過労死問題について知る

HOME > 過労死問題について知る > 勝利事例・取り組み等の紹介 > S長距離トラック運転手過労死事件報告 弁護士 村田浩治(民主法律228号・199...

S長距離トラック運転手過労死事件報告 弁護士 村田浩治(民主法律228号・1996年8月)

弁護士 村田 浩治

1 事件の発生
 故Sさんの死亡は5年以上前に遡る。1991年1月31日午前10時頃、会社が専属的に運搬している堺市内にある昭和アルミ製造所から富山県滑川方面に向かう途中の北陸自動車道徳光パーキングエリアの男子トイレの大便所の中でうつ伏せに倒れているところを清掃係員に発見された。
 すぐに救急病院に運ばれたが、出発日からみても、おそらく前日である1月30日の早朝にすでにくも膜下出血を発症していたと推定された。1月末の寒冷下に一昼夜放置されたことかさらに悪い影響を与えたためであろう、Sさんは2月1日午後12時49分死亡した。

2 Sさんの労働内容と業務起因性
 S氏はアルミ製品を堺から九州や富山、栃木と長距離運搬する業務でありすべて単独で運行し、しかも殆どが連日、夜間に運行し翌日に帰宅してはその夜に次の出発先に向かうというものであった。
 Sさんの倒れた1月30日の前1週間の労働を例にとれば、次のごごくであった。

1月22日、深夜午前2時頃に福岡から帰宅
       午後0時に家を出て会社で荷積み午後7時帰宅
       午後12時頃、厚木へ出発
1月23日、午前9時頃、厚木に到着
       午前11時、清水市へ
       午後4時頃、清水到着、午後6時出発
1月24日、午前1時頃、帰宅
       午後0時自宅を出て会社へ
       午後2時頃、御所市へ
       午後6時頃、御所市で荷積みして午後8時、流山へ出発
1月25日、午前8時頃、流山到着
       午前10時頃、出発
       自宅に電話があり下都賀郡に向かう
1月26日、午前8時頃、下都賀郡に到着
       午後8時、出発
1月27日、自宅に戻る、(日曜日)
1月28日、午後1時家を出る
       午後7時帰宅
       午後11時、高岡へ出発
1月29日、午前7時、高岡到着
       午前9時出発
       午後6時堺に戻る
       午後8時一旦帰宅するが、午後10時会社から滑川方面へ出発
1月30日、発症
1月31日、午前10時発見

 1週間取ってみても単独運転で殆ど睡眠時間を取っていない極めて過酷な労働である。
 労働省が定めた平成元年労働基準局長通達7号「自動車運転者の労働時間改善のための基準」によれば、拘束時間2週間平均で1週間あたり78時間未満、1日の拘束時間13時間未満を原則とし、延長する場合も最大拘束時間16時間で1日あたり15時間を越える回数は1週間のうち2回以内とする」と規制している。しかし、Sさんは1週間前には拘束時間20時間を越える回数が4回もあり1週間の拘束時間は100時間を越えている。こうした基準に照らしてもSさんの業務の過重性は明らかであった。
 弁護団は、こうした業務の過重性に加え、Sさんが倒れる直前に頭痛を訴えていたことから、直前にすでにくも膜下出血を発症していたにもかかわらず、業務を継続したことがさらに出血を増悪させたこと、さらには倒れた直後に発見されていればあるいほ救命されたが業務中に立ち寄って悪化して倒れたドライブインのトイレに丸1日放置されたことによって救命の機会が奪われたことや、直前の凍結道路の走行ストレス等、被災者の死亡が業務に起因する根拠を述べて業務上認定をも止めた。

3 堺労働基準監督署の認定
 弁護団はSさんの過重性を確信していたが、会社は協力的でなく、またタコメーターなどSさんの労働を裏付ける資料は殆ど残っていなかった。
 しかし、運輸一般労働組合の協力も得てSさんの運搬先から一般的なコース(一般道か高速道か等も含め)を割り出し、経験則に照らして運転時間を割り出した。また気象庁に問い合わせて、当日の富山方面の天候や道路の状況(チェーン装着か携行か等)も照会した。会社から手に入れたガソリンの消費量の一覧表から1ケ月あたりの走行距離を割り出した。
 監督署は会社からの聞き取りや必要資料の提出など求めたが、会社の非協力的な対応もあって長い日時か経過した。
 担当者はこの間、3回変わったが、3人目の担当者によって起案された業務上の決定が平成8年4月に出された。

4 監督署認定の評価と問題点
 監督署は、会社から提出された高速券なども参考にコースを割り出し、タコメーター等なしでもSさんの走行距離を割り出し、そこから運行時間を推定して過重性を認定した。こうした監督署の合理的推認の手法は従来の客観証拠資料偏重ともいえる認定態度からみれば評価されていいであろう。
 こうした推定によって労働内容が認定されるならばその過重性は明らかであり、そういう意味ではSさんの業務上認定はなるべくしてなったと言えるだろう。
 しかし問題は、この認定にいたるまでの時間である。資料にこだわらず推定による認定の手法で判断するのであればもっと早く認定されるべきであった。発症から5年、労災申請から数えてもすでに4年が経過していた。
 他方で、直前まで監督署が推定による業務の認定をするのか否か全く分からなかった事から見れば、認定手法も含め、平成7年度の労災認定に対する行政の姿勢の変化が本決定に影響がなかったとも言い切れない。
 企業が協力しない場合、存在するある程度の資料から業務内容を推定していく手法は、今後もさらに行われるべきであろう。

5 会社の対応と企業責任
 労災認定後、会社に対し会社としての補償の打診をしたが、会社はまったく応じない、本件のような運転労働改善基準違反があるケースは会社の責任も当然問われることになるだろう。
 今後は企業責任追及を求めて、現在、提訴準備中である。
  (弁護団は、松丸正、江角健一、村田浩治)
(民主法律228号・1996年8月)

1996/08/01