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事実認定に変更はなく、過重性の評価によって業務上と逆転裁決 弁護士 脇山拓(民主法律228号・1996年8月)

弁護士 脇山 拓

1 被災者の従事していた業務
 Oさん (昭和21年7月25日生、発症当時43歳)は、大阪府K市のO製鎖株式会社の組立担当課長でした。
 会社自体の業務内容は、各種歯車、減速機、変速機などの製造、販売であり、被災者の担当する業務内容は、組立負荷計画の立案・管理、製品組立の進行管理、現地工事の立案・施工管理、人事管理、組立工場の安全衛生管理などで、技術者としての面と管理者としての面をあわせ持つ、典型的な中間管理職です。

2 発症とその後の経過
 被災者は、平成2年7月4日、出張先の大分県津久見市の現場でくも膜下出血を発症して倒れ、病院へ運ばれましたがそのまま死亡しました。
 この津久見市の現場は、Oセメントという会社の工場の建設現場で、O製鎖がその工場のために納入した機械が試運転の際に故障してしまったため、その点検、修理作業の現場工事責任者として被災者が派遣され、現場での作業の指揮・監督・元請との打合せ、進行管理、会社との連絡などにあたっていたのです。
 故障・目体は、O製鎖側の技術的なミスであり、事態の収拾のために、被災者は大阪と大分を往復し、発症前3週間休みなしという状況でした。
 こうした労働実態でしたので、残されたOさんの妻は直ちに労災申請を決意し、会社も協力して資料を作成の上、平成2年7月27日、神戸東労働基準監督署長に労災給付金請求の手続をとりました。
 しかし、神戸東労基署長は同年10月25日付けで不支給決定をし、審査請求も平成4年7月31日付けで棄却されました。
 このため、Oさんの妻は専門家の援助を求めて大阪弁護士会に相談に訪れ、当職が再審査請求を前に代理人となることとなりました。

3 審査会の逆転業務上裁決
 審査会の口頭審理は再審査請求から2年たった平成6年10月13日に行われました。
 審理にあたっては、ちょうど当時は労基署の狭い認定基準を批判して業務上とする判決が相次ぎ、労働省・目身が認定基準を見直そうと動いている時期でしたので、このような社会情勢の変化を踏まえて事案を検討し直す必要があることを強調し、十分に業務上判断し得る事案であることを指摘しました。
 労災保険審査会は、口頭審理から2年近くたった平成8年6月20日付けで、Oさんの発症を業務に起因するものと認め、労基署長の不支給決定を取り消す旨の裁決を行いました。裁決では、Oさんの労働実態については、労基署長、審査官と事実認定を変えたわけではなく、これまでは過重でないとされていた業務内容を、「総合して評価すれば、被災者の場合、発症前に過重な業務が継続していたとみるのが相当である」として、業務起因性を認めています。

4 評価
 正直言って、この間のさまざまな流れの変化があるとは言え、審査会で、事実認定に争いもないのに逆転の結論がでるとはまったく予想していませんでした。
 本件の裁決書の過重性の評価の仕方は、私たちが書く意見書のようで、これまでもらってきた紋切り型の愛想のない裁決書とおなじところのものとは信じられません。
 結論の良い裁決でほっとしていますが、やはり再審査請求から4年というのは、あまりに長すぎると思います。
(民主法律228号・1996年8月)

1996/08/01