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過労死110番 弁護士 松丸 正(民主法律202号・1988年8月)

弁護士 松丸 正

  過労死の労災認定をすすめるために、弁護士、医師、遺族、労組により7年前に結成された大阪過労死問題連絡会では、本年4月と6月の2回「過労死110番」を行い、100件近い過労死に関する電話相談を受けた。相談のなかで目立ったものは、営業部長、課長等の中間管理職のサラリーマンの夫を過労死で失った妻からの訴えだった。ノルマと競争のなかで、週休2日、時短という建て前とは無縁の長時間労働のなかで、燃えつき、逝った「企業戦士」たちの働きざまが浮かびあがってきた。
  ある大手の製造業の中間管理職のA氏は、今年の1月4日から、昼勤は午前8時から午後8時まで、夜勤は午後8時から翌日午前8時までの1日12時間労働で、1週間ごとに昼勤と夜勤が交替し、日曜は休みどころか午後1時から翌月曜の朝8時までの19時間労働を1日の休みもなく続け、2月末に心筋梗塞で倒れ亡くなっている。亡くなる1カ月程前には、父の働きづくめで疲れきった様子を見かねた娘さんがコンサートのチケットを2枚友人からもらってきて、父に仕事を休んで一緒に行こうよと誘ったが、父はおし黙ったままだったと言う。やむなく娘きんはお母さんと一緒にコンサー卜に行き、その2日後、父は倒れたのだ。

  昔、ヨーロッパで炭坑夫が炭坑に入るとき、カナリアの鳥かごを一緒に持って作業し、カナリアのさえずりのやむ時、自分たちの身にも有毒ガス等による危険が近づいたことを察して炭坑から退避したという。過労死は現代のカナリアの鳥かごということもできよう。
  また、労働の現場の状況。「空の巣」となった家庭の状況、人格が摩耗されていく状況が最もよくみえる断面とも言えよう。あけてもくれても仕事の、早送りビデオのごとき人生をおくり、それがために心身の健康はもとより、家庭そして白らの豊かたるべき人生をないがしろにしていることについて、立ち止まって考えてみることを過労死問題は教えている。

  連絡会では、過労死110番で受けた相談のうち10件近くの労災認定手続を準備している。しかし過労死の労災認定については、二つの壁が立ちはだかっている。
  一つは昨年10月に改訂された新語定基準では、発症前一週間内に従前の日常業務と比較して特に過重な業務があったことを定めていることである。よせられた相談の多くは、数カ月あるいは数年間過重な労働に従事して燃えつきて倒れたケースが多く、認定基準はこのような過労死の実態をふまえていない門戸として狭きに失するものと言えよう。現に多くの判例もそのことを指摘している。
  もう一つは、過労死の労災認定についての企業の消極的姿勢である。認定を得るために必死の思いで遺族が企業に夫の生前の仕事の内容を聞きにいっても、法を無視した過酷な労働条件が表ざたになるのをおそれてか、協力を得られることは稀である。そのために美の生前の仕事の重みを明らかにできず、認定されにくいと嘆く声も今回の相談で多く聞かれた。

  過労死問題の根源は、労働者闇、企業間、業種間の競争にあり、労働組合がその規制力となりえていない点にあると言えよう。先ほど挙げたA氏の件につき、遺族はこの7月労働基準監督署に労災の請求手続をなしたが、その際の陳述において高校生の息子さんが「父さんが高校を出てからのことが書かれた文『労働組合のある会社で働きたい」と書き、一度就職したのに退職したそうだ。それだけに、父さんが期待していた椿本労働組合は死んでいたのが悔しい。」と述べている。労働組合が死んでいる状況をいかに克服するか、過労死問題は多くの課題を労働組合に投げかけている。

(民主法律202号・1988年8月)

1988/08/01