過労死問題について知る

HOME > 過労死問題について知る > 勝利事例・取り組み等の紹介 > 新認定基準1年日、過労死労災認定に明るいきざし──いっそうの掘り起こしと関いの強...

新認定基準1年日、過労死労災認定に明るいきざし──いっそうの掘り起こしと関いの強化を── 弁護士 岩城 穣(民主法律226号・1996年2月)

弁護士 岩城 穣

一 過労死の引き続く発生と世論の動向
1 「過労死110番」が1988年に開設されてから7年余が経過し、全国の相談件数は95年6月17日現在で3890件(うち死亡1722件)にのぼり、4000件に迫っている。
  95年6月17日実施の第8回一斉電話相談に寄せられた相談件数は177件(ただし大阪ではマスコミの取り上げが弱かったため、9件にとどまった)で、93年、94年とほぼ同数であった。
  不況下において人減らし、リストラの嵐が吹くなかで、管理職や正社員を中心に長時間・過密労働、サービス残業は後を絶たず、過労死は引き続き多数発生している。
2 他方、過労死を労災として救済するよう求める世論は、後述の行政訴訟や企業責任追及訴訟での裁判所の積極姿勢とも相まって、いっそう強まっている。
  また95年2月には、日本産業衛生学会「循環器疾患作業関連要因検討委員会」の報告「職場の循環器疾患とその対策L経過と提言」(後出の資料参照)が発表され、学会内でも世論か大きく変わりつつある。

二 新認定基準の施行
 1995年2月1日、新認定基準が施行された(平成7年2月1日基発第38号労働省労働基準局長通達)。
 その内容はこれまで度々紹介されているので詳細は避けるが、その中心は、①これまで「付加的要因」として事実上切り捨てていた発症直前1週間以前の蓄積疲労について、「発症前1週間の業務が日常業務を相当程度超える場合」には「総合的判断」をする、②継続的な心理的負荷(ストレス)についても、本省へのりん伺を条件にしつつも、一定の因果関係を認める、等の点である。
 この新基準については、依然として直前1週間という基準に固執している、業務の過重性か疾病発生の最有力原因であることを要求する枠組みを崩していない、などの厳しい批判がなされているが、実際の運用として現実に業務上と認定される件数が増えるのかどうか、が大いに注目されていた。
 なお、公務員の分野でも、同年3月31日付で、人事院、地公災基金による通達が出され、認定基準が改定された。新基準は、発症前1ヶ月間の勤務状況を詳細に調査し、更に場合によっては発症前数ヶ月間の勤務状況も詳細に調査して総合的に評価することとしており、労働省の右通達よりも更に広く蓄積疲労を評価するものとなっている。

三 新基準1年目の過労死労災認定をめぐる動向
1 全国的傾向
  右のような新基準のもとで、全国的に見て、業務上と認定される件数は明らかに増加している。労働省によれば、95年2月から9月までの8ケ月間で既に35件が業務上と認定され(この中には後述の江国事件、翁長事件などは含まれていない)、94年度の1年間の認定件数32件を既に上回っている。
 また労災保険審査官に対する審査請求段階でも、95年9月に大阪(亀井事件)と千葉、10月に長崎で、それぞれ逆転の業務上決定がなされ、更に後述のように11月から12月にかけて大阪で4件(N、K、T、K事件)か逆転の業務上認定がなされた。労働省によると、93・94年度の過労死・疾患関連の審査決定207件のうち逆転認定は12件とのことであり、95年度はほぼ2倍近いペースで業務上認定がなされていることになる。
 更に行政手続の最高段階である労働保険審査会でも、95年8月と10月に各1件の逆転業務上認定がなされている。審査会での逆転勝利は、87年から94年の7年間でわずか3件しかなかったことを考えれば、その意味が大きいことかわかる。

2 大阪での状況
 (1) 大阪では、特にこの間、次のような重要事件で業務上の認定が相次いでいる。
 ① 9月29日  亀井事件(証券マンの急性心不全死)   大阪中央労基署
 ②11月30日  N事件(フランス料理コックの脳内出血) 大阪労災保険審査官
 ③12月8日  K事件(大工の右被殻脳出血)       大阪労災保険審査官
 ④12月11日 T事件(住設機器販売会社営業所長の急性心不全死)  大阪労災保険審査官
 ⑤12月26日  K事件(電気工事技術者のクモ膜下出血死 大阪労災保険審査官
 ⑥12月26日 E事件(トレーラー運転手の心筋梗塞)        神戸東労基署
 ⑦12月28日 翁長事件(路線バス運転手の喘息死)        大阪中央労基署

 (2) これらの事案の概要と闘いの経過、決定の特徴については、後出の一覧表(省略)、及びそれぞれの勝利報告等を参照されたいが、全体として次のような特徴が指摘できる。
  Ⅰ 従来労働時間の把握が難しく、またストレスが発症に作用していると考えられるホワイトカラー労働者について、柔軟かつ積極的な認定がなされている(亀井事件、T事件)。
  Ⅱ 前述の、新認定基準で評価の対象とされる期間の枠が広げられた要件の部分に当てはめて、業務上とされる事例か出ている(N事件、K事件)。
  Ⅲ 蓄積疲労に言及している例か多い。
  Ⅳ 審査官の段階で鑑定依頼を受けた局医が、いずれも業務上との意見を出している。
  V 支援の運動か大きな広かりを見せた事件では、業務上の認定を勝ち取っている(亀井、T、K、E、翁長事件)。

(3) しかし他方で、どうしても勝ち取らなければいけない事件で業務外とされたもの(峯松事件など)もあり、決して手放しでは喜べない状況もある。

四  過労死をめぐる裁判の動向
1 行政訴訟
 (1) 行政訴訟での相次ぐ勝訴
 行政段階の業務外決定の取消しを求める行政訴訟でも、遺族側勝訴の判決が依然として相次いでいる(94年13件、95年8件)。また、1審勝訴・2審敗訴の名古屋の瑞穂小学校の教員の過労死事件で、最高裁が本年2月に口頭弁論を開くことになっており、労働省の認定基準に痛打を与える最高裁判決か出される可能性が出てきている。
 (2) 審査請求をめぐる最高裁の画期的判決
 また、遺族を救済する血刊例か主流となってきているにもかかわらず、労災申請から労働保険審査会までの行政手続を経て提訴するまでに5年ないし10年もかかるという状況が続いてきた。そのようななかで最高裁第一小法廷は95年7月6日、「労災法は、審査請求に対する決定が遅延した場合に対する救済措置の定めを置いていない」「国民の司法救済の遭を不当に閉ざす結果を招くことば明らか」として、「審査請求をした日から3ケ月を経過しても決定がないときは、審査請求に対する決定及び再審査請求の手続を経ないで、処分の取消の訴えを提起することかできる」という、画期的な判決を下した。これによって遺族は、労基署の決定に対し審査請求して3ケ月経てば直ちに行政訴訟を起こせることになったのである。
 これに対して労働省は現在、「審査請求をして3ケ月経てば再審査請求ができ、再審査請求して3ケ月経てば行政訴訟ができる」とする法案を準備中と伝えられ、また審査官や審査会委員の増員を検討中とのことである。いずれも世論と遺族の救済に背を向けてきた労働省の苦肉の策といえよう。

2 企業責任追及
 長時間過密労働と杜撰な健康管理によって、労働者を過労死させた企業に対する責任追及の訴訟でも、この間大きな前進が見られる。
 94年11月に東京の岩田事件(富士銀行女性社員の過労死)、大阪の平岡事件(ベアリング工場班長の過労死)で勝利和解を勝ち取ったが、その後94年12月に岡山地裁(私立学校教員の過労死)、95年7月に神戸地裁姫路支部(メッキ作業員の過労死)で、いずれも勝訴判決が出された。特に後者は、会社に対して強力な安全配慮義務を要求し、また会社側の過失相殺の主張を明快に排斥した画期的な判決である。
 またこれら以外でも、和解や調停による勝利が相次いでいる。

五  今後の取り組みについて
 1 以上のように、これまで過労死の救済を求める世論と、多少なりとも救済の姿勢を示してきた裁判所、他方で、過労死の労災認定に 頑なに抵抗してきた行政と、労働者を使い捨てに してきた企業、という構図が長く続いてきたなかで、遺族の救済か、わずかながらも広けられつつあるように見うけられる。
  新認定基準元年である1995年を、真に過労死の遺族の救済と過労死の根絶の元年とするためにも、いま、闘いの飛躍的な強化が求められている。

2 当面、現在係属中の事件で、引き続き闘いを強化する必要がある。内容面では、特に新基準にそった業務の過重性の主張立証、主治医や遺族側医師の医学意見書による医学的立証を重視することが重要である。また運動面でも、広範な個人・団体に依拠した支援運動の展開が期待される。

3 また、審査官の対応などによっては、早期に行政訴訟を提起することも検討する必要がある。また、企業責任追及の訴訟なども提起するなどして、多面的・相乗的に闘いを進める必要かあろう。

4 更に、新基準1周年と、この間の勝利を全面に出して、現在もなお発生している過労死事案を掘り起こし、積極的に労災申請していきたい。また、それと併せて、職場でいのちと健康を守る取り組みをいっそう強めていくことが望まれる。
(民主法律226号・1996年2月)

1996/02/01