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日能研関西専任講師過労死事件─会社代表者が遺族に謝罪、そして和解  弁護士 下川和男 (民主法律252号・2003年2月)

弁護士 下川和男

一 はじめに
  昨年の権利討論集会報告集において、日能研関西専任講師過労死事件の報告をした。
  被災者である酒井博之さんは、有名私立中学入試の真っ直中である平成一二年一月二三日、「クモ膜下出血」で倒れ、同年同月二九日、三九歳の若さで帰らぬ人となってしまった。
  酒井博之さんは、中学入試で最も難しい教科である算数チームのリーダーとして、同僚からの信頼を集めていた。酒井博之さんの死をきっかけとして、同社では労働組合が結成され、職場の労働条件改善に取り組んでいる。
  平成一二年一○月二六日、労災申請、平成一三年三月二一日、業務上決定。
  平成一三年九月一九日、会社に対する損害賠償を提訴した。

二 代表者による遺族への謝罪
  酒井博之さんの労働実態は、極めて過酷なもので、発症前二ヶ月はほとんど休みがなく、午前九時頃から午後一○時頃まで連日業務に追われる毎日であった。酒井博之さんは、算数チームのリーダーとして教材などを作成するだけでなく、上本町教室において算数の授業を担当していた。酒井博之さんは、生徒・父母からも信頼され、亡くなった後、生徒の父母が墓参するということもあったようである。そうした長時間・過密労働であることを知りながら、会社は毎年九月以降は「戦時」であるとの号令の下、長時間労働を見直すどころか、長時間労働を奨励するような状態であった。酒井博之さんの死は明らかに会社の安全配慮義務違反によるものである。
  提訴後、原告・被告双方の主張を終えた段階である平成一四年一一月、裁判所から和解の可能性の示唆があった。原告である酒井博之さんのお母さんとすれば、長男が亡くなり三年を経過し、大切な長男が亡くなったという事実を受け入れざるを得ない・死んだ人は生き返ってこないという現実を受け入れ、会社が謝罪の意思を示すならば和解を受け入れるという方針を持つに至った。
  一方、被告会社は、損害賠償金の支払いとともに、遺族に対して謝罪の意思を表明するということであったことから、平成一四年一二月二六日、和解成立となった。
  和解には、酒井博之さんの母(原告)及び妹が、被告からは代表取締役社長が出席した。その席上、被告会社社長は、遺族二人に対して、酒井博之さんの死について、「謝罪」し、頭を下げた。「遺憾の意を表明する」程度にとどまらず、明確に謝罪したのである。

三 さいごに
  酒井博之さんの死後、結成された労働組合の奮闘もあり、職場の労働条件、特に長時間労働は、いくらか緩和されたと聞いている。しかしながら、少子化・私立中学志望の高まりの中で、進学塾業界はますます生き残り競争が激しくなるものと思われる。生き残るために使用者は働く人たちの命・健康を犠牲にしようとするかも知れない。再び日能研関西において酒井博之さんと同じような犠牲者が生まれるようなことがないよう労働組合の今後のさらなる活動に期待したい。
(民主法律252号・2003年2月)

2003/02/01