過労死問題について知る

HOME > 過労死問題について知る > 勝利事例・取り組み等の紹介 > 船長の過労死─重ねて認定──東京高裁95・2・28判決── 弁護士 小林保夫(民...

船長の過労死─重ねて認定──東京高裁95・2・28判決── 弁護士 小林保夫(民主法律時報281号・1995年3月)

弁護士 小林保夫

 さきに91年(平成3年)12月20日、東京地裁は、船長として操船中死亡した亡・下勇さんの死亡原因について職務上の事由によるものとして社会保険庁長官の遺族年金不支給処分を取消す判決を言い渡しました。社会保険庁は、この判決を不服として東京高裁に控訴していましたが、同高裁も95年(平成7年)2月28日控訴を棄却し、原判決を支持する判決を言い渡しました。社会保険庁は、上告を断念しました。

一、事案の概要
 下勇さん(死亡当時55才)は、アジア・北米間の定期航路に就航した新鋭高速のコンテナー船タワーブリッジ号(総トン数34,487トン)の船長として乗船し、6か月余りもその間一度も下船することなく勤務していました。
 そして1986年(昭和61年)7月9日、タワーブリッジ号が東京港から名古屋港に向けて航行中、名古屋港に入る直前、操舵室で水先案内人と交替した直後そのままブリッジで倒れ、間もなく死亡しました。死因は急件心不全とされました。
 遺族が、職務に起因する死亡として社会保険庁に対して船員保険法に基づく遺族年金の支給を求めたところ、同庁は、下勇さんの死亡が職務上の事由によるものとは認められないとして不支給の裁定をし、審査請求、再審査請求も棄却されました。
 そのため下勇さんの遺族が、束京地裁に対してさきの処分の取消を求める裁判を提起し、東京地裁は、91年(平成3年)12月20日、下勇さんの死亡が職務に起因するものと認定し、遺族年金不支給処分を取り消す判決を言渡しました。
 これに対して社会保険庁が控訴していたものです。

二、東京地裁の判断
 束京地裁の判決は、労働省労働基準局長の昭和62年第620号通達における認定基準について、「心筋梗塞症等の発症直前において業務に伴う著しい疲労、睡眠不足、ストレス等があるときは、これを業務上の負傷に起因する疾病とすることを前提とし、ただその判定に当たっての恋意性を排除するために判断基準を発症前一週間以内の客観的な業務の過重性に求めたものと考えられる」
とした上で、
 「心筋梗塞発症直前及びその前一週間以内に従事した業務の内容が、一般的かつ客観的にみれば、通常の所定の業務内容に比較して特に過重な内容であるとか程度であるとかいえない場合であっても、具体的な状況下において、石の業務内容に止まらないその他の業務にに起因する事由が存在し、これが当該業務内容とあいまって、発症直前までに当該被保険者に著Lい疲労、睡眠不足、ストレス等をもたらしたと認められ、かつ他に当該被保険者の心筋梗塞症の発症に寄与したと認められるような因子が見当たらない場合においては、なお当該職務と心筋梗塞症の発症との間に相当因果関係があり、職務起因性が認められるものと解すべきである。」
との解釈を示しました。
 そして同判決は、下勇さんの場合について、右の解釈に基づき死亡の一週間前よりもはるか以前にまでさかのぼって職務内容、勤務状態はもちろん、本人の性格、職歴、精神状況などにまで立ち入って詳細な検討と認定を行い職務起因性を認めたのです。

三、東京高裁の判断
1、社会保険民の控訴は、結局原判決認定の事実関係は争わず、620号通達に関する原判決の解釈とその適用に誤りがあるとして、あらためて620号通達とこの通達についての社会保険庁・労働省のきわめて制限的な解釈・運用が正当であることの確認を求めるものでした。
 労勧省によるその解釈・運用はもちろん、620号通達自体についても、いわゆる過労死のほとんどにつ いて職務起因性を否定するものとして、従来から社会的に強い批判が寄せられており、今日では労働省もその見直しを行わざるをえない状況にたちいたっています。
 したがって社会保険庁の主張がとうてい容認されるべきでないことは言うまでもありません。
2、高裁判決は、まず、業務の過重性の判断基準について原判決の判断に加えて、「職務経国性の判断基準としての業務の過重性は、単に発症当時判明していた一般的、外形的な事実からだけ判断すべきものではなく、むしろ、事後的に判明した事情をも含め、当該発症者に存した個別具体的なあらゆる事情を、総合的に検討して判断すべきものと解するのが相当である。」との判断を示しました。
 次いで620号通達及びその解説の解釈に言及する形で、「発症前一週間より前の業務について、判断が困難であるとはするものの、一要因として考慮することを全く否荒する立場に立つものとは解されないこと等を考慮すれば、船員保険の被保険者が心筋梗塞症を発症した場合に、当該被保険者に関する個別具体的状況の下で、発症前一週間より前に従事した業務による疲労の蓄積等を考膚した上、これと発症直前及びその前一週間以内に継続した業務とが相まって、発症直前までに当該被保険者に著しい疲労、睡眠不足、ストレス等をもたらし、かつ、他に当該被保険者の心筋梗塞症の発症に寄与したと認められるような因子が認められない場合には、当該業務が特に過重であったと客観的に認められる場合に該当し、心筋梗塞症の発症に職務起因性が認められるものと解するのが相当である。」
との判断を行いました。
 そして、高裁判決は、本件航海における下車の業務ほ、「他の航海の場合と比較して」、「外見上、質的・量的に特に異常なものではなかった」と認定した上で、
「そうすると、下勇の心筋梗塞症の発症については、本件の具体的状況の下においては、発症前一週間より前に従事した業務による疲労の蓄積と、発症直前及びその前一週間以内に継続して従事した業務とが相まって、発症直前までに同人に著しい疲労、睡眠不足、ストレス等をもたらしたもので、他に同人の心筋梗塞症の発症に寄与したと認められるような因子が認められないのであるから、当該業務が特に過重であったと客観的に認められる場合に該当し、同人の心筋梗塞症の発症は、その職務に起因するものと認めるべきである。」
として、職務起因性を認め、原判決の判断を維持しました。
 そして社会保険庁の「発症前一週間より以前に生じた事由を考慮することば、現在の医学的知見を示した前記専門家意見書に基づいて作成された本件通達及びその解説に反する」とする主張を排斥しました。

四、高裁判決の意義
 東京高裁の判断も、形式的には620号通達の認定基準に添う体裁を取りながら、内容的には原判決と同一の法律判断とその適用を行ったもので、職務起因性を広く認定しようとする裁判動向に添う妥当なものと言えるでしょう。
 まず、業務の過重性の判断基準について、当該業務に従事する平均的な労働者を基準として過重性を判断するのでなく、個別の対象者毎に、過重であったか否かを具体的に判断すべきであるとしていること、対象者の死亡の直前の業務が、従来従事していた業務に比して「外見上、質的・量的に特に異常なものでなかった」場合においても過重性の判断の妨げにならないとしていることが指摘出来ます。
 次に、判決が、業務にともなう(一週間をはるかに上回る)長期にわたる疲労の蓄積が、著しい疲労、睡眠不足、ストレス等をもたらし、それが心筋梗塞症の発症の原因となったことを認定している点も、620号通達とこの通達についての労働省の解釈と運用の破綻を示す一事例を重ねたことになるでしょう。
 また判決は、直接には言及していませんが、判決が、労働省の主張するようなストレス等と心筋梗塞症の発症との間の因果関係について厳密な医学的メカニズムが証明されなければならないとする解釈を採用していないことも指摘出来ると考えます。
      (1995・3・13)
(民主法律時報281号・1995年3月)

1995/03/01