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女性の過労死問題を考える~いのちと心を企業に奪われないために~ 弁護士 岩永惠子(民主法律時報259号・1992年11月)

第3期均等法実践ネットワーク講座(第2回)
女性の過労死問題を考える
~いのちと心を企業に奪われないために~

弁護士 岩永恵子

 働くことが、男性と同様に女性にも当たり前になってきましたが、そのことに比例して、女性の間にも働き過ぎによる健康破壊「過労死」が、人ごとではなくなってきています。
 今回の均等法ネットワーク講座は、「ジャパニーズカローシ」と国際語にもなった「過労死」が女性労働者も巻き込んできている職場の実態を、富士銀行の女性過労死事件の故岩田栄さんの事件を担当されている黒岩容子弁護士に講演してもらい、それをうけてトーク・トークでは、故岩田さんと同じ富士銀行、第一勧業銀行、住友生命、全税関の各職場から女性労働者の職場の実態と、健康破壊を食い止め働く権利を確保していくために、どのような取り組みをしているかを話し合いました。
 ところで、日本で女性の過労死裁判とマスコミで大きく報じられたのが、富士銀行兜町支店で外為窓口をしていた故岩田栄さんですが、栄さんの裁判がマスコミで報じられた時は、とうとう日本の女性労働者も「過労死」するまで酷使されてきたのだ、という思いでした。
 黒岩弁護士は、過労死110番に寄せられた相談では、被災者の層が業種・年齢・性別・地位を問わず、あらゆる層に広がっている事実を指摘しました。
 そして、日本的労使関係が海外に輸出され、労働運動が規制されているアジアでは、まさに過労死が輸出されているとの指摘がなされました。
 また、過去4年間の相談件数3000件のうち900件が女性の過労死・働きすぎについての相談でした。
 大阪の「働く婦人110番」活動でも報告されていますが、特徴的なのは母親が娘の働き過ぎを心配して電話相談してくることです。
 娘さんはとても電話をかけられる時間は無いからです。
 日本では、女性の過労死について3件の労災認定がされているそうです。
 いずれも、保健婦(51歳)・福祉作業指導員(52歳)・看護婦(47歳)という専門職のケースで、一般事務での栄さんのようなケースは初めてなのです。

 栄さんのお父さんの岩田大賢さんも「講座」に参加され、栄さんが生理痛、鼻炎、皮膚炎、胃炎などの全身の病的症状をきたすなかで、健康を破壊され、やがて衰弱していき喘息が引き金となって亡くなられたという、子どもを亡くされた苦しさ、かけがえのないわが子を永久に失った喪失感を、切々と語られましたが、子を持つものなら誰でも涙なくしては聞けないものでした。
 そして、「娘の悲劇を繰り返さないため」との訴えに、参加者は栄さんの悲劇は人ごとではないとの思いを深めました。
 トーク・トークに参加した各報告者の女性たちは、いずれも入社以来さまざまな嫌がらせや賃金・昇格差別等にめげず、元気で明るく働いてきた女性たちです。

 富士銀行では、栄さんが亡くなった時期に、大阪でも内部事務員の長時間労働はピークに達し、多くの女性行員が辞めていったなかで、働き続けるポイントを時間外手当をきっちり請求することだと、上司の非難、嫌がらせにもかかわらず一人ひとりから時間外手当を請求していったところ、銀行も人員を増やし、現在では時間外も月5時間位まで抑えられるようになったとの報告がなされました。
 住友生命の女性の報告は、自分自身が昭和47年に頸肩腕障害に罹患し、労災認定を受けてリハビリ勤務に入ったあとの辛い体験をユーモアを交えて報告されました。
 リハビリ勤務を始めたものの、会社から職場八分や別室に隔離されたりして、法務局の人権擁護委員会に訴えて、昭和60年にやっと職場復帰したが、その後は職場のスピードについていけず4カ月の入院をせざるを得なかったこと。
 しかしその後は、自分にあった働き時間は定時を守る、仕事で自分を売り込むことほしない、会社のいう自己啓発や試験は受けない、職場をたえず労働基準法を基準にして見るようにしよう、おかしいことには「おかしい」と声を上げ、早朝のサービス残業をやめさせ、午後の疲労回復体操をきっちりやらせるようにした。
 そのなかで、人員が増え、残業も減ってきて、有給休暇も取りやすくなった、との報告は参加者の多くの共感を呼びました。

 いま、女性も男性も含めて、どんな働き方をしていくのかを考えなければいけない時期に来ていると思います。
 女性が男性並みに残業して、休日労働して、有給も消化しないで働かないと、男女の差別が無くならないというのはナンセンスです。
 全税関では、先日大阪地方裁判所民事5部に係属していた全税関差別の裁判で、裁判所は税関当局が全税関組合員を差別していたことを認め、国に対し組合員個人に金10万円を、組合に金100万円の支払いを命ずる画期的な勝利判決をしましたが、この裁判の提訴は昭和49年ですから、一審の判決まて実に18年の闘いでした。
 裁判を闘うなかで、それまで職場での組合員の研修差別・主張差別・入寮差別・昇任昇格差別・賃金差別等あらゆる差別がなされていたのが、差別が徐々に無くなって、現在では入所間もない若い組合員を除いて、全員が係長以上の組合員で、課長も生まれているとの報告は、少数でも闘う人たちがいると職場は変わっていくとの確信をもてるものでした。

 これらの講演や報告は、健康破壊や過労死、さまざまな差別を解消していくための働き方を、参加者に提起するものでした。
 女性が、いきいきと働き続けることに確信をもてる集会であったと思います。
 均等法実践ネットワーク講座も、働く女性たちに定着してきたように思います。
 大企業で働き、組合もあるのに、なかなか女性たちの声が組合に反映されないもどかしさ、組合もない中小企業で働く未組織の女性たちにとって、そしてこれから働きに出ようとする学生たちにとって、本講座ほまさに学習と実践と、そして連帯の場であるように思います。
 本講座が女性たちに留まらず、男性労働者の多くの参加も得て、働く者の連帯の場になればと期待しています。
(民主法律時報259号・1992年11月)

1992/11/01