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胸につまっていた大きな心のつかえがおりました――大阪市立小学校校長過労自殺に公務上の認定  弁護士 大橋恭子(民主法律時報349号・2001年6月)

弁護士 大橋 恭子

  平成一一年三月に、大阪市立小学校の校長が過労自殺した件について、その遺族が、同一二年一二月、地方公務員災害補償基金大阪府支部長宛に公務災害認定請求を行っていたところ、同一三年五月一六日付で、公務災害であるとの決定が出された。
  過労自殺について、平成一一年に認定基準が制定されて以降、学校長の過労自殺としては、おそらく初めての認定と思われること、また、一般に、脳心臓疾患の過労死と比較して決定が出されるまでに期間が要すると言われている過労自殺で、同一二年四月一四日に、申請代理人弁護士らの作成した意見書を関係資料を添付の上提出後、約一年余りでの決定という、非常に迅速な判断が出されたことが、特徴として指摘できよう。
 公務災害の認定が出たとの報告を受けた被災者の夫は、「事柄の性質上、嬉しいとか喜ばしいとかという言葉はあたりませんが、妻の死以来、私どもの胸につまっていた大きな心のつかえが、今回の決定によりかなりおりたということは、まぎれもない事実であり、ほっと致しているところであります。」と語った。
 基金の担当者によれば、認定理由を一言で言えば、自殺の原因は、ある保護者から激しい抗議、攻撃を受けたことが主で、それ以外に個人的な理由がみあたらなかったということであった。特に、学校長として学校内で最終的に責任をとらなければならない立場にあって、他に、逃げ場がなかったこと、また、対応すればするほど深みにはまっていくという中で解決の糸口を見いだすことが極めて困難であったことが、客観的にみても明らかであったと具体的に指摘された。
  また、被災者本人作成の大阪市教育委員会宛の報告書、被災者の様子の変化が丁寧に記録されていた夫の日記に、さらには、上記保護者から夫に送付された手紙に、その保護者から見た事案の経過が詳細に語られており、それら資料が大きな裏付けとなったとのことであった。
 このように公務災害であるとの認定決定が出され、被災者自身の「働く者」としての名誉の回復、また、遺族の補償という第一の目的は達成されたわけであるが、再発の防止という点で、更なる取り組みの必要があることは言うまでもない。
 遺族自身、「敢えて、付言したきことがあります。妻の死は、ぼつんと、単独に起こったものではありません。次から、次へと繰り出される一保護者の抗議に対して、学校長を後支えすべき当時の大阪教育委員会当該事務部局の組織と機能があげて、十分なものであったのかどうかということについて、調査をすべきであり、問題点を、教育委員会自らが自己点検し、その結果を校長等にしらせるべきである。」と述べている。
 本件では、被災者が、既述のように、保護者から継続して、激しい抗議、苦情を受け、誠心誠意保護者の申し出を受け入れ話し合いに努めたものの、一向に解決の見込みがなくなったいわば限界に達して教育委員会に相談に行ったところ、受けたアドバイスが「学校として精一杯誠意を持って対応していること、繰り返し、繰り返し、学校側の願い、思いを保護者に伝えるように」というものであった。そして、事態は好転することなく、さらに深刻化するなか、被災者が、抑うつ状態で入院し、その後しばらくして、自ら命を絶ったという事案の経過からすれば、教育委員会の責任を看過することはできない。
 弁護団としても、教育委員会内部に相談機関を設けるなど、再発防止に向けての具体的な提言を遺族とともに行っていきたいと思っている。
(弁護団は、岩城穣、小橋るり、大橋恭子の三名です。) (民主法律時報 三四九号)

2001/06/01