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ケーキ工場の労働者(責任者)繁忙期の過労死に労災認定 弁護士 財前昌和(民主法律時報259号・1992年11月)

弁護士 財前昌和

一、はじめに
 ケーキなどの洋菓子の製造販売で有名なコトブキで働いていた故Aさんの過労死が、1992年10月14日、尼崎労働基準監督署で業務上と認定された。
 Aさんは、1986年12月17日午前4時、自宅で突然苦しみ出し、妻のHさんが救急車を呼び病院に運び込むも死亡(発症当時44歳)。
 妻のHさんは、その後大阪過労死問題連絡会が過労死110番を行うことを新聞で知り、1989年6月17日に110番へ電話相談。
 これがきっかけで労災申請をすることになり、1990年4月3日付けで労災申請。死亡後6年、申請後2年半でようやく労災と認められた。
二、仕事内容
1 所定労働時間
 Aさんの一日の所定労働時間は、午前8時から午後5時までの8時間(1時間昼休み)。日曜および土曜月1回の不完全週休2日制だった。従って、週所定労働時間は通常44時間、週休2日の週は40時間。
2 業務内容
 Aさんはケーキのスポンジ製造部門の責任者だった。部下は正社員が2~3人で、その他はパート・アルバイト。繁忙期の12月頃には45人ないし50人を使っていた。
 Aさんの仕事は、製造に直接タッチすることのほか、他の従業員の指導監督、オーブンの温度管理等の品質チェック、毎日の製造個数の把握などの管理的仕事にも従事していた。また、必要に応じて機械の修理、機械の改良にも従事していた。

三、業務の過重性
1 繁閑の差が激しい業務
 コトブキでは、時期によって忙しさが全く異なり、ケーキの売れ行きの落ちる夏場は比較的暇。他方10月から12月にかけては、クリスマスシーズンに向けてきわめて忙しい。10月頃からクリスマスケーキの仕込み等で午後9時、10時頃まで残業。Aさんが発症したのも、クリスマスに向けて忙しさがピークに達していた12月17日だった。
2 賃金台帳の記載からだけでも過重な労働時間
 賃金台帳によると、1986年の所定外労働時間は、4月39・5、5月25・5、6月4・5、7月24、8月0、9月7、10月47・5、11月91・5、12月102となっている。うち12月は、11月21日から12月16日までの26日間である。
 この期間休日出勤をしていないとすると、22日出勤していたことになるので、1日当たりの所定外労働時間は4時間38分、総労働時間は12時間28分(所定労働時間の1・58倍)となる。
 この数字自体、Aさんの業務が量的に過重であったことを示している。しかし、実際には後述のようにAさんはこれ以上働いていた。
3 休日出勤の有無が争点に
 クリスマスシーズンは多忙な時期であり、妻のHさんや元部下の話によると、この期間は毎年休日なしで出勤し、1月に代休を取っていたようである。このため、賃金台帳に記載されていない休日出勤の有無、とりわけ発症直前の日曜である12月14日に休日出勤をしていたかが重要な争点となった。
4 早出、昼休み無し、長時間残業
 Aさんは、ラインの責任者ということで、他の従業員が出勤する前に作業の段取りをし、定時にすぐ作業を始められるよう午前6時ないし午前7時には出社していた。
 昼休みもオーブンを遊ばせることができないので、Aさんは15分ほどで昼食を済ませると、すぐに仕事を再開していた。
 さらにこの時期は、午後11時頃まで残業をしていた。午後7時以降はパートが帰り、残った正社員と一緒に作業をしていた。そして作業終了後は、1人で翌日製造する量を集計し予定表を作成していた。
5 労基署の判断
 12月14日の休日出勤の有無が争点だった。妻のHさんや私が事情聴取した元部下は、休日出勤をしたと説明していたが、労基署の調査によると、会社は記録に残っていないと否定し、同僚の説明は分かれていたとのこと。
 労基署はこの判断は悩んだようであるが、会社がもっとも忙しいこの時期にAさんが休日出勤した可能性が高いとして休日出勤を認定した。これが業務上となった大きな要因であろう。
 また労基署は、発症前1週間は連日13時間ないし15時間働いていた、発症前日の12月16日は14時間働いていたと認定。会社の記録に残っていないサービス残業が存在した可能性も認めていた。
 結局、労基署の認定によってもAさんの発症前1週間の労働時間は100時間程度、所定労働時間の2倍以上となっている。
 労働時間を証明する資料が会社に残っており、会社が労基署に提出したこと(私が行ったときは資料は無いと答えていた)、前述のように記録に現れていない労働時間を労基署が認定したことも大きい。
「調査は終わっている。後は評価だけだ」と担当者に言われて、1年以上待たされた。労基署もかなり悩んだようだ。

四、その他の問題
1、本件発症の原因
 死亡時に診た医師は、直接の死因を急性心不全とし、その原因として心筋梗塞の可能性があると診断した。死因が急性心不全のままでは認定は難しいため、疾患が何かも争点となった。労基署は一次性心停止と判断した。
2 使用者は誰か
 Aさんの発症当時、コトブキでは分社化を進めており、会社の記録上はAさんは1975年に退職し、有限会社T商会に移っていた。しかし実態は、工場のラインごとに有限会社とし、T商会という名称も責任者の上司の名前をそのままとったもの。上司が変わると別の商会に変わるという、まったくの名目だけ。
 この点は、労災申請では支障とならなかったが、企業責任追及の場合には問題となっただろう。
(民主法律時報259号・1992年11月)

1992/11/01