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技術者脳血栓K事件 弁護士 財前昌和(民主法律211号・1992年2月)

弁護士 財前昌和

一 事件の概要
 1989年四月28日西野田労基署に労災申請していたK事件(本人存命の過労疾病事件)が、19911年11月29日業務上認定となった。(まだ障害補償の決定が残っていますが、近々出る予定です)。
 被災者は昭和12年生まれの男性。業務内容は照明制御装置(ディスコのミラーボールをコントロールするもの)の設計・施工。
1989年1月6日、軽い脳血栓を発症したが、その後も仕事を休むことができず、結局同月19日本格的に発症し倒れた。
 本件での主な争点は以下の2点であった。
 ① 被災者の労働者性
 ② 業務の過重性
二 労働者性
1 被災者は、本件会社に就職する以前、自宅で家内労働を行っていたという経過があったため、被災者と本件会社との問には以前の関係の残滓が残り、被災者が本件会社の労働者なのか否かが争点となった。しかし、本件は労働者性の明らかな事案であった。例えば、
① 時間的・場所的拘束性
   被災者は、本件会社の他の従業員と同様に、毎朝午前九時に出社し、タイムカードを記入していた。また、会社内の作業場で作業を行うことが義務付けられていた。
② 経済的対価の決定方法
   被災者に対する報酬は、タイムカードに記載された労働時間に基づいて計算されていた。
③ その他
 被災者は、他の会社から仕事を受ける自由はなく、本件会社の仕事のみを行うという立場にあった。
 作業のための資材・滑粍材・道具のほとんどを本件会社から提供ないし貸与されていた。また、被災者は、本件会社の肩書で外部の業者に発注を行っており、対外的にも本件会社の労働者と見られていた。
2 労基署が問題とした点
 ① 本件会社の他の労働者とは異なり、被災者が雇用保険に加入していなかったこと、②税金の支払いが源泉徴収ではなぐ自己申告だったことの2点を最後まで問題とした。
  しかし、実務上の認定例からみてこの点は問題とならないのは明らかである。それまでの交渉の中で、労基署は、被災 者の勤務時間は非常に長いので、労働者性が認められれば、認定基準をクリアーすることを認めていたので、なんとか労働者性の判断ではねたかったのではないかと思われる。

三 業務の過重性
1 会社では照明制御装置の設計・制作の専門的知識・技術を有するのが被災者1人であったため、被災者に仕事が集中し、慢性的に長時間労働を余儀なくされた。通常1日12、3時間、発症2カ月前は毎日15時間以上業務に従事していた。タイムカードの記載によると、1987年9月(約278時間)、10月(約329時間)、11月(約390時間)、12月(約385時間)。
2 会社には仮眠場所はもちろん、布団や暖房設備すらなかったため、被災者は、床の上で仮眠を取って徹夜残業していた。余りの寒さに、自分の車で暖房を入れて眠ったこともある。
3 被災者は、照明装置の設置や修理のため頻繁に出張していた。しかも出張中ははとんど徹夜作業。出張と出張の間には、出張先で必要な装置の制作のため、徹夜作業をすることもあった。
 発症2日前の1988年1月4日も、自ら車を運転して和歌山へ出張。途中車内で仮眠を取った後、翌日早朝現場に到着し、直ちに作業を開始。翌5日作業を終え帰宅。翌6日いつも通り出勤したところ、勤務中に発症している。
4 労基署が問題とした点
①1987年12月頃はかなり労働に従事していたことは認めるが、間に年末正月休みがあるので疲労は回復していたはず、
②和歌山出張があったのは事実だが、それはいつだかはっきりしていない、
の2点だった。
 ②についてはこちらの主張通り認定したため、①が争点となることなく業務上の認定となった。

四 とりあえずの感想
 あまりに酷い労働実態ということもあるが、被災者が存命の事案だったため労働実態、発症前の状況がある程度把握セきたこと、タイムカードという客観的証拠があったこと、被災者本人が相当精力的に動いたこと、などが要因で業務上認定となったと思う。

(民主法律211号 92権利討論集会特集号)

1992/02/01