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研究論文「働き過ぎと健康障害──勤労者の立場からみた分析と提言──」(抜粋)(1994年1月 経済企画庁経済研究所主任研究官 徳永芳郎)

は し が き

 本稿は、近年の我が国における 「働き通ぎ」の問題を健康障害との関連で分析したものである。「働き通ぎ」あるいは「健康障害」は身近な問題であるが、立ち入って検討しようとすると、多くの専門分野にまたがる学際的なテーマであることがわかる。研究上の基本的な方針として、普通の国民が抱いている素朴な疑問や問題意識を大切にし、分かり易い改善策を考え出すことに努めた。
 本稿の検討過程では、経済企画庁 経済研究所の吉川 淳前所長、大乗洋一前次長、先輩同僚諸氏から貴重な指摘と助言を戴いた。また、ワーク・ショップ(論文検討会)では、中央大学 法学部の角田邦垂教授(労働法学)、北里大学 衛生学部の林 峻一郎教授(精神医学)、日興リサーチセンターの横溝雅夫副理事長(マクロ経済)および連合抱合生活開発研究所の小林長暢主幹研究員(労働経済)の四氏から、専門的な分野について貴重なコメントと助言を戴いた。さらに、国立衛生院 疫学成人病室長の上畑鉄之丞氏(公衆衛生学)から有益なコメントを戴いた。
 以上のように、本稿をとりまとめる過程では、経済企画庁の上司、先輩諸氏と各分野における第一線の専門家の助言を受ける機会に恵まれた。与えられた助言のかなりの節分は、加筆、修正、データの補強などの形で活用させて戴いたが、最終的な成果物の内容については、筆者のみが責任を負っている。
 本稿に書かれている意見や政策提言は、経済企画庁の公式見解ではなく、同庁経絡研究所の主任研究官としての個人的見解である。「働さ過ぎと健康障害」というテーマに関心を持っておられる方々に議論の叩き台として読んで戴き、御批判や御叱責を賜れば幸甚である。

第2章 「過労死」の実態

 働き通ぎによる健康障害が、最も端的に表れているケースとして「過労死」の問題をとりあげてみよう。この問題は、例外的なものではなく、現在の日本社会に深く根ざしている広がりのある問題である。

(1) 過労死とは何か

 「過労死」とは、働き通ぎのために疲労が蓄積し、死亡することである。この「過労死」という用語は、医学上の概念(診断宅に書かれる病名)ではなく、また、公式の統計にも採用されていない概念である。しかし、近年の我が国では、働き過ぎの象徴として「過労死」は、マスコミによる報道等を通じて社会的に定着した用語となっている。「過労死」という表現が最初に使われたのは、今から11年前(1982年)に出版された書籍「過労死」(上畑鉄之丞・田尻俊一郎編書)であるとされている。(※2)

(2)過労死問題はいいつ頃から生じたのか

 仕事上の過労が原因で多数の人が死亡する、という現象は、一体いつ頃から生じたのであろうか。正確な時期を特定することは困難であるが、以下のような事情を勘案すると、過労死問題は日本経済の高度成長が始まった1960年項から徐々に生じ、第1次オイルショック(1973年)後の減量経営の時期から増大したと考えられる。
 後述するように、いわゆる過労死は脳血管・心臓疾患が中心となっており、この疾患を業務上の災害として認定するかどうかについて、労働省が基準を設定している。ここで、労働省の通達「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒中、急性心臓死等)の業務上外認定基準について」の日付をみると、1961年2月となっている。また、この通達の中で、「単なる疲労の蓄積があったのみでは、それの結果を業務上の発病又は増悪とは認められないこと」と記述されている。これらの事実から逆に判断すると、いわゆる過労死をめぐる問題は、少なくともこの通達が出された頃には生じていたと考えられる。(なお、この認定基準は1987年10月に改正され、現在に至っている。)
 一方、公衆衛生学者の細川汀氏は、「1961年以降、「働き過ぎの病気」に取り組むなかで、労働に関わる脳血管・心臓病や自殺の業務上認定について相談を受けるようになった」と述べている。(※3) また、公衆衛生学者の上畑鉄之丞氏は、過労死問題の経過について次のような認識を示している。過労死の問題が始まったのは、日本経済の高度成長が終わり、低成長に移行した1974年~75年頃だと思われる。この時期に、循環器の過労死で労災の申請をしたいということで同氏のところに相談に来る人が多くなった。その次の時期は、第2次石油危機が生じた1979年~1980年頃である。この時期の特徴としては、企業が積極的に導入したエレクトロニクスやコンピューターなどの新しい技術に対応するために、労働者が必死になって仕事をしたことがあげられる。第3の時期は、最近の数年間である。この時期には、長時間労働や精神的負担の問題がクローズ・アップされるようになった。このように、過労死問題は1970年代の中頃からいろいろな経過をたどりながら段々と膨れ上がってきたような感じがする。ただし、それ以前の昭和20年代、30年代にも「過労死」というものはあったが、どちらかというと過重な肉体労働を反映した「過労死」であった。(※4)

(3)「過労死110番」に寄せられた相談内容

 過労死問題については、公的な統計や調査は存在しない。そこで、弁護士や医師達によって開設された「過労死110番」に寄せられた相談内容をみてみよう(第5表)。1988年6月の開設当時から1992年6月までの4年間における相淡件数は的3,000件で、このうち7割は労災補償の相談であり、さらにその7割は死亡事案で占められている。労災補償相談に表れた「過労死」の実態については、3つの特徴点が指摘できる(ここでは、死亡したケースだけでなく、重篤な障害が残ったケースが含まれる)。第一は、「過労死」の具体的な病名をみると、脳血管・心臓疾患が圧倒的に多いことである。第二は、被災者を年齢別・性別にみると、中高年の男性が大部分を占めていることである。第三は、被災者の勤務先が幅広い業種にわたっており、また、被災者自身の職種にも多様性がみられることである。もっとも、病名については、脳・心疾患だけでなく、精神障害による自殺などが含まれていることに留意する必要がある。また、被災者の中には、30歳代や20歳代の若年層が少なからず含まれており、女性の被災者も存在することに注目する必要がある。

(4)相談窓口でみた「働き通ぎ」の内容

 重篤な健康障害を引き起こすような働き過ぎとは、具体的にはどのようなことであろうか。「過労死110番」で把握された内容を統計的にみてみよう(第6表)。相談内容を労災補償についての相談と過労死の予防・働き過ぎについての相談に分けてみると、はば同じような内容となっている。
 労災補償の相談についてみると、「長時間労働」、「過重な責任やノルマ」、「不規則な勤務形態」が大きな割合を占めており、さらに、「納期に追われる」、「仕事上のトラブル」、「出張過多」、「単身赴任」などが続いている。一方、予防・働き通ぎの相談については、「長時間労働」、「残業過多」、「業務多忙」、「深夜勤務や交代制」、「休日出勤」が大きな割合を示しており、さらに、「人員の不足」、「過重な責任やノルマ」、「不規則な勤務」、「仕事の自宅への持ち帰り」、「通勤の負担」等々、数多くの項目がリスト・アップされている。いずれの相談においても、働き通ぎの具体的な中身としては、「長時間労働」が際立って重要な地位を占めている。

(5)壮年期の「急な病死」の実態調査

 厚生省は、毎年、「人口動態社会経済面調査」を実施しているが、平成元年には壮年期の「急な病死」というテーマについて本格的な実態調査を行った。調査報告書の冒頭で、このテーマを選んだ背景として、「我が国の平均寿命は世界のトップクラスの位置を占め続け、人生80年時代といわれる一方では、社会の担い手であり家庭の中心となっている壮年期の年代での「急な病死」が関心を集めている」ことが指摘されている。
 調査の対象県は10県で、調査客体は、①死亡時に30歳以上65歳末満であること、②病死で、かつ、直接死因の期間が7日以内であること等である。この調査における 「急な病死」とは、調査客体のうち、1週間前の健康状態が「健康であった者」および「病気または体が弱かったが日常生活に支障はなかった者」の合計である。
 調査結果をみると、「急な病死数」が全休の死亡数に占める割合は男性13%、女性12%とよく似た値となっているが、人口10万人当たりでは男性59人、女性21人で男性の方が3倍ほど高い値を示している(第7表)。死因別にみると、男女ともに脳血管疾患、心不全、虚血性心疾患等の循環器疾患が9割近くを占めている(男性では心不全が多く、女性では脳血管疾患が多い)。次に、既往症の有無についてみると、男女ともに、既往症を有していた者の割合は約7割である。このうち、循環器疾患による死亡者については、最も多い既往症は高血圧症である。(第8表)。 「急な病死」を職業別にみると、男性では「仕事をしていた」人が8割で大部分を占めており、無職は2割である。これに対し女性では、「仕事をしていた」人は4割で、「専業主婦」が5割、無職が1割となっている。このような事実から、仕事による過労が死亡の重要な誘因になっているのは、主として男性であると考えられる。「仕事をしていた」男性を就業形態別にみると、雇用者は65%を占めているが、自営業主も34%という高い割合を示していることが注目される。職業別分布の内訳や就業形態別分布からみると、日本人男性の過労による死亡は、ブルーカラーやサラリーマンなどの雇用者だけでなく、自営業主にもかなり生じていることが理解される(第9表)。
 なお、上記の「壮年期の急な病死」についての実態調査では、死亡の1週間前に、既に「入院していた者」や「日常生活に支障があった者」は除外されており、また、生前の仕事が過重であったこかどうかについては調査されていないことに留意する必要がある。過労が原因でl週間以上前から入院あるいは日常生活に支障をきたしていた者は調査客体から除外されている。また、高血圧等の既往症が、仕事上の過労が原因となっていたかどうかは不明である。

(6)大手企業に勤めているホワイトカラー層の自己診断

 現役のサラリーマンとして日々働いている人達は、自分の疲労度をどのように感じているのであろうか。大手企業に勤めている 500人の男性のホワイトカラー層を対象とした富国生命の調査をみると、体を酷使している人がいかに多いかが理解できる(第10表)。自分自身が過労死する可能性について、「可能性が高いと思う」と答えた人は9%、「可能性か多少あると思う」と答えた人は37%となっている。両者を合わせた割合をみると、全体で46%となっており、年齢別にみても、20歳代は4割弱、30歳代は4割強で、40歳代と50歳代はいずれも5割強となっている。また、家族から「過労死するのではないか」という不安を訴えられた人は、4人に1人という高い割合を示している。
 大手企業に勤めている男性のホワイトカラー層は、官庁の基幹労働力となっている官僚層と並んで、終身雇用制や年功序列制等いわゆる日本的雇用慣行が、典型的にみられる階層であり、健康障害をひき起こすほどに働き過ぎている代表的な存在であると考えられる。

第3章  労働時間についての比較検討

 我が国では、勤労者1人当たりの労働時間を示す統計としては、毎月勤労統計調査(企業側からの調査)が一般的に使用されている。もう1つの統計である労働力調査(個人側からの調査)の労働時間をみると、毎勤続計よりもかなり長く、また、長時間労働は男性の一部に集中していることが分かる。

(1)毎勤統計でみた労働時間の推移(男女平均)

毎勤統計によって、常用労働者l人当たりの、年間の総労働時間(男女平均)を長期的にみると(第1図)、高度経済成長が始まった昭和35年がピーク(2,432時間。サービス業を除く産業計、従業員30人以上)となっており、その後は、高い生産性の向上を反映して一貫して減少を続けた。(※5) しかし、この減少傾向は、第1次石油危機後に底を打ち(同2,064時間)、その後は平成元年頃までは、景気の動向に応じて増減はあったが、ほぼ横ばいの状況にあった。総労働時間は、平成2年から4年にかけて、景気が成熟局面から大幅な後退局面に移行したことを反映して、ようやく減少傾向を示すこととなった。
 総労働時間の推移を所定内労働時間と所定外労働時間に分けてみると、所定内労働時間は、昭和51年から59年までの期間を除くと、昭和35年から最近年に至るまで明確な減少トレンドを示している。これに対し、所定外労働時間は、景気変動に伴って増減しながらも、昭和50年頃までは、すう勢的には低下傾向にあったが、その後の時期については、平成3年に至るまで、どちらかというと上昇傾向にあったと言える。所定外労働時間は、平成4年になって減少に転じた。
 労働時間の長さを企業の規模別にみると、所定内労働時間については大企業の方が短いが、所定外労働時間については大企業の方がむしろ長くなっている(第11表)。このような対照的な違いは、景気変動に対しては残業時問の調整で対応しようとする姿勢が、大企業の方に、より強くみられることを反映していると考えられる。

(2)男女別の労働時間の推移(労働力調査)

 労働経済学者の森岡孝二氏は、労働力調査に基づいて我が国における雇用者の労働時間を就業時間別、男女別に検討して、労働時間構造に2極化の傾向かみられると指摘した。(※6) 同氏の分析は、昭和50年代前半と60年代後半のデータを比較して、超長時間就業者と短時間就業者数の割合が共に高まっており、前者は男子の労働時間の延長により、後者は女子のバートタイム労働者の増加に起因しているという事実を明らかにしたものである。
 本稿では、労働力蛸査のデータを昭和30年まで遡り、また、平成4年まで更新して、労働時間の長期的推移を男女別、就業時間別に詳しくみてみよう。
 まず、男女別に労働時間の推移をみると、男性と女性は異なったバターンを示している(第2図)。女性の平均労働時間は、昭和30年代中頃から最近年に至るまで、はば一貫して減少傾向にある。これに対し、男性の平均労働時間は、昭和30年代初めから第1次石油危機直後の50年までは、変動を伴いながらも減少傾向がみられたが、51年から63年までは逆に増大傾向を辿った。因ろに、昭和63年における男性の平均労働時間は、30年代後半の水準にまで高まった。平成元年以降は、景気の成熟と後退を反映して男性の平均労働時間は、ようやく減少にじた。なお、労働力調査においても、男女平均でみた場合には、第1次石油危機直後から平成元年頃までの期間は、労働時間はほぼ横ばいとなり、毎勤統計の総労働時間(男女平均)とよく似た動きとなっている。しかし、この横ばい傾向は、男性の労働時間の増大傾向が、女性の労働時間の減少傾向によって相殺されたことによってもたらされたものである。
 次に、男女別に就業時間別の雇用者の割合が、どのように推移してきたかをみてみよう(第3図)。昭和30年からの推移を5年毎の構成比の変化で把えると、男性では昭和50年代前半から60年代前半にかけて、超長時間労働(週平均60時間以上、年間換算3,120時間以上)の雇用者の割合が目立って増大し、長時間労働の割合も上昇している。平成に入るとこれらの割合は減少に転じているが、その値は依然として高い水準に止まっている。他方、女性については、短時間労働(週平均15~34時間)と中時間労働(同35-42時間)の割合が増大傾向にある。なお、女性の超長時間労働者の割合は、昭和30年代前半から昭和40年代後半にかけて急速に低下し、その後はほば横ばいとなっている。

(3)超長時間労働の男性の雇用者散は増大している

 労働力調査で把握される上記の男女別、就業時間別の雇用者数のうち、男性の超長時間労働者をとりあげて、その推移を追ってみよう(第4図)。男性全体の雇用者致は、昭和30年には約1,000万人であったが、毎年増加を続け平成4年には約3,000万人となり、3倍の規模に達している。この中で、超長時間労働(週平均60時間以上、年間換算3,120時間以上)に従事している男性の雇用者数は、昭和30年には 245万人で、その後は変動を示しながらも増大傾向を示している。特に、50年からは急速に増大し、昭和63年と平成元年には 685万人に達した。この超長時間労働者が男性の雇用者数全体に占める割合の推移を5年平均でみると、昭和30年代前半は23%(ピークは31年の24%)で、その後次第に低下し、50年代前半には16%(ボトムは50年の13%)となったが、その後は増加に転じ、60年代前半は23%(ピークは63年の24%)にまで高まった。平成2年以降は、人数でみても構成比の面でも超長時間労働者は減少傾向にあるが、依然として高い水準に止まっている。因みに、平成4年では男性の超長時間労働者は 528万人(昭和58年代後半の水準)、構成比は17%(昭和40年代後半の水準)となっている。このように、年間労働時間が3,100時間を超える男性の雇用者は、第1次石油危鏡以降の減量経営の中で昭和63年には4人に1人の割合(昭和31年と同じ)にまで高まり、平成4年においても6人に1人という高い割合に止まっている。一方、昭和30年代、40年代における高度経済成長の時代と比べると、生産性の向上がより一層追求されるようになっているので、マクロ的にみると近年の労働密度は、より高まっていると考えられる。労働密度の高まりを考慮に入れると、労働力調査で把えられた超長時間労働の実態は、いわゆる「過労死」が社会問題化するようになったマクロ経済的な背景になっていたと考えられる。

(4)労働力調査と毎勤統計の比較

 労働力調査で把握されている雇用者1人あたりの労働時間を毎勤続計の総労働時間と比較してみよう(いずれも農業を含まない計数)。まず、両統計の長期的な推移(男女平均)を比較すると、常に労働力調査の方が大幅に上回っていることがわかる(第5図)。両統計問の開差を時系列的にみると、昭和30年代の中頃から40年代の前半にかけては、年間240時間前後にまで縮小していたが、第1次石油危機以降は年間360時間前後に拡大している。
 次に、平成4年における両統計の年間労働時間を男女別・業種別に比較してみよう(第12表)。産業計の男女平均でほ、毎勤統計(事業規模5人以上)は1,982時間、労働力調査は2,309時間となっており、後者の方が327時間長くなっている。これを性別にみると、男性では毎勤統計の2,095時間に対し労働力調査は2,506時間で、開差は411時間と一層大きくなっている(女性では、それぞれ1,802時間、2,002時間で開差は 200時間)。業種別にみても、労働力調査の労働時間の方がかなり長くなっている。男性の労働時間に着目して、毎勤続計の業種別分類に基づいて上位5業種と下位5業種をとりあげて両統計を比べてみると、どの業種も労働力調査の方が目立って長く、また、男性の方が女性よりも大きな開差を示している。開差の大きさを業種別にみると、「金融・保険」と「化学工業」が特に大きい。金融・保険業は、毎勤続計では総実労働時間の最下位の業種となっているが、労働力調査では上位業種に属している。(※7)

(5)労働力調査の方が実態に近いと考えられる

 なぜ、労働力調査で把握された労働時間は、毎勤統計の数値よりも大幅に長いのであろうか。最大の理由は、企業側からの調査である毎勤続計では、いわゆるサービス残業、風呂敷残業や中間管理職の残業が計上漏れになっていることにあると考えられる。サービス残業とは、労働協約や就業規則等により超勤手当が本来支給されるべき労働(残業、早朝出勤、休日出勤など)のうち、実際には超勤手当が支払われていない労働のことである。風呂敷残業とほ、自宅に仕事を持ち帰って超勤手当の支給を受けないで行う労働である。中間管理職については、管理職手当が支給されるので、大部分の企業では残業に対しては手当が支給されていないとみられる。他方、個人側からの調査である労働力調査では、残業手当が支給されているか否かにかかわらず、実際に働いた時間が記入されていると考えられる。
 このような解釈は、先に述べた両統計の時系列上の関係についても妥当すると考えられる。すなわち、我が国経済では、2度にわたる石油危機と急速な円高による不況に対しては長時間労働で対処し、また、円高後の平成景気においても、大企業を中心に残業を増やして対応した。このようにして残業時間が増加する中で、若年・壮年層のサービス残業と、中間管理職の残業が増大し、両統計間の開きは年間360時間程度(月平均30時間程度、1日平均1.5時間程度)にまで拡大したのである。毎勤統計の労働時間は、景気指標としては重要な統計であるが、「働き通ぎと健康障害」という分析目的に照らしてみると、労働力調査の労働時間の方が実態をより正確に反映していると考えられる。勤労者の生活実感からみても、毎勤統計における所定外労働時間が月平均12時間、1日平均では約30分に過ぎないと聞かされると、過少推計になっていると感じる人は少なくないであろう。

(6)サービス残業の実態(民間の労働者)

 所定外労働に対する賃金の支払い状況をみてみよう(第13表)。まず、労働省の調査をみると、7割近い労働者については、「割増賃金が完全に支払わわている」。残りの労働者については、「割増は付かないが時間に応じた貸金」、「一部についてのみ支払われている」、「時間に関係なく一定額の手当」、あるいは「所定外賃金は全く支払われていない」という状況にある。この調査は、いわゆるブルーカラー層とホワイトカラー層を含む総合的な調査である。労働白書でも指摘されているように、いわゆるサービス残業は、ブルーカラー層よりも、労働時間の管理が難しいホワイトカラー層に多くみられる。因みに、「割増賃金が完全に支払われている」労働者の構成比(全業種平均68%)を業種別にみると、金融・保険・不動産(25%)、建設業(54%)、卸・小売業(58%)は低く、電気・ガス・水道業(76%)、製造業(77%)は比較的高い値を示している。さらに、調査対象となった労働組合員の職種別構成比をみると、「事務、営業、販売職等」のウェイトが高い業種ほと、サービス残業の割合が高い(「割増賃金が完全に支払われている」労働者の割合が低い)。逆に、現業職のウェイトが高い業種ほど、サービスの割合が低いという傾向がみられる。また、労働組合員のうち大学卒業者のウェイトが高い業種はど、サービス残業の割合が高いという傾向がみられる。
 ホワイトカラー層だけをとりあげた場合、どの程度のサービス残業が行われているのであろうか。民間の大手企業に勤めているサラリーマンを対象とした富国生命の調査によると、役職手当のつかない一般職と係長については、残業手当を「全額きちんともらっている」人は4割にとどまっている。残りの6割のサラリーマンは「いくらかサービス残業にしてしまう」、「一定額までで、オーバーした分はカットされる」、「時間外手当はつかない」と答えている。なお、この調査では、課長や部長等の管理職については、「残業をしても手当はつかない」と答えた人が大部分を占めている。
 サービス残業は、多くの業種や職種に広くみられる現象であるが、その実態(サービス残業の時間的な長さなど)を統計的に正確に把捉することは困難である。

(7)公務員の残業について

 国家公務員の残業についてみてみよう(第14表)。国家公務員の超過勤務手当については、「一般職員の給与等に関する法律」によって超過勤務こ対する割増賃金率が規定されている。この規定では、1時間当たりの超勤手当と休日給手当は、所定内の勤務時間当たり給与の25%増しとなっており、民間の労働者を対象とした労働基準法とほぼ同じ内容になっている。予算に計上されている各省庁毎の超過勤務手当の総額は、職員の平均給与水準(割増貸金の適用後)と職員1人当たり平均の超勤時間(月平均21時間、本省庁分)の積算に基づいて計上されている。一方、超勤時間の実績値については、予算措置を超える部分は把握されていない。ここで、本稿第12表で示した労働力調査と毎勤統計の労働時間の開差(平成4年では月平均27時間)は、所定外労働時間(毎勤統計、月平均11時間)の過少評価分に相当すると仮定すると、雇用者1人当たりの所定外労働時間は月平均38時間と試算される。仮に、ある省庁の超勤時間がこの試算値と同程度であるとすると、その省庁の超勤手当の支給率は約5割(従って、サービス残業の割合は約5割)ということになる。深夜に及ぶ残業が慢性的に行われている部局では、超勤手当の支給率は、この仮設例よりもかなり低いと思われる。
 地方公務員の超勤時間や超勤手当の実績がどのょうになっているかは明らかではない。都道府県別にみても、市町村別にみても、バラツキは大きいとみられる。業務量が拡大する一方で職員数が逆に削減されているような県庁では本省職員の超勤は大幅かつ慢性化していると言われている。また、市町村レベルでも、財政力の弱い自治体では、忙しい部局の残業は過重なものになっていると言われている。
 民間企業と比べた場合、公務員(国家公務員および地方公務員)の超過勤務については次の2つの特徴が指摘できる。ひとつは、各省庁毎に超過勤務手当の総額が予算で固定されていることである。このため、職員平均でみると、超勤時間が増大するにつれて、実行ペースの1時間当たり超勤手当は比例的に減少する。もうひとつの特徴は、官庁間および官庁内の部局間で、繁忙の程度に大きな格差か存在するとみられることである。これら2つの特徴は、公務員の業務こは市場メカニズムが作用しないこと(金銭的に評価することが困難であること)に由来すると考えられる。過重な長時間労働に直面している部局の公務員については、別段の救済ほ置を講じることが必要であろう。

(8) 平均値をみるだけでは不十分である

 労働時間の長さは、産業全体の平均値という形でマクロ的に肥えると2,309時間(労働力調査、平成4年)となっており、これは先進国の中では目立って長いとみられる。この実績値を男女別に分けてろると、男性は2,506時間で女性の2,002時間よりもかなり大きい値になっており、日本人男性の働き過ぎを如実に示している。さらに、就業時間の長さ別の分布をみると、男性雇用者の6人に1人は年間労働時間が3,100時間を超えている。また、業種別に細かくみると、労働時間の長さが際立っている業種がある。公表されていないが、長時間労働の業種を個別企業のレベルでみると、労働時間に大きなバラツキがあると考えられる。また、個別企業の中でも部門や担当によって労働時間の長さは異なっているとみられる。
 働き過ぎによる健康障害の現状を正確に理解し、適切な是正策を講じようとする場合には、管理責任者はその企業の労働時間の平均値をみるだけではなく、個々の従業員の労働条件に十分な注意を払う必要がある。文献やマスコミを通して紹介されている過労で倒れた被災者の労働条件は厳しい内容となっている。我々の身近の知人や友人の中でも、例えば残業時問が月平均100時間程度になっている人をみつけることは、それほど難しいことではない。また、サービス残業の時間数は、会社の記録には留められず、従って、管理者は気がつかない、あるいは、気がつかなかったことにする、という無責任な事実が罷り通っていることに留意する必要がある。

(9)労働時間の国際比較

 労働省の調査に基づいて、製造業の生産労働者について年間労働時間を国際的に比較すると、日本はアメリカやイギリスよりも200時間近く長く、フランスやドイツよりも400時間から500時間ほど長くなっている(第15表)。このような大きな違いを休日数の面からみると、日本の労働時間が長い背景としては、次の2つがあげられる。ひとつは、週休2日制の普及率が低いことを反映して、週休日数がこれら欧米諸国よりも19日少ないことである。他のひとつは、年次有給休暇日の取得日致が少ないことである(時短先進国のドイツと比べると20日も少ない)。
 ここで、我が国における週休2日制と年次有給休暇の実情を企業規模別にみてみよう(第16表)。まず、完全週休2日制の普及率をみると、大企業(従業員1,000人以上)では7割近くに達しているが、中小企業(同30~99人)では1割未満に過ぎず、全体では約4割の水準に止まっている。年次有給休暇のうち、実際に取得した日数は、大企業では9.5日、中小企業では6.7日、全体では8.2日となっている。どの企業規頓においても、付与日数に対する取得日数の割合は約5割となっている。

(10)在社時間についての国際比較(事例研究)

 日本労働研究機構は、連合総合生活開発研究所に委託して、通常の出勤日1日当たりの在社時間等の長さを主要5ヵ国問で比較した。調査対象としてとりあげた業種は、自動車産業(自動車製造業、自動車部品製造業)、電気機器産業、卸・小売業、道路貨物運送業で、調査対象者は、生産部門に従事する現業職の一般労働者である(第17表)。この調査結果によると、出勤日における日本人の在社時間は、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカと比べて2時間ないし2時間半ほど長くなっている。在社時間の内訳を比較すると、日本人は勤務時間だけでなく、始業前・始業後に職場にいた時間も長いことが明らかになっている。さらに、在社時間以外の労働関連時間を比較すると、日本人の通勤時間は、欧米諸国よりも長いことが示されている。

(11)深夜・変則勤務についての国際比較(事例研究)

 ここで紹介した委託調査では、交替制勤務、変則勤務についても事例研究を行っている。調査対象は、日本、ドイツ、フランスにおける自動車製造業(生産部門に従事する現業職の一般労働者)と道路貨物運送業(トラック運転手)である(第18表)。調査結果をみると、2つの調査対象業種のいずれについても、ドイツやフランスと比較した場合、日本では深夜の時間帯に勤務している労働者が目立って多いことがわかる。
 以上のような現状を踏まえて考えると、我が国の労働時間を欧米並みに短縮するに際しては、①完全週休2日制の普及率を高めること、②有給休暇の完全消化を図ること、③出勤日の在社時間を短縮すること、④サービス残業を廃止することが肝要であると理解できよう。また、深夜勤務に従事している労働者が多いことについては、交替制勤務に余裕を確保するなどの措置が他国以上に重要となっていると言えよう。

第4章  労災補償の制度課題

 我が団では、労働者が業務上の災害を被った場合には、使用者は被災者に補償する義務(無過失責任)が課されている。この労災補償の仕組みについては、民間の労働者、国家公務員、地方公務員および船員に分けて制度が設けられている。それぞれの制度は法令上は別個のものであるが、具体的な規定は概ね同じような内容となっている。以下では、民間の労働者を対象とした労働基準法と労働者災害補償保険を中心に制度の仕組みを概観し、問題点を指摘しよう。働き過ぎによる死亡や重篤な健康障害については、救済の基準をもう少し緩和する余地があると考えられる。

(1) 労働基準法における労災補償の考え方

 労働基準法では、業務上の災害は負傷と疾病に大別されている.このうち、働き過ぎによる健康障害で問題になるのは、業務上の疾病である。労働者が罷った疾病は、業務に起因しているのか、あるいは私病に過ぎないのか、についての判定は必ずしも容易ではない。そこで、労働基準法では施行規則の別表1-2で、業務上の疾病として認める病名を詳細に規定し、第1号から第8号に分けて列挙している。列挙主義の長所は疾病を特定でさることにあるが、救済漏れが生じるという欠点がある。この欠点を補うために、同別表の第9号では、「その他業務に起因することの明らかな疾病」という包括的な救済規定が設けられている。労働省の「業務上疾病調査」は、上記の施行規則で詳細に規定された疾病の発生状況を要約整理したものである(第19表)。
 ところで、現在の施行規則で列挙されている疾病は、新しい産業技術の導入等に伴って、次々と追加変更されてきたという経緯がある。例えば、けい肺及び外傷性せき髄障害については、昭和30年に特別保護法、昭和33年に臨時措置法が制定され、さらに、昭和35年にじん肺法の制定および労災保険法の一部改正が行われて、これら障害の保護は労災保険に吸収されることとなった。また、いわゆる「パンチャー病」や「白ろう病」も、業務上の災害として認定するかどうかについて社会的な問題となり、その後、業務上の災害として施行規則の別表に列挙されることとなった。最近我が国で問題としっている「過労死」は、第2節で述べたように社会的には定着した概念であるが、公式の病名ではない。いわゆる過労死を公式の病名でとらえると、脳血管・心臓疾患か多く、また、自殺やぜん息なども含まれている。過労によって生じたと考えられるこれらの脳血管・心臓疾患などを業務上の災害として認定するかどうかの問題は、包括的な救済規定である「その他業務に起因することの明らかな疾病」として認定するかどうかの問題である。

(2)労災保険の概要

 労働者災害補償保険(労災保険)は、実務上の災害を被った労働者に対して保険給付等を行う強制加入の国営保険である。健康保険や厚生年金保険等の社会保険と比較した場合、労災保険には次のような2つの特徴がある。
 第一は、保険料の全額が使用者の負担となっていることである(他の社会保険では概ね労使間で折半)。第二は、保険料率の設定に際して、市場原理が積極的に導入されていることである(保険料率の業種別格差が大きい。また、メリット制が採用されている)。
 マクロ的にみると、労災保険は次のようなバランスを示している(第20表)。適用労働者致は約4,400万人で、保険料収入は約1兆6,000億円である。支出面では、保険給付が約7,700億円と大宗を占めており、その他では労働福祉事業費が約2,000億円となっている。保険給付の中では、年金等給付(約3,400億円)が最も大きく、療養補償給付(約2,300億円)がこれに次いでいる。財政収支尻は、約7,400億円の黒字となっている。なお、労働者1人当たり平均の保険料をマクロ的に計算すると、年間3.7万円(月平均3,100円)で、平均賃金(ボーナスを含む)に対する料率では0.9%となっている。

(3)公務員の災害補償制度

 民間部門の労働者が業務上の災害を被った際には、労働基準法と労災保険によって補償が行われる。これに対して、国家公務員の場合には国家公務員法と国家公務員災害補償法、地方公務員の場合には地方公務員法と地方公務員災害補償法によって補償が行われる。民間部門の場合と同様に、公務上の災害は、負傷と疾病に大別され、後者については、詳細な疾病名が列挙されるとともに包括的な救済規定が設けられている(第21表、第22表)。

(4)脳血管・心疾患の業務上外の認定基準

 既に述べたように、いわゆる過労死の大部分のケースは、脳血管・心疾患によるものである。このような脳血管・心疾患(負傷に基づくものを除く)を業務上の疾病として認定するかどうかについては、所管省庁である労働省(労災保険)、人事院(国家公務員災害補償法)および自治省(地方公務員災害補償法)がそれぞれ認定基準を設けている。これら3省庁の認定基準は概ね同じような内容となっている。ここでは、労働省の認定基準についてみてみよう。

①労働省の認定基準の概要(第23表)

  脳・心疾患のうち、次の2つの要件をいずれも満たすものは、業務上の醇病として取り扱う。第一は、異常な出来事に遭遇したこと、あるいは、日常業務に比較して特に過重な業務に就労したことにより、明らかな過重負担を受けたことである。第二は、過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであることである。
  ここで「過重負荷」とは、脳・心疾患の基礎となる病態を自然経過を超えて急激に著しく悪化させる負荷のことである。また、「日常業務に比較して特に過重な業務」かどうかを判断するに当たっては、(イ)発症から前日までの業務をまず第一に判断し、(ロ)その次に、1週間以内の業務を判断する、(ハ)1週間以前の業務については、付加的要因として考慮するにとどめる、とされている。

②現状の認定基準に対する改善要求

  被災者の救済を積極的に行おうとする立場(遺族、弁護士、医師、労働法学者など)からは、現行の認定基準を援和すべきである、とする意見が表明されている。これら意見の主な内容を例示すると次の通りである。
 (イ)働き通ぎによる疲労の蓄積は、1日あるいは1週間の期間だけでなく、数ヵ月あるいは数年の期間にわたる場合が多いことを明確に認識すること、
 (ロ)日常業務自体が過重な場合も明示的に取り扱うこと、
 (ハ)業務の遂行が、言わば共同原因となって、被災者の基礎疾患を誘発あるいは増悪されて発症に至る場合も、業務上の疾病あるいは死亡と組めること、等である。
  認定基準の緩和を求める代表的な意見として、弁護士の岡村親宜氏による提案を第24表に掲載した。

(5)認定基準を巡る論争の背景

 過労によってひき起こされたと考えられる脳・心疾患などを業務上の災害として認定するかどうかについては、数多くの紛争が生じており、裁判に持ち込まれる事例も少なくない(認定の実績値の推移は第25表、第26表)。業務上外の認定が紛糾する背景としては、多くの分野の専門家からいろいろな指摘が行われている。認定基準を厳しくし過ぎると救済溺れのケースが多数生じることとなり、緩和し過ぎると業務災害の補償という本来の趣旨から逸脱することとなる。以下では、論争の背景になっているいくつかの問題をとりあげて検討してみよう。

 (5-1)医学的証明の難しさ

  脳・心疾患は、日常の生活習慣(食事、飲酒など)に左右され、また、加齢によっても症状が進むという側面を持っている疾病である。このため、個々の被災者について、業務が過重であったことによるものか、自然経過によるものかを判定することは、そもそも難しいと言わざるをえない。ところで、医学の進歩は目覚ましいと言われているが、生命体のメカニズムについては解明されていない領域は大きいといえよう。例えば、現在の医学では、老化という一般的な現象を合理的に説明することが出来ないのである。医学的知識の現状を前提に考えると、「荷(ママ)重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものである」という所見を労働基準監督署や裁判所に対して自信を持って表明することは、個々の医師にとっては必ずしも容易なことではないと思われる。
  医学面での蓄積が不十分な現状の下で、業務上外の認定条件として医学的証明を重視し過ぎると、国民の常識から見て明らかに救済すべきであると思われるケースも排除されることになりかねない。このような認識は、「業務の遂行が発病の主たる原因でなくても、共同原因であると認められる場合には業務上の災害として認定すべきである」という主張の論拠になっていると考えられる。(※8)
  医学的証明のあり方については、労働衛生の分野の医師等から具体的な改善策が提案されている。このような提案の趣旨は、認定基準の基礎となっている医学的根拠の再検討と環場での個々の認定作業の双方の段階で、労働衛生の現状に精通している専門医の意見が、もっと尊重されるべきであるとする意見であると理解でさよう。(※9)

 (5-2)労災保険の独り歩き

  昭和22年に労働基準法が制定され、労働条件の最低基準が定められるとともに、業務上の災害に対する事業主の無過失責任の理念が確立された。労働基準法の姉妹法として同時に制定された労災保険は、業務上の災害発生に際し、事業主の補償負担の緩和を図り、労働者に対する迅速かつ公正な保護を確保するための制度である。しかしながら、労災保険の性格については、制度発足の当初から、労働基準法による使用者の災害補償についての責任保険とするか、または、労働基準法とは-応別個に労働者を直接対象とする労働者保険とするかについて論争があった。その後、度重なる制度改正の過程で、労災保険は、労働基準法の規定を越えて、労働者に対する生活保障的な扱能を次第に拡大するようになった。「労災保険の独り歩き」といわれるこのような制度改正の例としては、(ⅰ)長期傷病者に対して年金給付が導入されたこと、(ⅱ)企業主や1人親方も保険に加入できるようになったこと、(ⅲ)通勤災害も補償の対象とされたこと、等をあげることができる(第27表)。労災保険の生活保障的機能の拡大傾向に着目すると、いわゆる過労死問題についても、認定基準を緩和して出来るだけ補償すべきである、という主張が導き出される。しかし、認定基準をどの程度緩和すべきか、については、次に述べるように、社会保障休系における労災保険のバランスを考慮する必要がある。

 (5-3)社会保障体系におけるバランス

 労働法学者の近藤昭雄氏は、「業務災害」の法定基準が鋭く問題になる背景として、労災保険による補償と他の社会保険制度による保障との間に著しい格差があることを指摘している。
 制度の趣旨ほ異なるが、健康保険や公的年金保険と比較すると、労災保険の給付は優遇されていると言える。例えば、労働者が医療機関で受診した場合には、健康保険では1割の自己負担があるが、労災保険が適用されると自己負担はない。また、死亡事故に対して労災保険から年金給付が行われる場合には、同じ事由による厚生年金など他の公的年金との併給が認められている(ただし、若干の減額措置がある)。このため、「過労死」についての認定基準を欄和し過ぎると、社会保障体系におけるバランスが崩れ、「なぜ、労災保険だけをそれほど優遇する必要があるのか」という批判を招くことになろう。
 社会保険体系を抜本的に再構築するという視点に立つと、労災保険を廃止して健康保険や年金保険と統合すべきである、という主張が可能である。(※10)労働法学者の保原喜志夫氏は、欧米諸国の労災補償制を研究した上で、業務上外の区別が技術的に著しく困難になる場合には、労災補償制度は社会福祉システムに移行せざるを得なくなると指摘している。例えば、慢性的疲労やストレスによる疾病を業務上の疾病とみなす可綻性を一般的に認めるときは、認定基準の運用の仕方次第では、このような事態に至る可能性がある、と述べている。(※11)同氏は、更に次のような見解を示している。社会福祉システムでは、一般的に、補償が低水準にとどまることになるため、低水準の補償に満足しない人々は、再び災害保険システムによる補償を求めることになる。また社会福祉システムでは、補償と事故抑制との関係が切断されることになる。そして、我が国の場合には、労災補償を社会福祉システムに吸収することは避けて、災害保険システムとしての労災保険は、出来るだけ維持されるべきである、と結論づけている。
 我が国の労災保険を社会保険体系の中に吸収した場合を具体的に考えると、再分配政策とモラルハザードの両面で次のような問題が生じることになろう。労災保険の保険料は、保険事故の多寡に応じて業種別に大きな格差が設けられている。これは、労働災害に対する使用者の補償責任について受益者負担の原則が適用されていることを意味している。もし、労災保険を廃止して、他の社会保険と統合すると、保険料の徴収は主として賃金や所得の水準に応じて行われることとなろう。その結果、労働災害の補償に要する費用分については、労災事故の発生状況とは無関係な形で負担が行われ、業種間あるいは所得階層間で再分配が生じることになる。また、他の社会保険と統合する際に、現行の労災保険から給付を受けている竣災者の受給水準を引き下げないようにすると、健康保険や厚生年金の給付水準を大幅に引き上げざるをえなくなる。例えば、現行の労災保険と厚生年金保険の双方から遺族年金を受給している人については、制度統合の後には厚生年金保険の遺族年金を大幅に増額する必要が生じる。このような改定は老齢年金の引き上げを不可避的に誘発するであろう。人口の急速な老齢化に直面している我が国においては、大幅な給付水準の引き上げは財政的に大きな負担となり、老若間の再分配問題を一層難しくするであろう。
 労災保険を他の社会保険と統合すると、労働災害を防止しようとする企業の努力が減殺されて、モラルハザードが生じると考えられる。たとえ自社で労災事故が増加しても、自社が属する業種の保険料には響かず、また、メリット制もなくなるから、自社に適用される保険料率が引き上げられることはない。その結果、企業が防災努力をするインセンティプが薄れることとなる。
 「過労死」などの健康障害は、労働時間を短縮する等の企業努力によって大幅に改善することができる問題である。従って、この問題を解決するためには、再分配やモラルハザードの面で弊害が生じる改革案に頼るよりも、現行の労災保険を独立の制度として維持・活用するはうがよいと考えられる。
 なお、現行の複雑な社会保障体系を出来るだけ単純明快な制度に改めるべきである、という主張を徹底的に追求すると、経済学者のミルトン・フリードマンが提唱する「負の所得税制」に行き着くことになる。この提案は、現状に対する批判としては優れた指摘を含んでいるが、代替案としては欠陥の多い制度であると評価することができよう。(※12)

 (5-4)企業側の姿勢とメリット制の功罪

 現行の労災保険制圧の下では、労災補償の給付を申請する手続は、被災者側(本人あるいは遺族など)が労働基準監督署に対して行うこととなっている。この場合、使用者である企業は、被災者の申喜毒手横に協力する義務が課されている(例えば、労働時間等の労働条件や業務の質・量に関する実態を証明すること)。しかし、現実に生じた個別事例に関する研究や電話窓ロに寄せられた相談事例から判断すると、いわゆる過労死問題については、大半の企業は非協力的な姿勢を示しているとみられる(第28表)。
 なぜ、企業は被災者に対して積極的な支援を行わないのであろうか。まず考えられる理由としては、労働基準監督署が過労死を業務上の災害として認定する可能性は、従来の実績からみると極めて小さいと企業が判断していることがあげられるであろう。その他にも、企業側には次のような利害関係が存在すると指摘されている。
 第一は、1人の従業員の死亡あるいは重篤な障害が過労によるものであると労働基準監督署によって公的に認定されると、同じような条件下で働いている多数の従業員の労働条件を早急かつ大幅に改善する必要が生じることである。このような労働条件の改善は、企業のコストを押し上げることとなる。
 第二は、部下を過労死させた、と公的に認定されると、企業組織の中で管理貴任が追求されることである。この責任追求は、直属の上司だけに止まらず、上層部にも及ぶと考えられる。
 第三は、労働災害に対して、労働協約等に基づき企業による補償が上積みされることである。通常の場合、労働協約等の規定では、企業による補償は、労災保険で業務上の災害として認定されることが条件となっている。このため、労災保険で認定されると、企業は上積み補償の実施を余儀なくされる。
 第四は、経済学者の藤岡光夫氏が指摘しているように、労災保険にメリット卜制が採用されていることも、企業側が非協力的な態度をとる一因になっている、と考えられることである。(※13)メリット制の目的は、過去3年間の収支比率(保険給付の額÷保険料の額)に応じて保険料を増減さセることにより、労働災害を防止する企業努力を助長することにある。しかし、既に発生した労働災害については、このメリット制は、保険給付の申請を抑制する要因として企業側に作用する。業務上の災害として招定されて被災者に保険給付が行われると、その企業の収支比率は上昇し、その結果、保険料が引き上げられるからである。
 なお、過労死問題について労働組合は概して無力であるとみられる。具体的な事例研究では、労働組合による積極的な支援が、業務上認定に結びついた例も紹介されているが、これらはむしろ例外的なケースであると指摘されている。企業別組合の限界が露呈されていると言えよう。

 (5-5)財政負担の問題

 認定基準を緩和すると、救済件数が増加し保険給付が増大するので、保険財政の負担が増大すると考えられる。ここでは、労災保険における財政負担の問題を試算によって計数的に検討してみよう。試算は、1件当たりの給付金の大きさとマクロ的な財政支出の大きさの2段階に分けて行う。さらに、試算結果か実現可能な大きさかどうかをみるために、現行の労災保険の財政収支がどのような状況にあるかについても概観する。

 (イ)1件当たりの給付金の試算(第29表)

  業務上の災害で死亡した場合には、労災保険から遺族に対して、1回限りの給付(遺族特別支給金と葬祭給付金)と年金給付(遺族補償年金と遺族特別年金)が支給される。被災者について、次のようなモデル・ケースを設定する.被災者は45歳の男性、月給(除ボーナス)は40万円、ボーナスは年間160万円、扶養家族は妻(余命40年)と子供2人(16歳と14歳)。このモデル・ケースを法令上の給付規定に当てはめて計算すると、初年度1回限りの給付は380万円で、年金(年額、厚生年金など他の公的年金との併給調整後)については、最初の2年間は283万円、次の2年間は257万円、2人の子供が独立した後の36年間は 204万円となる。この遺族が40年間にわたって受け取る累計の給付額は約8,800万円となる。

 (ロ)労災保険の財政支出に及ばす効果(第30表)

  いわゆる過労死の人数に関連する統計としては、次の4つの統計が利用可能である。
 (ⅰ)「その他業塀に起因することの明らかな疾病」(労災保険、国家公務員災害補償法、地方公務員災害補償法)として認定された件数、
 (ⅱ)「過労死110番」全国ネットにおける労災補償相談の件数、
 (ⅲ)人口動態社会経済面調査における壮年期の「急な病死」数
 (iv)人口動態統計における脳・心疾患等による死亡数
  しかしながら、これら4つの統計数値は相互に大きく異なっているので、1つの代表的なケースを設定
することは困難である(ただし、上記(ⅲ)は、人口動態統計に基づいた特別調査であること等を反映して、人口川万人当たりの死亡数では(ⅳ)と近似している)。そこで、救済すべき「過労死」の年間件数(全国ペース)について3つのケースを想定する。年間200人のケースは、人口動態統計における男性死亡件数(25歳~59歳、脳・心疾患による)の1%に相当し、1,000人のケースは同統計の5%、5,000人のケースは同統計の4分の1に相当する(いずれのケースについても、労災保険ベースの件数は、全国ペースの9割と見込む)。

  試算の諸前提の下では、財政支出は40年後には定常状悪に達する。この時点での労災保険の財政支出の大きさをみると、200人のケースでは約160億円、1,000人のケースでは約800億円、5,000人のケースでは約4,000億円となる。平成3年度における労災保験の当期利益(約7,400億円)と対比した場合には、上記3つのケースの財政負担額(ピークと在る40年後の財政支出額)は、いずれも財政的には対処可能な大ささであると言えよう。なお、救済すべき 「過労死」の件数は、あくまでも試算上の想定値に過ぎないが、年間5,000人という人数は多過ぎると考えられる。脳・心疾患による死亡者致(25歳~59歳の男性)の4分の1を救済するという政策は、労働災害の補償というよりも社会保障の色彩が濃厚になるからである。他方、年間200人というケースは、「過労死110番」に寄せられた労災補償の相談件数(年平均387件、うち死亡事案221件)と比較して考えると、目安としては少な過ぎるように考えられる。電話で相談しなかった被災者や遺族も多数存在すると思われるからである。因みに、「その他業務に起因することの明らかな疾病」として認定された実績値は、民間の労災と公務災害の合計で75件に過ぎず、認定基準が厳し過ぎるという批判を招いている。

 (ハ)労災保険の財政収支は健全な状況にある

 上記(イ)、(ロ)で示した試算は年間の救済件数が追加的に増大した場合に、財政上の負担がどの程度増加するかを示したものに過ぎない。この試算結果が、実行可能な大きさであるかどうかをみるためには、現行の労災保険の財政収支が、マクロ的にみて余裕があるかどうかを検討しておく必要がある。細部を捨象して考えると、労災保険の財政状況は、次の3つの比率の動向によって判断することができると考えられる(最初の2つは基礎的な比率であり、三番目は財政収支を直接的に示す比率である)。
 第一は、労災保険の加入者数(適用労働者致)に対する受給者故の比率である。この比率をみるに際しては、制度上の変更(特に、給付形態が年金へシフトしたこと)の影響に留意する必要がある。第二は、労働者1人当たり給与に対する保険料と給付金の比率である。第三は、毎年度の給付支払総額に対する利益金および繰越利益金の比率である。
  第32表は、これら3つの比率および内訳の比率の推移を昭和40年度から5年毎に示したものである(毒中の諸比率は、第31蓑から算出)。同表に即して、上記3つの比率の推移をみてみよう。まず、適用労働者数に対する新規受給者数の比率は、昭和40年度の6.3%から平成3年贋の1.7%へと急速に低下している。これは、労災事故の発生率が減少していることを反映している。既に説明したように、労災保険の給付は年金の形態へ次第にシフトしてきているが、適用労働者数に対する年金受給者数の比率でみると、このシフトは昭和60年皮には完了しており、この時期以降は比率が減少傾向を示している。厚生年金保険等の公的年金制度では、退職老齢年金が財政支出の中心部分を占めているので、人口の老齢化に伴って財政収支はひっ迫化することは避けられない。これに対し、労災保険では、給付はあくまでも労災事故に基づいて行われるに過ぎず、また、この労災事故の発生率は漸減傾向にある。このため、たとえ給付の形態が年金の形態へシフトしても、シフトが完了すれば、給付総額が急増を続けるということにはならないのである。
  次に、保険料率の推移をみてみよう。制度上の保険料率は業種別に大きく異なり、また事業所毎にメリット制が適用されているが、1人当たりの平均保険料を事後的に算出して、労働者1人当たり給与に対する比率を求めてみると、ほぼ、0.9%の水準で安定的に推移していることがわかる。一方、年金受給者1人当たり平均の年金額についても、労働者1人当たり給与に対する比率は、昭和60年度以降は40%弱の水準で安定的に推移している。このように、現役の労働者1人当たりの給与に対する比率でみると、保険料収入と年金支払額はいずれも安定的に推移していることが理解される。
  以上の上うな基礎的な諸比率が安定的な動きを示していることを反映して、労災保険の財政収支は健全な状態を維持していると考えられる。例えば、保険料収納額に対する保険給付支払額は昭和40年度には90%であったが、平成丑年度には50%を下回るようになっている。また、保険給付支払額に対する繰越利益プラス支払準備金の比率は、昭和45年度には1.1倍であったが、平成3年度には3.4倍にまで高まっている。給付形悪の年金へのシフトが既に完了していることを考慮すると、労災保険は健全財政の状況にあり、その健全度は最近に至って次第に高まっていると考えられる。

第8章  具体的な改善策

 職業生活を健康的なものに維持することは、本来は個人や企業の努力によるべきであると言えよう。しかし、我が国における長時間労働や健康障害の問題は、社会的な慣習や価値観に深く根ざしているので、解決を図るためには、法令に基づく制度の改正や積極的な世論の支持が必要であると考えられる。ここでは、前章までの分析の結果を踏まえて、具体的な改善策を提言したい。

(1)労災補償制度を救済と予防に活用する

  ①仕事上の過労が原因で生じた脳・心疾患などによる死亡や障害については、業務上外の認定基準をもう少し緩和する余地があると考えられる。特に、疲労の蓄積は、1日あるいは1週間の期間だけでなく、数カ月あるいは数年の期間にわたる場合が多いことを認める必要があろう。
 いわゆる過労死について上記の緩和措置を実行するに際しては、財政上の負担が問題となる。年間の認定定件数を先決するという方法は、労災制度の趣旨にそぐわないと言えよう。ここで、あくまでも試算上の目安として、年間の認定件数を、例えば、1,000件程度に拡大したケースを想定すると、財政上は負担増を図ることなく対応できるという試算結果が得られる(現状は民間、公務の合計で75件)。
②働き通ぎによる様々な健康障害を予防し、また、労働基準法に違反するサービス残業を解消するために、労災保険料に「時短促進料率」を導入する。この料率は、通勤災害にかかる料率と同様に、全業種一律に0.1%とする(労働者1人当たり平均で月360円程度)。「時短促進料率」は、現行の労災保険料率と同様に、事業場単位(本店、支店、営業所、工場など)で適用する。
 ただし、次の条件を滴たしている企業(より正確に言うと、事業場)については、「時短促進料率」の適用を免除する。

 (ⅰ)「サービス残業」(割増賃金が適正に支払われていない所定外労働)がない。また、事実上強制された「風呂敷残業」(業務量が過大であるためにやむをえず自宅に持ち帰って行う労働)がない。
 (ⅱ)時短に関する政府目標「年間1,800時間」の達成に向けて、具休的な年次計画が作成されている。
 (ⅲ)上記(ⅰ)、(ⅱ)の事実関係は、使用者側だけでなく、労働者側の代表者が署名捺印して証明する。

  「過労死」についての認定基準を緩和するという公的政策が打ち出されると、業務上外の認定を巡る紛争は目立って減少するであろう。同時に、「過労死」問題に対する経営者の意識が改革されて、企業側で積極的な防災努力が行われると期待される。労働基準監督署という公的機関によって「過労死」が積極的に認定されるようになると、従来は企業組織の下部段階で、極めて特殊なケース、あるいは個人的な問題として処理されて潜在化していた問題が、経営賃任者の重要な関心事項となるからである。その結果、補償を必要とするような事故の発生件数自体が次第に減少していくと考えられる。
  「時短促進料率」は、労災保険料のメリット制の弱点を補うための工夫である。第4章で述べたように、メリット制は防災努力を促進する効果はあるが、既に発生した事故については、労災の申請手続きの面で企業の姿勢を非協力的にするという傾向が生じる。これに対し、「時短促進料率」は、事故が発生する以前の段階で、防災のための努力が行われているかどうかに着目して差別的に適用する保険料率である。このような方式は、火災保険の分野で、保険契約の対象となる建物が耐火構造となっているかどうか、スプリンクラー等の防災設備が設置されているかどうか、によって異なる保険料率が適用されるのと同じ考え方に基づいている。時短を促進し従業員の健康障害の予防に努めている企業は、この差別的保険料率を免除されるので、防災努力が経済的にも報われることになる。さらに、「時短促進料率」が適用されているか、あるいは免除されているかの違いは、その企業が従業員を大切にしているかどうかを識別するシンボルとなるから、社内や世間での評判に敏感な経営者は、防災に一層の努力を払うようになると考えられる。「時短促進料率」は、事業場単位(本店、支店、言葉所、工場など)で適用されるので、サービス残業を解消する等の努力は、企業間/ごけでなく、企業内の事業所間(例えば、支店間)でも競争的に行われるようになると考えられる。
 労働時間などの労働条件は、基本的には労使間の自由な契約に基づいて決められるべき性格のものであるから、労働基準法の罰則を非常に重くして違反企業を厳格に摘発すると、かえって労働者の利益を損なうことになりかねない。これに対し、上記の提案内容は、労災保険の給付と保険料の仕組みを活用して、経営者の意識と企業の損得勘定に訴える政策であるから、副作用は小さいと考えられる。
  「時短促進保険料率」の適用を免除する条件の1つとして、サービス残業等の有無について労働者側の代表者にも署名捺印を求める目的は、弱い立場にあるサラリーマンの利益を守ることにある。サービス残業や風呂敷残業が野放しの状態にあると、労働基準法や労働協約における割増賃金の規定は、何の効果も発揮しない画に書いた餅に終始する。大幅なサービス残業に直面しているサラリーマンの立場で考えると、労働基準法や労働協約に違反しているとして裁判所に訴えることは難しいことであろうが、「当社にほサービス残業の実態は存在しません」と言う証明書に署名捺印を拒否することは容易に実行でさるであろう。

(2)法定の労働時間の短掩と割増賃金率の引き上けを推進する

  ①週40時間の法定労働時間を出来るだけ早期に実現するために、経過措置の見直しを進める。
  ②時間外、深夜および休日の労働に適用される法定の割増賃金率を欧米並みの水準に引き上げる。

 昭和62年9月に改正され63年4月から施行された労働基準法では、第32条で労働時間の上限は週40時間(改正前は48時間)と明記された。しかし、この週48時間を段階的に実現するために、第131条の規定および政令によって、当分の間は週44時間とする暫定措置が講じられ、また、特定の業種や中小規模の業種に対しては猶予措置(週46時間、平成5年3月31(ママ)まで)がとられた。さらに、特定の小規模業種については施行規則によって特例措置(週48時間)が講じられた。
 第126回国会(会期は平成5年1月22日から6月18日まで)において改正された労働基準法でほ、労働時間の上限は、平成9年3月31日までの間は、40~44時間以下の範囲内で政令で定めることとされた。この法改正に伴って平成5年12月24日に閣議決定された政令では、経過措置(旧法令上の暫定措置および猶予措置)として、特定の規模以下の事業および業種については労働時間の上限は週44時間と規定された(ただし、常時9人以下の労働者を使用する特定の事業は、平成7年3月31日まで週46時間)(第38表)。
 ところで、法定労働時間は、必ずしも労働時間の物理的な上限を個々の使用者に課すものではない。労働基準法の第36条では、労使間で協定を結び、これを行政官庁に届け出た場合には、使用者は法定労働時間を延長して労働させることができる、と規定されている(この協定は、サブ・ロク協定とよばれている)。ただし、使用者がこの規定によって労働時間を延長し、もしくは休日に労働させた場合、あるいは深夜に労働させた場合には、通常の賃金の25%以上の率で計算した割増賃金を支払う義務が課されている(改正前の労働基準法第37条)。従って、法定労働時間が短縮されると、サブ・ロク協定における所定内労働時間の範囲が狭められ、その結果、割増賃金が適用される所定外労働時間の範囲が広くなる、という効果が生じる。すなわち、法定労働時間の短縮は、割増賃金の適用時間が増大するという間接的な効果を通じて現実の労働時間の短縮に結びつく。(さらに、サブ・ロク協定等により所定外労働時間の上限が労使間で合意されている場合には、法定労働時間の短縮は、この上限値を媒介として所定外労働時間を削減する効果をもたらす。)
 第126回国会で改正された労働基準法では、時間外および休日の労働については賃金の割増率の最低限度は、25%以上で50%以下の範囲内で政令で定めることとされた(ただし、深夜の労働については、改正前と同様に、最低限度は25%)。平成5年12月24日に閣議決定された政令では、割増率の最低限度は、時間外の労働については25%、休日の労働についてほ35%と規定された。
 割増賃金の引き上げは、所定外労働のコストを直接的に引き上げるので、時短の促進に大きな効果があがると考えられる。ここで、我が国における割増賃金率の実際の分布状況を見てろLよう(第39表)。全企業規模を対象とした労働省の調査によると、時間外労働と休日労働のいずれについても、割増率は、25%(法定の割増率の下限)に集中している。これに対し、大企業を対象とした中央労働委員会の調査をみると、時間外労働(深夜に及ばない鳩舎)の割増賃金率は30%が最も多く、深夜に及ぶ時間外労働については50%から70%の問に多くが分布しており、70%以上もかなり存在している。また、休日労働の割増賃金率については、30%から50%の間が最も多くなっている。
 これらの事実から、法定の割増率が引き上げられた場合の効果については次のようなことが言えるであろう。
大部分の中小企業における割増率は、法定の割増率と同じべ-スで一律に引き上げられることとなろう。大企業における割増率は、既に現行の法定の率をかなり上回っている例が多くみられるが、法定割増率の改正に伴って全般的に上方へシフトすることになろう。
 海外の主要国における賃金制増率の比較研究をみると、時間外あるいは休日の賃金割増率は、概ね50%から100%となっており、我が国よりも高い数値となっている(第40表)。しかし、この高い割増率は必ずしも法令によるものではなく、労働協約によるものが多くみられる。我が田と違って欧米諸国の労働組合は、産業別に設立されており、経営者側との交渉力が強いので、労働協約による雇用条件の改善が我が国よりも進んでいると言えよう。日本の企業別組合は、企実の経営状況に柔軟に対応するという長所がある反面、交渉力が弱いという欠点を有している。企業別組合の欠点を補うために、我が国では、時短の問題について政府の果たすべき役割は大きいと言えよう。
 平成3年4月頃から始まったとみられる景気後退の局面で、所定外労働時間は減少に転じている。しかし、これは不況による一時的な現象であり、景気が回復するにつれて労働時間は再び拡大することとなろう。第1次石油危機や円高不況の時期においても、不況の当初は所定外労働時間は減少したが、景気が回復するにつれて減量経営の下で所定外労働時間は男性の雇用者を中心に著しく増大した。今回の不況も底入れから回復の過程に向かいつつあるとみられるが、政策的に積極的な時短措置が講じられないならば、再び労働時間は増大し、超長時間労働に従事する男性雇用者が増加することとなろう。2度あることは3度あるとみるべきであろう。不況は時短促進の切り札とはならないのである。

(3)公務員の残業を減らすために、特別の工夫を導入する

 公務員の業務には市場原理が作用しないので、特定部局の過重な残業を軽減するためには、民間部門とは異なった工夫が必要となる。国家公務員の業務を減らすためには、従来から指摘されているように、許認可行政の縮減、地方公共団体への権限と財源の委譲が最も重要であろう。これらの措置は根本的な解決策であるが、実現するためには多大のエネルギーと時間が必要である。本稿では、公務員の健康を守るために、実行することが比較的容易と考えられる改善策を提案したい。国家公務員を念頭に置いた以下の改善策は、地方公務員にもほぼそのまま妥当すると思われる。

  ①各課毎に、課長は職員別の超勤時間一覧表(月単位)を作成して、超勤の実態を正確に把達する。局長等の幹辟にも定期的に報告する。
  ②過重な超勤をもたらす業務(特に、国会待機、予算待機および法令案の作成)については、部局ないしは担当を限定して、変形労働時間制を導入する(清算期問は、例えば3ヵ月とする)。
  ③変形労働時間別の対象となった職員については、サービス残業(超勤手当の支給率が100%を割り込むこと)が生じないようにするために、有給休暇の枠外で、強制的に休暇を取得させる。

 このような対策を提案する理由は次のとおりである。
 残業を減らすための第一歩は、都下の残業時間の実費を上司が正確に把捜することであろう。
 変形労働時間制は、民間の労働者を対象とした労働基準法で既に導入されている制度である。この制度は、業務量が季節的に大きく変動する業種に対して、労働時間を弾力的に調整することを認める制度である。この制度が適用された労働者については、清算期間(例えば3ヶ月)における労働時間の平均値が、所定内の時間数(例えば週40時間)以内であれば、特定の日における労働時間が長くなっても、使用者は残業手当を支払う必要はない。一方、労働者は、業務員の少ない時期の労働時間が短縮されるという見返りの措置を享受でさる。第3章で述べたように、国家公務員の超過勤務手当の予算総額は、各省庁毎に国会で決定されているので、職員平均の残業時間が予算措置(月平均21時間)を超えると、自動的にサービス残業が発生する。超勤手当の予算総額を年度中に増額することは事実上出来ず、また、業務量の大幅な削減や部局間の人員再配置もすぐには実行できないという状況の下でほ、サービス残業を避ける現実的な方法は、残業時間が著しく長い職員を有給休暇とは別枠で強制的に休ませることであろう。
 健康を守るための上記のような制度が適用されると、日常の業務を切り盛りしている働き盛りの課長補佐や係長が、しばしば休暇を取って休むことになろう。このような事善がルールとして組められるようになると、課長や幹部職員は、業務上の不便を克服するために、いろいろな改善策を講じる必要に迫られることに与ろう。重要度の低い業務を廃止する、説明用資料の作成量を減らす、急を要しない仕事の期間を先に延ばす、上司への付き合い残業をやめさせる、人員の確保や再配置を積極的に行う、等々、幹部職員の裁量で実行できる合理化の余地は少なくないと考えられる。
 中央省庁では、平成5年4月から試験研究機関等に勤務する研究職を対象にフレックス・タイム制(変形労働時間制の一種)が導入されることになった。このフレックス・タイム別では、午前10時から午後3時まではコア・タイムとなるが、出勤と退庁の時刻は各職員が選択できることになる。清算期間は4週間で、期間平均の所定内勤務時間数は、週40時間とされている。このようなフレックス・タイム制は、職員の選択の自由度を高め、交通の混雑緩和にも役立つという好ましい効果があることは確かである。しかし、慢性的に過重な超過勤務に晒されている本省庁勤務の公務員を救済するためには、先に提案したような本格的な変形労働時間制を導入することが望まれる。

 国家公務員の残業を減らすためには、④国会の理解と協力を得る(国会で質問に立つ議員には、質問要旨の通告期限を、例えば委員会開催日の前日の午前中までとするように協力を求めること等)、⑤予算待機については、夜中の会議を避ける等の合理化を行う、⑥法令集の作成業務については、各省協議の進め方を簡単化する、等の改革も併わせて実行することが必要である。

(4)経営者には、経済大国に相応しい経営理念が求められる

 日本人の働き過ぎについては、次のようなマクロ的な事実や状況に留意する必要があると考えられる。

 ①労働力調査で把捉した男性雇用者の年間労働時間(サービス残業、中間管理職の残業を含む)は、景気後退期の平成4年においても2,500時間となっている。これは、先進国のなかでは際立って長いと考えられる。
 ②欧米諸国でも、労働者の脳血管・心臓疾患による死亡や障害を業務上の災害として認定するかどうかの紛争は存在する。しかし、いわゆる過労死が社会問朗となっている国はないと言える。
 ③米田のリビジョニストと言われる人々を中心に、日本は欧米諸田とは相容れないルールを持つ異質の国であるという認識が広がっている。長い労働時間と低い労働分配率、低い配当性向と高い内部留保、長期継続取引とセット・メーカーによる系列支配など、日本企業の強さを支えてきた提言方法が欧米諸国で批判されている。
 ④日本の貿易収支は、平成4年には1,300億ドルという巨額な黒字となり、米国をはじめ、世界の主要国と深刻な経済摩擦をひき起こしている。
 ⑤最近の急速な円高傾向は、日本の輸出関連企業に新たな合理化努力と戦略的な経営の改革を迫るものである。しかし、我が国の企業は、これまでの経験から円高に対する適応方法(為替の先物予約、外貨建債務の創出、生産拠点の海外移転、輸入品へのシフトなど)を十分に習得している。また、円高には輸入原材料費が安くなるという大きなプラスの効果もある。
 ⑥世界の主要国を見渡すと、日本だけが不利な状況に直面しているわけではない。ライバルである米国、EC、アジアNIESは、それぞれ国内に難しい問題を抱えており、対日競争力をつけることに躍起になっている。

  「日本型経営が危いJという財界人の盛田昭夫氏の発言は、評論家の発言ではなく、日本を代表するような企業トップの認識を示したものであるだけに、説得力があり重みのある警告となっている。(※33) 我が国の経営者に求められていることは、日本人の特質を生かしながら、国際的に通用する経宮理念を確立し、人間を大切にする経営を実践することであろう。

(5)中間管理職は自衛策を講じる必要がある

  ①時短は、先ず隗より始めよ。中間管理職は、付き合い残業を止めて定刻に退社する。率先して長期休暇を取得し年次有給休暇を完全消化する。
  ②公私混同となっている酒宴や接待ゴルフを慎む。部下や取引先を巻き添えにすることを控え、自己の健康を守る為である。
  ③中間管理職は、経営組織のトップと事実上の団体交渉をする場を確保する。不当な処遇や過大なノルマ設定に対抗するためである。

 働き通ぎと健康障害という観点からろると、中間管理職は部下に対しては加害者であり、上司に対しては被害者の立場にあると言えよう。労働時間については、中間管理職は、労働基準法や労働協約等によって保護されていないので、自主的に時短を図る必要がある。課長が郎長への付き合い残業を止めて定刻に退社すれば、課長自身の労働時間が減るだけでなく、課長補佐、その下の若手職員も付き合い残業を減らすことができるようになる。夜遅くまで長時間働くことを美徳としている部長等は、貧しい時代の価値観に支配されている世代であると割り切れは済むことである。有給休暇の消化についても、課長等の中間管理職が垂範率先して長期休暇をとれば、課長補佐達も休暇が取りやすくなり、また、部長等にもよい刺激を与えることができるであろう。時短については、中間管理職は、かなりの程度イニシアティブを発揮できると考えられる。
 度量なる酒席は、栄養とアルコールの過剰摂取をもたらし、成人病をひき起こすとともに過労死のリスク・ファクターとなる。中高年のサラリーマンが、ストレスの発散や部下の教育に酒を利用することは、自身の健康を損ねることになる。酒を飲みながらの精神訓話は、もはや時代遅れに行っている。
 バブル景気の後遺症で、企業のリストラクチャー(事業の再構築)の必要性が叫ばれ、中間管理職の余剰か指摘されている。不況による一時的な現象を除いて考えてみても、自動車や主要な家電製品の普及率が著しく高くなったことなどを背景に、日本経済の成熟度が進んできたことは事実であろう。企業経営の面では、従来の拡大一本槍の多角化路線から重点を絞り込んだ路線への転換が不可欠になっている。また、企業内で進行している団塊の世代の高齢化に対しても対応策を講じる必要が生じていることも事実であろう。
 しかしながら、経宮環境が変化したからといっても、終身雇用と年功序列の下で、日本的な「忠」の精神を発揮して長年にわたって懸命に働いてきた中間管理職を、契約社会である米国の流儀に従って一方的に解雇することは問題であると考えられる。サラリーマンの勤務評定や処遇を米国流に改革するためには、事前に十分な検討と準備が必要であり、外部労働市場の整備も行われなければならないであろう。中間管理職が結束して経営責任者と事実上の団体交渉を行うことは、正当な要求を効果的に表明する上で重要なことであろう。このような団体交渉は、人事上の処遇だけでなく、会社経営の基本方針やノルマの設定に問題がないかどうかについても、率直な意見交換が出来る場になると考えられる。経済学者の猪木武徳氏は、日本経済の成長の減速が避けられない環境の下で、中間管理職が発言できる場を企業組織内に作ることの必要性を指摘している。同氏は、企業内の組合員レベルから経営者にいたるヒエラルキーが、昇進の面でも俸給の面でも、連続性と高い均一性を持っていたことが日本経済の強みであったとすれは、中間管理職の冷遇や誤った処遇は、この強みを放棄することになりかねない、と述べている。(※34)

(6)サラリーマンは、健康的な価値観を持つように心掛けよう

  ①「忠」の中身を「会社に対する忠誠」から「仕事に対する誠実」に改める。
  ②睡眠と休憩を十分にとる。
  ③好さなレジャーで気分の転換を図る。日々の生活におけるささやかな感動を大切にする。

 第7章で述べたょうに、儒教における「忠」とは、本来は誠実であることを意味したが、日本では君主に対する忠誠と解釈されてさた。現代の豊かで民主主義的な社会では、「会社に対して忠誠を尽す」という姿勢よりも、「仕事に対して誠実である」という姿勢の方が、健康的で無理がないと考えられる。前者の価値観の下では、職業生活で自分の主体性が見失われ、仕事へ過度にのめり込むことになるからである。
 精神の修養に努め、職業上の見識を深めることは、自身の人生にとって価値のあることであろう。しかし、自分と同様に雇れたサラリーマンに過ぎない職場の上司に対して、人格上の徳目である「仁」や職責上の確固たるリーダーシップを期待し過ぎると、不満や不信、あるいは憤りを覚えるという心理状態に陥りやすいと言えよう。大脳で知覚されたこのような心理や感情は、強いストレスとなって視床下部に波及し、生命維持活動(自律神経、ホルモンおよび免疫による調整機能)に変調を来たす原因となろう。職業上のストレスを出来るだけ軽減する方法は、まず、仕事に対する価値観を「会社に対する忠誠」から「仕事に対する誠実」に切り替えることにあると考えられる。労働に対する無理な価値観が、ストレスに対する感じ方を不健康なものにしていると言えるであろう。
 睡眠と休憩を十分にとり、ストレスの発散を上手に行うことは、第6章で説明した医学的メカニズムを踏まえて考えると、心と体の間で好循環を維持するために必要不可欠のことである。

1994/01/01