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過労死110番活動報告 弁護士 池田直樹(民主法律204号・1989年2月)

弁護士 池田直樹

一 大阪過労死問題連絡会の結成
 1981年7月、労働組合、医療研究者、法律家、被災者とその家族により、過労死の労災認定闘争や職場の環境・労働条件の改善等を目的として会が結成。月1回の例会を重ね、認定闘争の中心になってきた。
  この間「会」として取り組んだ事例は25件にのぼる。
  また、83年には啓蒙用に「過労死110番」という小冊子をつくり、幅広い層に過労死問題を問い掛けた。現在この冊子は全て売り切れており、近くその改訂版がでる予定である。
二 88年度の活動
  87年10月、脳・心臓疾患の労災認定に関する新規準の制定を受けて、会では昨年4月19日、大阪弁護士会で「過労死シンポジウム」を行った。事前に報道されたこともあって、一般参加者も含め、主催者の予想を上回る80名以上の参加があった。なによりもマスコミの関心の度合いが高く、数社から取材があった。
  シンポを受けて、4月23日「過労死110番」と銘打って、電話相談を全国に先駆けて行ったところ、当日で18件、5月12日までにさらに8件の電話相談があり、4月30日には、弁護士会の一室を借りて特別相談日をもうけて、継続相談を行った。
  このような状況のもと、会は全国的な電話相談活動を強化する必要性を痛感し、東京のストレス疾患労災研究会に全国相談の組織化を呼び掛けたところ、6月18日に札幌、仙台、東京、大阪、京都、神戸、福岡の全国7カ所での一斉相談が実現した。相談件数は、全国で135件、大阪でもさらに29件の相談があり、その後、110番活動は、名古屋、横浜にも広がり、全国で88年内の相談件数は500件以上、大阪でも80件以上にのぼり、さらに増え続けている(別表参照)。
  そのうちで、過労死シンポで報告された神戸フェリーターミナル・藤井事件(全港湾)、110番の相談事例である平岡事件(ベアリング工場班長)、川口事件(レッカー運転手)等、現在まで計7件につき申請ないしは手続きの途中から受任し、さらに多くの継続相談事件を抱えるようになっている。
  さらに、11月22日および本年1月10日の2回にわたり、大阪労働基準局との新基準の解釈運用をめぐる交渉を行い、適正な認定実務を強く要請した。

三 個別の事件の状況
  会として現在認定闘争に取り組んでいる事件を若干紹介する。
 1 読売テレビ事件、署段階で業務外との決定
  心筋症の基礎疾病を有する音声作業(MA)担当副部長が昭和61年10月31日、新任副部長研修中に死亡したもの。
  本件の特徴は、会社が主治医から「安静が必要」「日常生活制限、残業の禁止」という報告書をうけとっていたにもかかわらず、残業や深夜勤務に従事させ、さらに研修に参加きせていることである。
  死の8カ月前から朝の連続テレビドラマを担当し、さらに大型特別番組にも死の直前から着手し、基礎疾病を有する被災者は相当無理を重ね、不整脈や疲労を訴えていた。そこに、非日常的な副部長研修が六甲で行われ、その最終日に倒れたもので、業務起因性は明らかであると思われた。ただし、新基準下でも、基礎疾病が在る場合の「過重業務」の強度さが要求されると予想されるので、それ自体の不当性は勿論であるが、その枠組みの中でも充分認定されるべき事案であることを強調してきた。
  ところが、昨年2月24日、担当監督署長は、業務外の決定を出した。局とも協議し、全国一律の基準下で判断した結果という。理由の詳細は明らかではないが、やはり心配していた基礎疾病ある場合の「過重業務」に副部長研修はあたらないというものであろう。

 2 平岡事件(110番事例、7月7日申請)
  大手ベアリングメーカーの工場班長の平岡氏(48歳)が、昨年2月急性心不全で死亡した事件。生前特に健康状態に問題はなかった。
  勤務形態は、昼勤午前8時から午後5時、夜勤午後8時から翌朝5時で、昼夜が1週間で交替する二交替制勤務である。
  しかし実態はすざまじいまでの残業がおこなわれ、昼夜の交替に際し、暦日の休日はなかった。62年度、平岡氏が休んだ日は、奥さんの記憶によれば、3月に知人の結婚式で2日、お盆に2目、年末年始に5日、たったこれだけである。直前3カ月の残業は公式のもので月110時間以上で、これ以上の可能性もある。奥さんの作った勤務表を是非見てほしい。「豊かな日本」という中で、大手企業のなかですら、まだこのような実態があるのである。
  遺族は平岡さんの過労死を確信し、会社に協力を求めたが、『昨日までの「企業戦士」も死んで労災を叫ぶとたちまち「戦犯」扱い』(松丸弁護士)である。組合も残念ながら非協力的である。その一万で、会社は、平岡さんの死後、労働条件の修正に取組み、監督署によれば「かなり改善がみられる」とのこと。そのこと自体は、会社内の現在の労働者の健康のため、好ましいことなのであろうが、平岡さんの遺族に非協力的なまま、会社主導で健康管理が進んでいくことには、何か割り切れない思いがする。
  監督署は、現在までの間にほぼ調査を終えたが、反応はきわめて悪い。必要以上にガードが固く、遺族が要求すれば当然回答すべき会社の健康診断結果についてまで「守秘義務」を盾に口頭の回答すらしない。過重性の判断基準は、所定業務との比較であり、残業をくみこまない就業規則上の業務を基準にすることは確認したものの、やはり死亡前1週間の業務が従前業務と特別の差異がないことが大きな壁になっているように見える。
  仕事の過重性についても指導課長が「もっとひどいところはいくらでもある」と発言するような認識がある。また、死因が原因不明の急性心不全ということで局と協議に回し、さらには本省りん伺に回される予定とのこと。
  このような状況を打開するために、「働き過ぎ社会を考え平岡さんを支援する会(仮称)」を早急に設立し、支援体制をつくる必要を痛感している。実際、新基準下初の認定例である大分のタクシー運転手の事件でも、自交総連の署名や座り込みをふくめた強力な運動なしには考えがたいし、神戸フェリーターミナル事件でも全港湾の力が大きく影響ししている。本件は、新基準が正面から試される重要事件であり、是非支援をお願いする次第である。

 3.神戸フェリーターミナル誘導員事件については全港湾の報告を参照されたい。

四 課 題
 1 認定闘争
   110番事件は大部分が組合の支援もなく、遺族被災者と弁護士が細々と頑張っている状況であり、平岡事件でのべたように、支援組織・体制をつくる必要がある。
  また、医師との連携体制を再強化する必要が強い。労基署の形式的判断をつきくずすのは、大きな運動と科学の力だからである。また、マスコミ報道ももっと利用する必要があろう。

 2 遺族・被災者の連絡組織
  孤立しがちな遺族や被災者の横の連絡も今後の課題である。昨年11月22日、東京で 「被災者・遺族の会」が開かれたが、大阪でもこの種の会ないし文集等の検討がなされるべきである。

 3 職場実態調査
  最終的な運動の目標はなにより、労働者の健康を守ることであり、そのための第一歩として、職場の実態調査を、ひろく一斉に行うことも検討すべきである。そのことが、一人一人の健康への関心や意識をたかめ、組合の活性化にもつながろう。会社主導の健康管理は労務管理の一貫でもあるが、今日大企業を中心にかなりすすんできており、組合がこれに対置する方針政策をもつ必要がある。

 4 学習活動
  認定基準のみならず、過去の実例や医学の基礎知識等を含めた学習活動により全体の理論水準を高めていく必要もある。個々の事例検討におわりがちな例会活動の他に、年に数回の研究会等をもつことも目標にしたい。

(民主法律204号・1989年2月)

1989/02/01