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斉藤さん公務災害認定裁判勝訴判決 弁護士 飯高 輝(民主法律228号・1996年8月)

弁護士 飯高 輝

1 事件の概要
 本年7月29日、吹田市西消防署の副署長であった斉藤茂幸さんの脳梗塞について、大阪地裁第5民事部(松山裁判長)は、地方公務員災害補償基金大阪府支部長がした公務外認定処分を取り消すとの判決を行い、その後同基金支部長か控訴を断念したため判決は確定した。

 斉藤さんは、本作疾病発症当時、吹田市西消防署の副署長であったが、19862月24日、署の幹部会議に出席していたところ、当日休んでいた部下から自殺をほのめかす電話がかかってきた。このため斉藤さんは、署長の指示を受けて、署の司令車で急遽その部下の自宅に駆けつけることにした。なお斉藤さんは、自殺騒ぎか近所の人に知れるおそれがあると考え、部下の自宅から約160メートル離れた地点に車を停車し、そこから全力疾走で部下の自宅のある公団建物まで行き、さらに4階の部屋まで駆け上がった。
 自宅にいた部下は、大量の薬物を服用していた様子であったため、「何を飲んだか」と問い質したが、泣くばかりで何も答えようとしなかったため、斉藤さんか薬物を確認するために部屋の中を探したところ、近くの屑籠の中に、カプセル薬を取り出した後の殻が約40個あるのを発見した。斉藤さんは、すぐに部下を病院へ連れて行く必要があると考え、強い口調で病院へ行くよう命じたか、「ここで死なせてほしい」と言って泣くばかりであった。そこで斉藤さんは、部下の襟首をつかみ憐の部屋に引きずって行き、そこで立たせた後、病院へ運ぶ車を準備するため、急いで階段を駆け降り、駐車していた司令車のところまで約160メートルを全力疾走し、同車を運転して部下の住む建物階段横に付け、再び階段を駆け上がって4階の部屋に戻った。そして、部下の右手をつかんで自分の首にかけさせ、左手で部下のズボンのベルト部分をつかみ、抱きかかえるようにして階段を下り、車の助手席に座らせて、吹田市民病院に急行した。

 病院に到着した斉藤さんは、正面玄関に車を停め、部下を抱き抱えるようにして約60メートル歩いて内科の受付に行き、看護婦に事情を説明して医師の診察を受けさせた。この間、マイク放送で斉藤んが乗ってきた車を移動するようにとのアナウンスかあったのて、約60メートル走って病院玄関前の車のところへ行き、車を病院の駐車場の一番奥に駐車して、再び約300メートル走って診察室まで戻った。

 その後、医師が部下を検察室に連れて行くよう看護婦に命じ、看護婦が斉藤さんに受付で車椅子を借りてくるようにと言ったので、斉藤さんは、急いで受付まで車椅子を取りに行った。そして、斉藤さんが部下を車椅子に乗せて押しながら、小走りで検査室に向かった。
 検査終了後、今度はICU室に運ぶことになり、斉藤さんは、部下を抱きかかえるようにしてエレベーターに乗せ、ICU室に連れて行った。
 斉藤さんは、部下をベッドに横にさせ、看護婦が血圧測定を行うのを見守っていたが、そのうち部下やその家族、特に3人の子供のことを考え、いてもたってもいられない気持ちになった。その時斉藤さんは、急に心臓が高鳴り出し、心臓が飛び出すような感覚に襲われ、耳の後ろの血管かドクドクと脈打つ音か聴き取れるほどで、自分が倒れるのではないかと思った。そこで、隣室にいた看護婦を呼び、血圧をはかってもらったところ、看護婦は、「高い」と言って再度計りなおしたが、やはり「高い」と言い、「今動くと倒れるよ」と告げた。

 斉藤さんは、2、3分安静にしていると、とりあえず心臓の高まりがおさまったように思われたので、腕時計を見ると、午後零時30分であった。斉藤さんは、午後1時に訓練現場の下見のために担当者と署で待ち合わせていることを思い出し、看護婦に部下のことを頼むと言い残して病室を出て、エレベーター前まで行ったか、エレベーターかなかなか来そうになかったので、階段を駆け降り、更に駐車場まで約230メートルを走って行き、署に向かって車を発進させた。
 結局、斉藤さんが当日走ったり、部下を抱きかかえるようにして移動した距離は、約1200メートルを下らなかった。
 斉藤さんは、病院から署までをどう走ったのか覚えておらず、帰署後昼食をとり、仮眠室で横になって新聞を見ていたが、新聞を持つ手の自由かきかず、何度も新聞が手からすべり落ちるので、病院へ搬送してくれるよう頼んで、救急車で病院に運ばれたが、病院へ到着後の記憶はなく、再び記憶か戻ったのは同日午後9時ころであった。

 斉藤さんは、「脳梗塞(右麻痺)」と診察され、入院治療を受け、その後「脳梗塞後遺症」と診断されている。
 このため斉藤さんは、地方公務員災害補償基金大阪府支部長に対して公務災害の認定を請求したが、本件疾病は公務に起因したものとは認められない旨の決定を受けた。そこで、地方公務員災害補償基金大阪府支部審査会に対して審査請求を、さらに地方公務員災害補償基金審査会に対して再審査請求をしたが、いずれも請求を棄却されたため、1994年4月、大阪地裁に対して公務外認定処分取消訴訟を提起したものである。

2 争点と判決内容
 裁判での争点は、①本件疾病の公務遂行性、②本件疾病の公務起因性の二点であった。
 公務遂行性については、裁判の段階になって初めて被告が主張してきたものであるが、発症前の救助行動自体が斉藤さんの職務や日常業務とは異質のものであり、また、斉藤さんが自殺をはかった部下を、これまで通常の上司部下という関係を超えて私的にも面倒を見てきたという親密な関係にあったことから、本件救助行為は、私的な行為に過ぎないというものであった。

 公務遂行性に関する被告の主張は、救助活動自体は、消防署員である斉藤さんが普段から公務として行っている通常の業務と同様の行動であり、斉藤さんにとって特に異常な出来事とは言えないこと、斉藤さんには高血圧症、糖尿病、慢性肝炎の基礎疾病が存在しており、本件脳梗塞は、斉藤さんが有していた基礎疾病による病態が自然的経過で発症したものに過ぎず、公務との相当因果関係は認められないとするものであった。

 これに対して判決は、公務遂行性について、本件部下の救命行為は全体として署長の指示に基づいて行われたものであること、副署長の職務には、部下の人事管理が含まれていること等を理由に、公務遂行性を肯定した。
 公務起因惟について、判例は、斉藤さんの副署長としての日常業務は、職員の人事管理や年間行事予定の企画、立案、その実施指導等デスクワークが中心の仕事仕事であり、緊急時の現場での職務も現場において隊員指揮監督するのみで、自らが鎮火活動に従事したり、火災現場に入って救助活動を行ったりすることはなかったこと等の事実を認定した。また、斉藤さんの健康状態については、高血圧症、糖尿病、慢性肝炎基礎疾病はあったが、本件当時まで定期的に医師による治療を継続するとともに、主治医による発症当日朝の診察の結果でも、斉藤さんの症状か急激に著しく増悪する徴候は認められなかった等の事実を認定している。そして、発症当日の状況については、「事件の概要」で述べたとおりの事実を認定した。
 判決は、公務と疾病との間の相当因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る程度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は、通常人が疑いを差し挟まない程度の真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつそれで足りるとの立場のもとに、本件における公務起因性を肯定した。すなわち、本件公務が、日頃から公私にわたり面倒を見てきた部下からの自殺をほのめかす電話という極めて異常な出来事に端を発し、斉藤さんが、部下の自宅に駆けつけた後、同人を説得して病院へ連れて行き、診察を受けさせ、署への帰途につくまでの約3時間の間、部下の容体を心配し、極めて強度の精神的緊張を持続させていたことは容易に認め得ること、斉藤さんが全力疾走や駆け足等により移動した距離は約1200メートルを下らず、その間水分を補給した事実がないことを考慮すると、斉藤さんか強度の身体的負荷を負ったものといえること、斉藤さんは、消防署に勤務していたとはいえ、今までに災害現場での救助活動の経験はなく、その主たる職務はデスクワークが中心であったことからすると、本件発症当日の職務が精神的身体的に過重なものであったということがてきること等から、本件公務と本件発症との間に相当因果関係があると認めたものである。
 なお判決は、本件発症1週間前の斉藤さんの行動についても、その業務が過重であった事実関係を認定するとともに、特に、発症前6日前に、斉藤さんか衛生管理者試験を受験した際、往復の行程で風邪をひいて、本件当時体調が万全とはいえなかったことも考慮されるべきであるとしているのである。

 本件については、弁護団の中ではもちろん、この事件を知る弁護士の間では、本件が公務外とされるのであれば、公務上と認定される事例は無くなってしまうと言われていたほど公務災害であることが明らかな事件であった。
 本件判決は、斉藤さんの主張を100パーセント完全に採用したものであり、われわれの常識にかなった評価すべき内容であることは言うまでもない。しかし、常識的に考えて公務災害であることが明らかと思われる本件のような事例でさえも、基金の段階では斉藤さんの主張がことごとく排斥され、発症から10年以上も経過した後、裁判所に至ってようやく救済されるという事実をこそ重くとらえなけれればならないであろう。審査請求の段階からかかわった弁護団の力不足を反省しなければならない点はあろうが、同時に、基金制度の持つ問題点も改めて検討しなければならないと思われる。
 (弁護団は、高橋典明・井奥圭介・飯高 輝)
(民主法律228号・1996年8月)

1996/08/01