過労死・過労自殺110番に参加して 同志社大学大学院 藤野ゆき(民主法律時報355号・2001年12月)
同志社大学大学院 藤 野 ゆ き
私は同志社大学大学院、社会福祉専攻で社会福祉労働をテーマに研究しています。労働問題、特に健康を守る運動に関心があることから、大阪職対連に個人加盟し、大阪労働安全センターの活動にも参加し、過労死や職業病裁判や様々な研究会にも足を運んでいます。今回、大橋弁護士に声をかけていただき、過労死110番に初参加しました。
これまで、大阪をはじめとした過労死家族の方と交流を深めたり、昨年は土川過労死裁判についての論文も書かせていただきました。今回の110番では、迷いの中での悲しみや、これからどうしていけばいいのかといった思いを聞くことできました。
2年半前の息子さんの死が、どうして過労死ではないのかと訴えられたお母さんの話には、30分以上耳を傾けました。息子さんは研究所閉鎖の残務処理の後、千葉県へ単身赴任をして半年後の昼休み中に亡くなったとのことでした。研究所時代に息子さんが開発し、現在も社会に出回っている製品を写真に残し、同僚からも「こんな仕事をしていた」という話も聞いていたそうです。亡くなる直前に会ったときは、あまりのやつれぶりに「すぐに病院に行くように」と怒鳴りつけた程だったそうです。しかし、労働時間を証明するタイムカード類があまりないこと、そして、息子の嫁が「過労死ではない」という会社の言いなりであることなどの複雑な胸のうちを語られました。
また、息子の嫁が10月に亡くなったという相談もありました。アルバイトにもかかわらず、朝の九時から夜の九時まで運送業の事務をし、休みも十分とれなかったということです。息子と孫を残して亡くなったというお嫁さんは五四歳で、家も売らなければならないかもしれないという不安もあるそうです。本当は兵庫県に住む息子さんが電話をかけたかったそうですが、仕事のために長野県のお母さんが代わりに電話をされてきました。
110番の電話は一回の相談に30分、一時間と話をされることもあり、遺族の思いの深刻さが、側にいるだけで伝わってくるようでした。このような機会をいただいた過労死連絡会の皆様に感謝を述べるとともに、この体験を今後の研究にも生かしていきたいと思います。
2001/12/01