川口過労死事件勝利報告──監督行政の厚い壁を実感 弁護士 城塚健之(民主法律時報252号・1992年2月)
弁護士 城塚健之
半年で2300時間も働いたあげく、40歳の若さで亡くなったレッカー車運転手、川口弘さんの過労死事件について、昨年12月13日、羽曳野労働基準監督署は、ようやく業務上認定を出しました。88年の過労死110番で相談を受け、全国一斉申請の大阪唯一事件としてスタートしてから3年、川口さんが亡くなられてから早や4年の歳月がたっていました。この間、朝は新聞配達、昼はパート、夜は弁当屋で働き一家を支えてきた奥さんの苦労がやっと報われました。
「本件が過労死にならないのなら、この世に過労死は存在しない」というほどの超長時間労働は早くに立証しましたが、監督署は、手待ち時間が多いのでそれほど過重とは言えないのではないか、また、死亡診断書上には「急性心不全」としかないが、その原因が不明であるとして認定に難色を示していました。これを突破した大きな力は、第1に、運輸一般という力強い味方を得て職場の実態調査ができたこと、第2に田尻先生の医学意見書で死因が「くも膜下出血」であると説得できたことでした。もちろん「川口さんの過労死認定を勝ち取る会」が結成されて、強力な申し入れ等ができたことも大きな力となりまLた。
しかし認定理由はお粗末なものでした。すなわち 発症前夜にラフターのパンクを一人で修理したことが過重な負荷となり「くも膜下出血」を発症した」というのです。異常な長時間過重労働についてのコメントは一切なく、まったくの肩すかしでした。他事件への波及を避けたい、何とか穏便に済ませたいという「配慮」だけが目につきました。
私たちは改めて、監督行政の厚い壁を」美感するとともに、弁護団だけで細々と取り組んでいたら、これだけの事実関係のもとでも負けていたのではないかと、ヒヤリとさせられました。それを勝利に導いたのは、連動の力です。支援をくださった皆さん、本当にありがとうございました。(弁護団は、池田直樹・城塚健之・野村克則)
(民主法律時報252号・1992年2月)
1992/02/01