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エネルギー関連会社課長過労自殺事件で業務上認定 弁護士 大江千佳(民主法律253号・2003年8月)

弁護士 大江千佳

一 事件の概要
  本件は、エネルギー関連会社課長であった被災者の過労自殺事案である。
  被災者が死亡の1年前から所属していた情報システム部は、通常の情報システム管理等の通常業務に加え、特別業務としていわゆる西暦2000年問題への対応が求められていた。
  被災者は、西暦2000年問題を乗り越えた同年3月に死亡したものであるが、被災者の労働時間は2000年が近づくにつれ徐々に増加し、残業時間は1999年11月には92時間、12月には173時間、翌2000年1月には160時間に及んでいた。このように労働時間が把握できたのは、被災者が出社時間と帰宅時間を毎日手帳にメモしていたことによる(このメモが正確であることは、証拠保全手続を経て入手した出入者管理記録(土日祝のみ)と照らし、確認できた)。
  かかる過重な業務による過重負荷により、被災者は1999年12月頃にはうつ病を発症し、その後も続いた過重な業務により急激にその症状を悪化させ、希死念慮にとらわれて自殺に至ったとして、労災申請を行なったのが本件である。
  本件では、被災者が手帳に遺書ともとれるメモを残していた。そこには、死亡当日の日付で「この一年間の精神的な心の疲れ、未経験のもの、なんとか、耐えてきたが、もうこれまで、心を開放し、自由になりたい。」「○○さん(妻の名前)、内輪だけで、質素に送ってください。会社のことは、忘れたい。」「情シ部(情報システム部)は、少なく、能力不十分な要因で課題満載。部下も、良く、頑張ったことと思います。課題が多すぎます。第二の私を出さないよう。検討が必要です。~○○様(直属の上司の名前)へ、」等と記載されていた。

二 過労死110番
  弁護士になって2ヶ月足らずの2000年6月、私は、過労死110番で被災者の妻からの電話を受けた。彼女は、夫が3月に自殺したこと、夫の自殺の理由は仕事以外に考えられない。しかし、会社は自殺が過労によるものとは一切認めようとしないことを訴えた。被災地は遠方であったが、深刻かつ受任の必要のある事案ということで、その場で松丸・下川・山下各弁護士ほか一名と弁護団結成となった。

三 証拠保全
  弁護団は、まず被災者の妻から聞き取りを行なったが、妻は、被災者の業務の内容・会社での勤務状況等についてはあまり聞かされておらず、西暦2000年問題対応をしていたといっても、具体的にどのような業務を行なっていたのかが当初全くと言っていいほどわからなかった。さらに、被災者の勤務状況を尋ねられるような同僚も見当たらない状況だった。
  このため、被災者の業務内容を明らかにし、また、被災者の残した労働時間メモの信用性を確認する意図で、まず裁判所に証拠保全申立を行なうことにした。
  2000年12月末、私たちは、出入者管理記録・業務に関するノート・電磁的記録等を対象として証拠保全の申立を行なった。なお、被災者の転勤前の勤務状況についても知る必要があると考え、死亡時所属していた情報システム部だけでなく、転勤前に所属していた子会社に存在する同様の記録等についても証拠保全を申立てた(被災者は、転勤前は子会社に出向していた)。
  これに対し、裁判所は、当初より極めて積極的に対応してくれた。二度の打ち合わせを経て、証拠保全決定が出た。
  2001年2月初めの証拠調べ期日(午前は本社、午後は子会社)、裁判官らと弁護団が本社に赴いたところ、会社側は当日の朝送達を受けてすぐ準備したようで、既に被災者作成の報告書や会議録等の資料をコピーして会議室に待機していたため、私たちは、コピーの原本を照合し、原本が綴じられているファイルを確認し、被災者が使用していたパソコンの電磁的記録をプリントアウトするなどした。電磁的記録に関しては、会社側は社内のパソコンを新しい機種に一新したということで、被災者の使用していたものは廃棄待ちの状態で倉庫に保管されていた。廃棄される前に保全できたことに弁護団はホッと胸を撫で下ろしたものである。
  なお、出入者管理記録はビルの管理会社の所有物ということで、証拠保全の対象からは外れたが、当日、任意に提出を受けることができた。

四 労災申請
  私たちは、保全した資料を検討し、2001年6月初め、被災者の妻とともに労働基準監督署を訪れ、労災申請を行なった。
  具体的には、質的・量的に過重な業務による過重負荷により被災者は1999年12月頃にはうつ病を発症していたこと、その後も続いた過重な業務により急激にその症状を悪化させ、希死念慮にとらわれて自殺に至ったものであることを担当官に訴え、意見書等を提出した。
  判断指針(平成11年9月14日基発第544号)にあてはめると、被災者は西暦2000年問題という重要な「新規事業の担当になった」と同時に「仕事内容・仕事量の大きな変化があった」「転勤した」もので、その平均的な心理的負荷の強度はいずれも「Ⅱ」である。しかし、当時の2000年問題の重要性にかんがみると、被災者の受けた心理的負荷の強度は「Ⅱ」と評価しうる。さらに、転勤後の労働時間の増加、恒常的な時間外労働などの仕事の量、エネルギー関連会社における2000年問題の重要性からくる仕事の質等にかんがみると、出来事後の変化は「特に過重」であったと評価でき、被災者の受けた業務による心理的負荷の強度の総合評価は「強」と評価すべきと主張したものである。

五 労基署の判断
  その後、電話や労基署を訪問してのやり取りを経て、「業務上」の認定が出たのは、申請から一年九ヶ月が経過した二〇〇三年三月だった。認定までに時間がかかったのは、個体側要因の不存在を調査するためであったようであるが、過労自殺の認定件数の急激な増加傾向にかんがみると、時間がかかったことはマイナス面ばかりではなかったのかもしれない。
  本件について、労基署は、仕事の質量の変化を認め、心理的負荷の強度は「Ⅱ」と評価し、仕事の量(労働時間)の変化等にかんがみ、出来事に伴う変化が「特に過重」と評価したようである。労働時間の認定については、被災者の手帳のメモが決め手となった。
  また、発症時期は、1999年12月末と認定された。

六 会社に対する損害賠償請求
  「業務上」の認定が出た後、私たちは被災者の妻と会社を訪れ、損害賠償についての会社の考えを尋ねたが、応対した担当者は「労基署がなぜこのような判断をしたかわからないので、何とも言えない。」の一点張りで、取り付く島もない対応だった。
  その後会社との交渉が続いているが、損害賠償が認められるまで、私たちはまだまだ奮闘の必要がある。
  ただ、労基署が夫の自殺の原因が「業務上」すなわち会社にあると認定したことで、被災者の妻が肩の荷を下ろし、明るさを取り戻しつつあることが、現時点での何よりの成果といえよう。   (弁護団は、松丸 正、下川和男、山下 真、大江千佳、外一名)
(民主法律253号・2003年8月)

2003/08/01