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21歳の雑誌編集アルバイトが入社51日で過労死した事件(廣瀬事件) 弁護士 村瀬謙一(民主法律251号・2002年8月)

弁護士 村瀬謙一

一 事案の概要
  被災者の勤務先は、株式会社ジェイ・シー・エムであった。この会社は、中古車流通の仲介や中古車情報誌の製作を業務内容とし、本社は東京都千代田区、従業員約200人、資本金3億円の企業である。
 被災者は、「カーセンサー関西版」というリクルート社発行の雑誌の編集を担当していた。被災者は、昭和50年2月生まれの若者で、平成8年4月22日、アルバイトとして入社した。入社当時、21歳であった。
 当時月刊誌であった雑誌の編集という仕事の性格上、締め切り前の約10日間は非常に忙しく、同社では、異常なまでの長時間業務が恒常化していた。
 被災者の場合、発症9日前から発症に至るまでの間、全く休日なくして就労したとの事情がある。
  その勤務状況の詳細は次のとおりである。
発症9日前 出社9時17分、退社翌2時20分。労働時間16時間3分。
発症8日前 出社11時24分、退社21時4分。労働時間8時間40分。
発症7日前 出社9時23分、退社20時4分。労働時間10時間11分。
発症6日前 出社9時25分、退社20時38分。労働時間10時間13分。
発症5日前 出社9時26分、退社翌1時9分。労働時間14時間43分。
発症4日前 出社10時21分、退社翌0時5分。労働時間12時間44分。
発症3日前 出社10時22分、退社23時39分。労働時間12時間17分。
発症2日前 出社10時23分、退社翌3時16分。労働時間15時間53分。
発症前日  出社11時23分、退社翌3時22分。労働時間15時間59分。
  そして、被災者は、帰宅後、就寝した状態のまま、死亡していたのであり、 医師の診断により、被災者の死因は虚血性心疾患(推定)と診断された。
本件では、入社わずか51日目での死亡であったことに、大きな特徴がある。

二 被災者の死亡の業務起因性について
  前記9日間における「労働時間」は、実に、116時間43分にも及ぶ長時間のものである。1日平均約13時間ということになり、その過重性には著しいものがある。特に、発症前日、発症前々日の労働は、ほぼ16時間にも及ぶものであり、特に過度の長時間労働が認められるばかりか、発症9日前から継続した長時間労働が認められ、発症前9日間の間休日は全く確保されていないのであり、想像を絶する過重な労働であった。
  このように、被災者の発症前九日間の業務は、発症前9日間の労働時間の合計においても、116時間43分にも及ぶやはり極めて長時間のものであることに加えて、その業務は、労災認定基準上の負荷要因に照らし、「不規則な勤務」「拘束時間の長い勤務」「深夜勤務」「日常的に精神的緊張を伴う業務」に該当するなど、極めて負荷の高いものであった。
 以上より、被災者の業務は、業務起因性が肯定されるべきことは明らかである。

三 労災手続
  本件については、弁護団としても、労災であることを確信し、遺族の依頼により、大阪天満労基署に労災申請を行ったが、平成12年1月、同僚も被災者以上に長時間の勤務をしていることや、手待時間が多く労働密度は低かったなどとして、業務外であるとの決定をした。
  しかし、同僚も被災者以上に長時間であるからというだけで否定し得ないことは、既に確立された議論であり、労働密度が低いなどと言っても、一緒に仕事をしていた同僚の聞き取りを行わず、会社が用意した者の聞き取りのみで判断するなど、ひどい判断であった。
  大阪労働局への審査請求の結果、平成14年5月、天満労基署の判断を取り消す旨の決定がなされた。

四 民事賠償請求手続
 労災認定がなされたと言っても、21歳の若者を入社わずか51日目に死に至らしめた会社の責任が認められたわけでも、会社から、何らかの慰謝の措置がとられたわけでもなく、平成14年6月、大阪地裁に、損害賠償を求めて提訴した。
  会社には、労働者の健康・安全を確保するために、①適切な労働条件を確保する義務、②労働者の健康状態を的確に把握する義務、③健康管理義務、④業務内容調整義務の安全健康配慮義務が存すると言うべきである。
ところが、当該会社では、三六協定も締結しないままに、被災者を含む従業員に対し、長時間に及ぶ時間外労働を強いていたものであり、1日16時間のような長時間に及ぶ時間外労働を強いる場合でも、わずか1時間の休憩を確保するのみであった。さらに、雑誌の締め切り日ばかりを優先し、1週間に1日以上の定期的な休日の確保もせず、適切な労働条件を確保する義務を怠っていた。
 また、会社は、労働安全衛生規則第43条で義務づけられている雇い入れ時の健康診断も行わなかったし、定期的に職場において従業員の健康状態を確認するということも全くなされていなかったのであり、被災者の健康状態を全く把握していなかった。そして、医学的知見に基づいて、健康を管理する義務も全く怠っていた。
 会社は被災者に対し、深夜にわたる長時間の勤務を連日のように、強いたものであり、業務の繁忙に応じて、適切な支援体制を確保し、労働の時間及び量を調整する義務を怠っていた。また、被災者は、入社間もない時期ということもあり、ただでさえ新しい環境下で緊張するところに、雑誌の締め切りという絶対的な期限のプレッシャー下におかれることの負担についても、引継や応援を適切に行うなどの措置を講じることもしていなかったのであり、全く配慮しておらず、業務内容調整義務も怠っていたものである。
 このように、会社は、前記①ないし④の各義務をいずれも怠っており、使用者に課せられた健康安全配慮義務に関し、債務不履行があったことは明白である。
  裁判は、平成14年7月15日、第1回口頭弁論期日が開かれたところであるが、会社は争う姿勢を見せている。
これまでは、遺族と弁護団が地道に活動してきた事件であったが、労災認定を得て、過労死家族の会の支援も受けることとなり、労災認定時、民事訴訟提訴時にはマスコミ報道もなされ、社会的注目も浴びている。
  熾烈な長時間業務により、入社51日目という非常に短期間内に、しかも21歳の若者が過労死に至った事案であり、労災認定のほか民事責任が肯定される意義は大きいものと思われる。本件事案の解決のみならず、また、雑誌編集職場の過酷な労働条件に警鐘を鳴らす意味でも、引き続き努力していきたい。
 (弁護団 岩城 穣、宮崎明佳、村瀬謙一、井上耕史)
(民主法律251号・2002年8月)

2002/08/01