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コラム 『再び繰り返された電通過労自殺』(弁護士 松丸正)

コラム 『再び繰り返された電通過労自殺』(弁護士 松丸正)

1 2つの過労自殺事件の共通性

 平成27年12月25日、故高橋まつりさんがクリスマスの日の朝に、母に「大好きで大切なお母さん さようなら ありがとう 人生も仕事もすべてつらいです 自分を責めないでね 最高のお母さんだから」とのメールを残して自ら命を絶った。

 そのふた昔前の平成3年8月27日には、故大嶋一郎さんが同様に自殺している。この件についての損害賠償請求事件は最高裁まで争われている。

2つの自殺事件は、

・ともに被災者は24才であり、入社1~2年目の新入社員であったこと

・故高橋さんは、うつ病発病前の時間外労働は月100時間を超えており(故高橋さんの代理人の主張によれば130:56、労基署の認定によれば約105:00)、故大嶋さんの発病前には勤務日の3日に1回は翌朝6:30に至る徹夜勤務であったことなど常軌を逸した長時間労働であったこと

・故高橋さんのツイッターによれば、部長から「君の残業時間の20時間は会社にとってムダ」「髪がボサボサ、目が充血したまま出勤するなよ。」と言われ、故大嶋さんは、酒を飲めないにも拘らず、班のリーダーから靴の中にビールを注がれて飲むことを強要されたり、靴の踵でたたかれれるパワハラがなされていることなどの共通性を有している。

  更に共通性として最も重要なのは、過少な自己申告がなされ、適正な労働時間の把握がなされていなかったことにある。

 故高橋さんの件では、36協定の月70時間の限度時間を超えないようにするため、平成27年10月は69.9時間、同年11月は69.5時間の申告しかなされていない。代理人や労基署の労働時間の認定は入・退館記録に基づいている。

 故大嶋さんの件についても、36協定の月60時間~80時間の限度内で、勤務状況報告による自己申告がなされており、監理員巡回記録や退館記録によって裁判所の判断はなされている。

  電通自殺事件については、第4代社長の遺訓である、「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは」等による企業風土があることが指摘されている。
私は企業風土のせいとする考え方はこの問題を矮小化させることになると考える。
労働時間が適正に把握されることなく、過少申告がなされていたこと、それはどの「優良企業」の過労死・過労自殺にも共通する。

  故大嶋さんの事件から24年を経ても、電通においては、出・退勤の客観的な記録ではなく、自己申告による労働時間管理を継続していたことに、過労自殺が繰り返されたことの本質があると私は考えている。

  ではなぜ、社員とりわけ新入社員では過少な申告がされるのか。つぎのブログでは、大嶋さんの事件での最高裁の調査官である裁判官の判例解説に基づき考えてみよう。

 2 最高裁調査官の、自己申告が過少になされることについての分析

 故大嶋一郎さんの過労自殺につき、平成12年3月24日に下された、最高裁電通過労自殺損害賠償請求事件判決は、「企業賠償責任元年」を切り拓いたと言っても過言でない重要な判決だった。

 この判決を下されるにあたって事件の検討をした八木一洋調査官(裁判官である)の判例解説〔最高裁判例解説民事篇平成12年度(上)〕は、被災者救済の点において、判決そのものにも劣らない、その後の過労死・過労自殺の判決をリードする重要な論文である。

  電通等、自己申告による労働時間管理を採用している「優良企業」において、自己申告が過少になされることについて、前記判例解説の注50において、つぎのように述べている。長文になるが引用しよう。

 「今後の議論の材料として供する趣旨で、簡単なモデルを提示する。設例の職場では、中間管理職が、その管掌する部署に属する従業員につき人事考課を行うものとされており、中間管理職自身も、部下である従業員の業績等につき上司による人事考課を受けるものとする。中間管理職自身に対するものも含め、人事考課上の指標としては、業務の成果物の量と労働生産性が重視されているが、従業員の労働時間の合計については上限が課されており、中間管理職がその管理に当たるとされているものとする。そして、中間管理職も、従業員も、人事考課の結果に基づく将来の昇進のいかんにより、収入は大きく左右されるものとする。

  一般に、従業員の業務の負担が過重となる原因としては、① 当該業務につき配置人員が過少である、② 上司(設例では中間管理職)の業務遂行に関する指示が不適切である、③ 従業員の業務遂行の方法等が不適切であるといった事由が考えられるが、右のような前提の下に中間管理職が労務管理に当たる場合には、③の点に焦点が当てられやすくなるものと思われる(殊に、①の点は、中間管理職及び従業員のいずれにおいても、自己の能力に関する評価にかかわるため、論点として挙げにくい。)。ところで、③の点は、従業員に対する人事考課上の指標とされるその労働生産性の問題と、表と裏の関係にあるものである。労務管理に当たる中間管理職自身も部下の従業員の業績により人事考課を受ける場合には、従業員の業務の負担の調整と、人事考課上の指標としての従業員の業績の向上との間に、相反する傾向が生ずる可能性が高く、当該中間管理職の関心の在り方いかんによって、いずれが重視されるかが大きく左右されるものと思われる。

 既に労働時間の上限に近い状態で業務が遂行されている状況において、中間管理職が更に業務の成果物の量の増大を目指し、一方、業務の性質からしてその効率性(実質労働生産性)を向上させることが困難な場合には、実際には右上限を超える労働時間につきその名目量の調整をもって対処するほかはない。これは、名目労働生産性を実際よりも高いものであるかのように示すことと同義である。当該職場において労働時間の自己申告制が採用されているならば、従業員にその労働時間を過少に申告させることによって、右に述べたところに沿う結果を得ることができる。これに対し、従業員としても、前記のような状況下において、中間管理職の関心が名目労働生産性の点にあり、それが自己の能力の評価、ひいては昇進に影響すると認識している場合には、労働時間を過少に申告することによって現在失われる利益よりも、自己に対する評価が高まり昇進することによって得られるであろう将来の利益の方が大きいと判断して、労働時間を過少に申告する行動を選択することがあり得よう。発端となる事情のいかんはひとまずおいて、当該職場において右のような行動を執る従業員がある程度の数に達すると、労働時間を過少に申告することが、従業員間の人事考課上の競争における事実上の前提条件と化する可能性がある。こうした状態が生ずると、遅れて当該職場に加わった者(新入社員等)について、業務遂行に不慣れなことに起因する当面の労働生産性の低さを補う事情もあり、既に競争の前提条件となっている労働時間の過少申告行動を採用しようとする傾向が高まることが考えられる。」

  この論文を読むまでは、正直に言って、私は裁判官は世間を知らないとの気持ちを持っていた。しかし、会社や労働者を含めた世間を冷静に、かつ的確に見通したこの論文を読んでから、そのような考えを、裁判官一般に持っていたことを反省している。

 皆さまは、この論文をどのように受けとめられましたか。

3 労働時間の適正把握を

 電通では「1」で書いたように、平成3年の故大嶋さんの事件では、監理員巡回記録や退館記録、今回の故高橋さんの事件ではIDカードによる入・退館記録があるにも拘らず、自己申告により労働時間を把握していた結果、心身の健康を損ねる長時間労働に対するチェック機能が働かなかったことが、事件が生じた重要な要因となっている。

  労働時間の把握につき厚労省の通達(「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」)は、原則として使用者の現認あるいはタイムカード、ICカード等の出退勤の客観的な記録に基づき行うことを求めている。

  使用者の現認は、小規模な会社で社長が他の社員より先がけて出勤し、全員が退勤したのち社長も退勤するような会社ならともかく、現実的な方法でない。

 タイムカード、ICカード、あるいは正確性に欠けるがパソコンのログイン・アウトの記録(ログイン前やログアウト後に業務がなされることもある)等の客観的な出退勤の記録によって把握するのが、厚労省の通達をまつことなく、原則的かつ適正に把握できる方法であることは明白である。

  仮に出勤後、退勤までの間に、昼の休憩時間以外に業務から解放された私的な時間があるなら、その時間を自己申告させる、即ち労働時間を自己申告させるのではなく、業務から解放された時間、即ち出勤から退勤までの間に取得した休憩時間を申告させる、電通のように自己申告を原則とするのではなく、出退勤の客観的記録(今回の故高橋さんの事件では入・退館記録)を原則として把握すべきなのだ。

 IDカードによる入・退館記録の電磁データがあれば、社員の労働時間を日々把握することは容易であり、時間外労働が36協定の限度時間を超えたらパソコンの画面に黄色の表示、月80時間を超えたら赤い表示がされるようなシステムも容易に作成できよう。

 その表示に従って、社員の労働時間の是正と産業医面接等、心身の健康上の措置を行うべきである。

  自己申告と客観的な出退勤記録との齟齬は、過労死・過労自殺の温床を生んでいる。

  厚労省の前記通達は、例外的に自己申告を認めているが、多くの会社では自己申告を原則としている。また、前記通達は齟齬が生じないための要件を定めているが、その要件を充足した自己申告制度を有している会社は、「優良」会社においても数少ない。

 客観的な出退勤の記録に基づく労働時間を原則とすること、電通のような事件が繰り返されないためにも、また不払残業が生じないためにも、使用者には自社の労働時間の把握システムを再検討されることを求めたい。

  また、厚労省に対しても、前記通達どおり、適正な労働時間の把握を客観的な出退勤の記録でなすことの厳しい指導を強化することを求めたい。

  電通において、再び繰り返された事件を反省してまずなすべきは、自己申告でなく、出・退勤システムに基づく労働時間による把握を直ちに実施することである。(以上)

2016/11/28