タクシー運転手過労死事件 弁護士 高橋徹
弁護士 高橋 徹
一 はじめに
私が弁護士になって三か月余りを経た二〇〇〇年七月、過労死事件の第一人者である松丸正会員、下川和男会員から事件のお誘いを受けた。
大阪でも屈指の巨大タクシー会社において、運転手が常軌を逸するほどの過重勤務を続け、業務中に急性心筋梗塞で亡くなった事件であった。
私たち弁護団は、証拠保全により証拠収集をはかり、茨木労働基準監督署の担当労働基準監督官との折衝を続けてきた。以下では、労災認定を得るまでの過程と過労死事件としては全国初となる刑事告訴の顛末を報告する。
二 事案の概要
被災者は、大阪のタクシー業界では最大手である薬師寺グループの経営する茨木高槻交通で運転手として勤務していた。被災者は、隔日交替制の勤務に従事しており、二四時間を超える長時間過密労働を繰り返し、公休日も出勤するなど、まさに働きづめの毎日を送っていた。被災者は発症直前まで三五日間にわたって休日なしの連続乗務に従事し、発症直前の三か月間で被災者がとった休日はたったの三日間であった。
また、被災者の乗務時間は、一か月平均三五〇時間を超えている(発症前三か月間の平均である)。これに出入庫作業時間を加えると、年間総労働時間は約四五〇〇時間にもおよぶものであった。
三 労災認定に至るまで
本件においても、当初、弁護団の手元には、証拠がほとんど存しなかった。弁護団が欲しかった証拠は、被災者の労働時間等がわかる運転日報、タコグラフ、月別稼動明細書などであった。しかし、会社は、これら証拠を弁護団に提供しないばかりか、労基署に対し、タコグラフは「廃棄処分にした」として提出していなかったのである。とりわけ、タコグラフは、一乗務毎に、何時に出庫し、何時に入庫したかはもちろん、何時何分には車両が時速何キロで走行していたか、あるいは停止していたか、現在の走行距離は何キロか、などタクシー運転手の業務内容が手にとるようにわかる優れものの証拠である。
証拠保全は、八月一七日、八月三〇日の二日間、猛暑の中で行われた。結果として、会社が「廃棄処分にした」と主張していたタコグラフの一部が廃棄処分を免れて、倉庫の段ボール箱の中にねむっていたのを発見することができた。さらに、発症直前の一年間の運転日報を入手することができた。倉庫から運転日報の束を運び出し、その束の中から被災者の日報を一枚一枚抜き出すという根気のいる作業である。私たちと一緒になって、汗をかきながら、蚊に刺されながら、懸命に作業をしてくれた事務局、裁判官、書記官に敬意を表したい。
さて、タコグラフをみると、グラフがぐるっと一周しており、被災者が二四時間を超えてタクシー運転業務に従事していたことは一目瞭然である。そして、タコグラフのデータを分析した結果、一日の走行距離が三五〇キロメートルを超えている乗務日は、二四時間以上運転に従事していたことが明らかになった。そこからタコグラフの存在しない乗務日においても、走行距離が三五〇キロメートルを超える乗務日は、二四時間以上乗務していたと推測できたのである。
その後、弁護団は、証拠保全により収集した証拠の分析、担当労働基準監督官との面談、意見書の提出など折衝を重ねてきた。
その結果、二〇〇〇年末、労災認定の通知が遺族のもとに届けられたのである。これにより、労災請求については一段落したものの、次は民事の損害賠償請求を控えている状況である。
四 刑事告訴
本件過労死事件においては、労災請求、民事訴訟という流れともう一つの流れがある。それは、本稿のメインテーマでもある過労死を原因とする刑事告訴の試みである。
昨年一一月一六日、被災者の二人のご子息は、「(被災者の)心筋梗塞死は、使用者として労働者の健康を守るための注意義務を被告訴人(会社社長)が怠ったため、生じたもの」として、業務上過失致死罪で大阪地方検察庁に刑事告訴をした。検察庁では、特捜部が対応している。過労死を理由とする業務上過失致死罪での刑事告訴は、全国でも初めてである。
過労死の問題が取り上げられるようになってから久しくなるが、未だに過労死事件が後を絶たず、残された家族の悲しみは消えない状況である。過労死の認定率は依然低いままであり、過労死であることを訴えられず泣き寝入りしている遺族も多いであろう。
民事訴訟においては、すでに二〇〇〇年三月の電通過労自殺事件最高裁判決において、使用者には業務量等を適切に調整するための措置をとるべき注意義務があることが明らかにされている。
使用者は、労働者の生命・身体の健康に配慮すべき注意義務、すなわち安全配慮義務を負っている。本件刑事告訴は、使用者の負う安全配慮義務が単に民事責任において問題となるばかりでなく、刑事責任においても問題となるものであることを提起するものである。
しかし、過労死を理由とする刑事告訴については、まだまだ超えなければいけないハードルがある。使用者の負う安全配慮義務が、はたして刑法における業務上の注意義務であるといえるか。
業務上過失致死罪における業務とは、社会生活上の地位に基づき、反復継続して行う事務で、かつ他人の生命・身体に危害を加えるおそれのあるものとされている。
タクシー運転手の業務は、長時間労働、深夜労働、継続的精神的緊張、運転席という狭く固定された作業環境、歩合給制度による労働強化といった特質を兼ね備えるものであり、過労死の温床と呼んでいいほど劣悪な労働条件である。このように労働者をして、劣悪な労働条件の下で業務に従事させている場合、使用者は、いっそう労働者の生命・身体の健康を図るべき地位にあり、運転日報やタコグラフ、出入庫管理記録等を通じて、日頃から労働者の業務量を管理し適切に是正すべき義務がある。右義務を怠ると、一歩間違えば生命を危険にさらす事態となるのである。
本件被災者は、前記のとおり、休日出勤を繰り返し、残業に継ぐ残業を重ね、年間総労働時間も約四五〇〇時間に及ぶ。被災者は、会社の中でも常にトップクラスの売上高を記録していたが、会社はこれを奨励こそすれ、労働者の生命身体の健康を図る措置を一切とらなかったのである。
以上のとおり、会社社長が業務上の注意義務に違反したことは明らかであり、検察庁は、迅速な捜査を遂げた上、速やかに起訴すべきである。
使用者も、「民事責任のみならず刑事責任も問われる」となれば、過重な業務を野放しにするということはできないはずである。
本件過労死を理由とする刑事告訴が、現状打開の一石となることを願ってやまない。
(弁護団は、松丸正、下川和男、私の三名である。)
告 訴 状 ○○○○○○○○ 告 訴 人 ○ ○ ○ ○ ○○○○○○○ 同 ○ ○ ○ ○ 大阪府茨木市中河原町四番一号 茨木高槻交通株式会社 被告訴人 Y 大阪地方検察庁 御 中 右告訴人両名は右被告訴人を業務上過失致死罪(刑法第二一一条)により告訴します。 告 訴 の 理 由 告訴人両名の父亡○○○○は、平成九年二月三日より被告訴人が代表取締役の職にある茨木市中河原町四番一号所在の茨木高槻交通株式会社に、隔日勤務のタクシー運転手として勤務していました。 亡○○は同一一年三月八日、業務に従事中急性心筋梗塞を発症し、死亡したものです。 亡○○のタクシー乗務の仕事は、日常業務そのものが深夜労働を含む長時間労働であり、かつ運転中常時緊張を求められる過重な業務です。 また、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なうことは周知の事実であり、使用者には業務の量等を適切に調整するための措置をとるべき注意義務があることは明らかです(最高裁第二小法廷平成一二年三月二四日判決電通過労自殺事件判例タイムズ一〇二八号八〇頁)。 これに対し、被告訴人は平成九年労働省告示第四号自動車運転者の労働時間等の改善のための基準に著しく違背して、一乗務当りの労働時間が二四時間を超える乗務や、休日の乗務が頻繁にある、年間ベースにすれば乗務拘束時間のみ(他に出庫前、入庫後の各種業務がある)で四〇〇〇時間を超える明らかに過重な乗務に従事させたものです。亡○○の心筋梗塞死は、使用者として労働者の健康を守るための注意義務を被告訴人が怠ったため、生じたものです。 本件に限らず、常軌を逸した長時間の過重業務から生ずる多くの過労死を根絶するためにも、業務上過失致死罪として迅速に捜査を遂げたうえ、起訴されることを求めて告訴に及んだものです。 告 訴 事 実 罪名及び罰条 業務上過失致死 罪刑法第二一一条 |
2000/01/01