違反を根拠に約8500万円の損害賠償を求めて和歌山地方裁判所に訴訟提起した。

四 業務内容
  料理長である善顕氏は、料理部門の責任者として、材料の仕入れ、注文、原価計算、調理場の調理員の取り仕切り、調理員への料理の手本示し、味見、料理及び盛りつけの指導、さらには宴会場での鮪の一頭作りショーと数々の業務を兼任し、数か所ある調理場を休むことなく走り回っていた。そして、一般の調理員は、早出・遅出のローテーションが組まれていたが、料理長にはそれがなく、客の入りや行事をにらみながら、昼の中休みを取る時間や、休日を決めていた。しかし、繁忙期には連日終了が午後10時近くになることがあり(調理場の仕事は午前5時ころから始まっている)、また、昼の中休みの時間は、昼食会や結婚式が入ると、実際は取れないことも多かった。
  前記のような多忙な業務に加え、平成12年の2月に入ってから、常務取締役は、善顕さんに毎日新たな献立表を作って提出するよう要求した。このため、善顕さんは,献立作りを自宅で深夜まで取りくまざるをえなかった。その結果、既述の通り、発症当時の1か月の時間外労働は200時間弱にまで至った。
  平成13年12月12日に、厚生労働省の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く)の認定基準について」によれば、発症前1か月間におおむね100時間又は発症2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できるとされている。善顕さんは、いわゆる過労死ラインとされる基準の2倍近く残業していたのである。

五 被告の責任
  労働時間、業務内容からして、被告会社の過重労働防止義務違反(適正労働条件確保義務違反、業務負担軽減措置義務違反等)は明らかであるといえる。また、善顕さんは、会議中、調理場人員の「売上手当」削減(被告会社の調理員にはタイムカードはなく、月1万円から2万円の「売上手当」が売上高に応じて支給されるだけであった)の提案に立ち上がって反対したときに倒れたが、その45分前にも、椅子からずり落ちる形で床に一度落ちたことがあった。その際、被告社長は「ただの貧血だから、そのままにしとけ」と言って放置し、漫然と会議を続けた。この点についても、被告会社には、就労中変調を来した労働者に対する救護義務違反があったといえる。

六 裁判の進行状況
  平成15年5月22日、和歌山地方裁判所において第1回弁論期日があった。
  第1回の期日では、訴状陳述、答弁書陳述(擬制陳述)に加え、原告上田裕子さんによる冒頭意見陳述と、弁護団長の山崎和友弁護士の冒頭意見陳述が行われた。過労死家族の会のメンバーが傍聴席で見守る中、原告上田裕子さんは、当時の悲惨な労働状況を善顕さんに代わって裁判官に訴えた。「お父さんの無念をはらそう」と固く決意した裕子さんから出る言葉は、非常に力のこもったものであった。
  被告会社は、答弁書において、労働時間、労働実態についての原告の主張を否認しており、全面的に争う予定である。原告としては、まずは答弁書に対する求釈明と、出勤や公休についての記録や36協定書等の文書の提出を請求した。次回の期日は、9月1日である(当初7月4日に予定されていたが、裁判官の都合で急遽延期となった)。
  なお、合議事件になると思っていたところ、和歌山地裁の運用かどうかは知らないが単独事件とされた。途中裁判官の転勤による交替も予想されるので、合議体で審理する旨の決定を求める上申書を提出する予定でいる。

七 さいごに
  被告会社は、「料理の中の島」と呼ばれるくらい、料理の質の高さを売りにしていたホテルである。これには、調理師としての修業をしたのち、被告会社に入社し、35年以上料理一筋に頑張ってきた善顕さんの貢献が大きい。被告会社は、その善顕さんを殺してしまったのである。弁護団としても、善顕さんの無念をはらすべく、全力投球で頑張りたいと思う。   (弁護団は、山崎和友、由良登信、岩城穣、岡田政和、中森俊久)
(民主法律253号・2003年8月)

2003/08/01