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温泉旅館料理長の過労死事件(上田事件)が控訴審において解決 弁護士 中森俊久(民主法律265号・2006年2月)

弁護士 中森俊久

1 過労によるクモ膜下出血による死亡と訴訟提起
 「会社に殺される・・・」紀伊勝浦にある温泉旅館「ホテル中の島」の従業員で、料理長をしていた上田善顕さんは、生前妻(上田裕子さん)にこう話していた。会社から毎日新たな献立表を提出するよう要求され、夜遅く帰宅してからも深夜まで献立作りに励み、翌早朝には仕入れのため家を出るという生活を強いられた善顕さんは、過労のため、平成12年3月3日、脳動脈瘤破裂による重度のクモ膜下出血を発症した。発症当時の1か月の総労働時間は368時間を超え、時間外労働だけでも200時間弱に及ぶ労働状況での下での発症であった。
  その後、善顕さんの容態は一進一退を繰り返し、懸命な治療・看病が1年以上続けられた。しかし、善顕さんは意識が戻らないまま、平成14年7月2日に亡くなった。
  新宮労基署は、平成14年12月に、善顕さんのクモ膜下出血の発症と死亡を業務に起因するものとして、労災認定した。その後、裕子さんを含め善顕さんの遺族である3人(原告ら)は、労災申請にさえ協力しなかった会社に対し、民事訴訟を起こす決意をした。そして、平成15年3月3日、株式会社「ホテル中の島」及び当時の代表取締役社長並びに当時の常務取締役を被告として、損害賠償を求める裁判を提起した。

2 業務内容及び労働時間の立証
  料理部門の責任者である善顕さんの業務は、材料の仕入れ、注文、原価計算、調理場の調理員の取り仕切り、調理員への料理の手本示し、味見、料理及び盛りつけの指導等多岐にわたる。そのため、善顕氏は恒常的に長時間労働を強いられたが、不況による人員削減策により、発症当時の状況はさらに苛酷なものとなっていた。
  問題は、このような労働内容及び長時間労働をいかにして立証するかであった。証人3人はすべて敵性証人という状況の中、我々は原告裕子さんの記憶をいかに説得的に伝えるかということを重視した。そして、裕子さんが善顕さんの発症後しばらくして作成して労基署に提出した資料を取り寄せ、証拠として提出。同資料ががいかに緻密かつ鮮明であることを強調した。また、原告裕子さんの本人尋問の際にも、同資料の内容の確認をひとつひとつ丁寧に行った。
  善顕さんを看病するなか裕子さんが必死になって作成したその資料の中には、善顕さんが生前漏らした言葉が具体的かつ迫真的に綴られており、労働時間に止まらず、労働者を虫のように扱う余りに卑劣な会社側の姿勢を顕わにすることができた。
なお、本件訴訟に並行して、労基署の不誠実な対応により原告裕子さんがうつ病になったことを理由とする国家賠償請求訴訟も和歌山地裁に継続していたが、同訴訟の被告国の準備書面には、労基署が認定した具体的な残業時間が示されていた。我々は、同準備書面を本件訴訟の証拠として提出するなどして、労働時間についての補強証拠とした。

3 第1審判決と双方控訴
  第1審判決(平成17年4月12日)は、義顕さんの過重労働の内容を詳細に指摘し、「被告会社は、義顕に対し、労働時間の管理につき、適切な労働条件を確保すべき前提たる義務に違反したものということができる」とし会社の安全配慮義務違反(債務不履行ないし不法行為)を認めた。また、代表取締役社長及び常務取締役の不法行為責任を認定し、会社と連帯して損害賠償するよう命じた。(なお、第一審の判決については、民主法律第50回総会特集号に掲載された由良登信弁護士の報告を参照されたい)。
  第1審判決後、被告側は判決を不服として即時に控訴した。また、会社のみならず、社長と常務取締役個人に不法行為責任を認めた点は非常に評価できるにせよ、第1審判決が認容した損害額の不十分さ、寄与度減額割合(3割)の大きさ等(認容額合計2438万円)を不服として、原告側も控訴した。

4 控訴審における審理内容
(1) 大阪高裁における控訴審では、双方の主張・立証に並行して、和解に向けた話し合いの機会が持たれた。もっとも、双方控訴の事案であり、また、1審被告側から新たな人証申請があるなどしたため、和解の道を探ることすら困難かと思われた。1審原告らは、1審被告側から提出された新たな関係者の陳述書を見て、その余りの虚偽の多さに憤りさえ覚えていた。
  ところが、和解期日において、裁判所が1審原告本人の話を熱心に聞くとともに、一方で具体的な和解案を示して被告側への説得を行っていくなかで、双方の距離が徐々に縮まった。和解案の金額は、1審原告側の損害計算方法に一定の理解を示すもので、1審認容額を大きく上回る内容(損害額合計3500万円)であった。
  1審原告側としては、判決・和解におけるそれぞれのメリット・デメリットについてシミュレーション計算を行うなどして詳細な検討を繰り返した。また、1審原告本人らが本件訴訟で求めるものは何かということについて、1審原告らそれぞれの意思を確認・一致させるよう努めた。

(2) その結果、原告らとしては、金額については了承するものの、和解条項内において、①被告会社のみならず、社長及び常務も当事者として連帯責任を認める条項とすること、②明確な謝罪文言を入れることを裁判所と相手方に求めた。そして、それら要望がほぼ全部受け入れられ、平成17年11月29日、大阪高等裁判所第14民事部和解室において1審原告と1審被告は和解した。提訴から2年以上経過して、本件訴訟はようやく解決したものである。

 和解条項を若干紹介すると、以下のとおりである。
1 第1審被告らは、第1審原告らに対し、亡上田義顕が長年にわたり、第1審被告株式会社中の島の発展に貢献したことを認め、本件労災事故の発生につき謝罪するとともに、今後、従業員の労務管理・健康管理に十分配慮することを約束する。
2 第1審被告らは、本件解決金として、各連帯して、第1審原告上田裕子に対し~(以下省略)

(3) 和解における話し合いを通じて、遺族が強く求めるものは、被災者を死に追いやった会社側の真摯な「謝罪」であることを強く感じた。「和解」という言葉は、何ら落ち度のない被災者や遺族が何かしら譲歩し、相手を「許す」ようなニュアンスとしてのみ受け止められるので、過労死遺族の中には和解という言葉を嫌う方もいる。しかしながら、謝罪文を入れることができるといった「和解」のメリットからすれば、「和解」は決して譲歩だけを意味するものではない。和解条項内容を工夫することにより、事件解決の大きな手段となることを改めて知った。

5 終わりに
  私にとっては弁護士になって初めて関わった過労死事件であり、それだけに思い入れも深い。和解室から出てきたとき、第1審被告会社の現社長が原告の裕子さんに労いの言葉をかけた際、裕子さんは涙を流した。過労死事件の解決の内容は様々だと思うが、本和解が原告らそれぞれの人生に何かしらの意味を与えることができたとすれば幸甚である。
    (弁護団山﨑和友、由良登信、岩城穣、岡田政和、中森俊久)

(民主法律265号・2006年2月)

2006/02/01