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アーク溶接工Tさん過労死事件報告 弁護士 有村とく子(民主法律時報361号・2002年6月)

弁護士 有村とく子

一、労基署と裁判所で異なる判断─過労死裁判では勝訴
 大阪市内の土木建設会社のガス工事部でアーク溶接工として働いていたTさんは、1996(平成8)年5月25日に工事現場で脳梗塞を発症して倒れ、同月29日に亡くなりました。この事案について、大阪地裁民事15部は今年4月15日、Tさんの死亡は被告会社の安全配慮義務違反による過労死であることを認め、会社に総額約2200万円の支払いを命じる判決を下しました。1998(平成10)年6月に提訴したこの裁判は、同時に行った労災申請が審査請求段階でも業務外とされたこととは正反対の結論だったため、新聞でも取り上げられました。

二、事案の概要と1審判決の素晴らしかった点
 Tさんは、昭和16年8月生まれで中学校を卒業した昭和32年にアーク溶接の免許を取り、以後ずっと溶接工として働いて来ました。被告会社には、1993(平成5)年に就職し、ガス工事部でガス管埋設工事に従事していました。Tさんは、ガス管の溶接作業のみを行っていたのではなく、溶接作業を行うための準備やペアを組んでいた鉄工の作業の手伝い、会社と作業現場の間を移動するための自動車の運転なども行っていました。
 被告会社は、溶接作業に要した時間のみを労働時間とすべきであると主張して、Tさんの長時間労働の事実すら認めようとしませんでした。しかし、判決は、Tさんのかかる一連の作業につき、「全体として労働の内容を構成していたといえる」と認定し、「それらも含めて要した時間をもって労働時間と評価すべきである」として、Tさんが被告会社に「勤務し始めた平成5年9月以降、約2年9か月の長期にわたり、時間外労働が平均して1か月あたりおおよそ40時間を超過する業務に従事していた」こと、Tさんが「脳梗塞を発症した平成8年5月25日の直前1か月を見ると、その労働時間は242・5時間に達しており、時間外労働が約71・5時間であった」こと、被告会社が時間外及び休日労働について36協定を締結することなく従業員に稼働させていたことなどを認定しました。
 Tさんの溶接作業についても、その作業手順と具体的内容に注目し、溶接作業には内作作業と現場作業の2つがあり、特に現場作業における溶接は「内作作業と比較すると作業環境が悪く、肉体的・精神的負担のかかるものであった」として、裁判所独自に平成6年11月以降の内作作業数と現場作業数について比較する表を作成し、現場作業は溶接作業全体の6割を超えるものであったと認定しました。また、阪神大震災後にガス管取り替え工事が急増したため、1995(平成7)年12月以降、溶接時間が急増し、脳梗塞を発症した直前1か月には97時間にも達していたこと、同じく発症の「直前1か月をみると、平均の2倍に当たる8回の連続勤務が行われ、うち2回は昼間勤務・夜間勤務・昼間勤務の3連続勤務であった」としています。休日についても、独自に「休日一覧表」を作成してまとめ、Tさんの休日が不規則で発症直前の1か月をみて、「平成8年4月16日に雨天中止になった後は、ゴールデンウィークも休むことなく5月8日に休暇を取るまで連続して21日間勤務し‥‥」などと詳しく認定しています。そして、発症直前の5月23日にグラインダーを使用しての作業中、鉄粉が目に刺さる事故があり、激痛のため十分な睡眠がとれないまま無理を押して25日に出勤し、同日脳梗塞を発症したことについてもきちんと認定されていました。
 このように、裁判所は原告の主張・立証をもとに、独自に勤務時間表、溶接時間表、連続勤務表、休日一覧表、作業比較表などを作成して詳細な事実認定を行い、Tさんの脳梗塞が心原性の脳塞栓であり、被告会社での業務の遂行によって、Tさんの基礎疾患等が「その自然の経過を超えて急激に増悪・促進したことによって(脳塞栓を)発症した蓋然性が高」いとして、被告会社におけるTさんの業務と死亡との間に相当因果関係があるとの判断をしています。
 そして、被告会社が36協定を締結することなく違法に時間外及び休日労働を継続させていたのみならず、一か月単位の変形労働時間制を採用していたにもかかわらず労基法32条の4の規定に違背した運用を行い、業務内容調整のための適切な措置をとるべき注意義務を怠っていたとして、Tさんの死亡と会社の安全配慮義務違反との間にも相当因果関係があるとしました。

三、判決のマイナス面-損害額を大幅に減額
 と、ここまではすばらしい認定と判断なのですが、何故か、裁判所はこの後で大幅な損害額の減額をしたのです。日く、Tさんの脳塞栓は、被告における業務によって蓄積した疲労のみが原因となったわけではなく、Tさんの「心房細動、高脂血症、飲酒といった身体的素因ないし生活習慣もその原因となったことは否定できない」とし、「平成6年及び7年の予防検診において‥‥指摘を受けた点について治療を受けるべきであった」のに「受けなかった」、従って、「損害の全額を被告に賠償させることは衡平を欠き相当でないから、民法418条を適用及び類推適用し、業務過重性の程度、期間などの外被告と被災者双方の諸般の事情を総合考慮し」、「損害額の3分の1をもって、被告が安全配慮義務違反に基づき損害額と認めるのが相当」であると。
 しかし、判決も認めるように、Tさんの心房細動は平成6年・7年の健康診断で指摘を受ける外は「特に問題なく溶接工としての業務に従事してきており、脳塞栓発症前に脳・心臓疾患が特段増悪していたことを窺わせる事情は存し」ませんでした。仕事が非常に忙しくなった発症前の時期は、病院にも行けなかったのであり、Tさんに帰責性など認められようもありません。なのに、これほどまでの減額を行うことは、極めて不当な判断であり、前半のすぐれた認定とはかなりの隔たりを感じます。

四、とはいえ嬉しかった一審勝訴─事件への思いとこれからのこと
 この事件は、私が弁護士登録をして間もない頃に声をかけてもらった弁護団事件です。既に岩城先生と村瀬先生が証拠保全をしておられ、民事裁判と労災申請を同時にやるという時点から、原野先生に続き私も参加しました。私にとっては過労死第2号事件であり、Tさんが亡くなった当時50歳代前半であったこと、奥さんも私の母と同い年であることから亡き父の姿と重なり、また出身中学が私と同じ八尾の竜華中学であったことからTさんのことが身近な存在に感じられ、格別の思いがありました。
 判決言渡まで4年が経ち、既に労災では業務外とされため、裁判でも同様の結果になるのではないかと不安でした。奥さんは、「締めくくりの日やし、ちょうど2週間前、お父さんが夢枕に立たはったから、聴きに来ようと思たんです。」と裁判所への行き道に話して下さいました。緊張して原告席で言い渡しを待っていますと、裁判長の「主文。被告は‥‥○○円を支払え。」の言葉。とたんに頭の中はきれいな音色の鐘が鳴り響き、私は○○円のところだけ急いでメモして隣に座っている奥さんに「勝った!」と短く伝えました。4年前、会社へ労災申請書の使用者証明欄に押印をもらいに行き、長い時間待たされて結局判子をついてもらえずに帰ったこと、長崎へ元同僚の方の話を聞きに行ったこと(あのとき初めて本場の長崎ちゃんぽんを食べた)、西淀病院の田尻先生が詳細な意見書を書いてくださり、何度も打ち合わせしたことなど、いろいろなことが思い出されました。ともかくも会社の責任が認められたことが嬉しくて嬉しくて、法廷を出てから奥さんと抱き合って泣きました。ただ、後でよくよく冷静になって考えてみると、業務と死亡との相当因果関係が認められ、会社の安全配慮義務違反も認められたのに、なぜ3分の2もの過失相殺がされるのか、やっぱり納得がいきません。
 会社が1審判決を不服として控訴したことを契機に、こちらも損害額につき大幅な減額を認めた点を不服として控訴をしています。控訴審の第1回期日は7月24日です。
 今後は労災を認めなかった労基署の決定に対して取り消しの行政訴訟を起こす予定です。1審判決が減額の部分だけ取り消され、行政訴訟にも勝つことをめざして頑張ります。
 弁護団は岩城穣、村瀬謙一、原野早知子弁護士と私の四人です。
(民主法律時報361号・2002年6月)

2002/06/01