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労働基準法が「壊れている」医師の労働現場 弁護士 松丸 正(民主法律272号・2008年2月)

弁護士 松丸 正

はじめに
 過労死の生ずる現場では「…のために」という意識が多く存在します。「会社のために」「生徒のために」、そして「家族のために」…。啄木に「こころよく我に働く仕事あれ、それを仕遂げて死なむとぞ思う」との歌があります。「…のために」の意識は人が働くうえで大切なものであることは言うまでもありません。しかし、この意識が、労働基準法が壊れたような過酷な労働をもたらしていることも事実です。
 医療の現場では、「患者の命のために」との聖職意識の下で生ずる過労死・過労自殺は少なくありません。本年1月16日に大阪地裁で公務上との判決が下った国立循環器病センターの25才の看護師だった故村上優子さんも、脳外科病棟で患者の命と向き合うなか過労死したケースと言えます。
 勤務医に目を向けると、そこには労基法とはかけはなれた勤務実態があり、その過労死・過労自殺は社会的に大きくクローズアップされています。勤務条件の向上等を目的として「全国勤務医連盟」の結成が準備されています。勤務医の労働条件の改善は、勤務医の労働条件、命と健康、そして良い医療をつくるために緊急の課題です。

1 「過労死ライン」を超えた勤務医の勤務時間
 厚生労働省の「医師需給に係る医師の勤務状況調査」(平成18年3月27日現在の調査状況)によれば、病院等の医療機関の勤務医の1週間当りの勤務時間は、平均で63.3時間に及んでいます。
 同じく厚労省が定めている「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く)の認定基準」(平成13年12月12日付け基発第1063号)によれば、「発症前1ヵ月間におおむね100時間又は発症前2ヵ月間ないし6ヵ月間にわたって、1ヵ月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は業務と発症との関連性が強いと評価」され、原則として業務上と判断されるとしています。
 1週間当り63.3時間の前記調査による医師の勤務時間は、1週間に40時間を超える時間を時間外労働とする前記「認定基準」の考え方に基づけば1ヵ月当たり約100時間の時間外労働に相当するものです。
 医師はその平均値をとってみても「業務と発症との関連が強い」とされる長時間の時間外労働の下で勤務をしていることは明らかです。

2 急増する勤務医の過労死事件

 また「認定基準」は、不規則な勤務、深夜勤務、精神的緊張を伴う業務については、その負荷要因について十分検討することを求めています。医師の業務は、患者の容態の変化や急患による不規則な勤務、宿直による深夜勤務、そして何より患者の命と健康を預かるという精神的緊張を伴う業務です。この質的過重性を考えあわせるなら、現在の医師の勤務条件の改善は、医師の過労死・過労自殺を未然に防止するためにも労働行政上の急務な課題です。現に、当弁護団が把握した限りでも(全体からすれば氷山の一角でしょう)、別紙にあるとおり、多くの医師の過労死・過労自殺の労災(公災)認定並びに損害賠償請求が認められており、近年その数は急増しています。

3 勤務医の「壊れた」勤務条件
 私は医師の過労死・過労自殺の事件を多く担当してきました。そのなかで感じたのは、勤務医の勤務条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要最低限度の基準(労基法第1条)である労基法の視点からすれば「壊れている」としか言いようのない、過酷なものであるということでした。勤務医の勤務条件、とりわけ長時間労働を改善するためには、医師の増員等の課題とともに、
  ① 医師の労働時間の適正な把握
  ② 労基法第36条に基づく時間外休日労働の延長に関する協定(以下、36協定といいます。)の適正な内容による届出
  ③ 賃金不払残業(サービス残業)
  ④ 宿日直勤務の許可(労基法第41条)の適正な運用
 の点で労基法を遵守した勤務条件に是正させることが急務です。

4 医師の勤務時間の適正な把握について
 厚労省の定めている「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」(平成13年4月6日付け基発第339号)によれば、労働時間の把握は、原則として使用者自らの現認やタイムカード・ICカード等の客観的な記録に基づきなすことを求めています。
 しかし、殆どの医療機関においては、これら原則的な労働時間の把握はもとより、自己申告による労働時間の把握さえなされていないのが実態です。勤務医の過労死・自殺の労災(公災)認定事件では、長時間勤務の立証を遺族側は求められますが、このことが大きな壁となることが少なくありません。
 医療機関の勤務医についての労働時間の把握方法が、この通達に基づき適正になされることは、長時間労働をなくすための前提です。

5 36協定の適正な内容による届出
 労基法第36条は、時間外勤務は労使がその限度時間を定めて協定(36協定といいます。)したときのみに許されるとしています。
 勤務医についての36協定についての医療機関の対応は、つぎの3つに分けられます。
  ⅰ 36協定を締結しない。
  ⅱ 他の労働者と同様、平成10年12月28日旧労働省告示第154号に基づく延長時間の限度(1ヵ月45時間、1年間360時間等)で届出る。
  ⅲ 36協定の特別条項により、1ヵ月150時間など常軌を逸した(それが実態とも言えるが)内容で届出る。
 36協定は、時間外・休日労働の延長に対する労基法上の歯止めとなる協定であり、その届出の履行並びに内容の適正化は、医師の勤務時間の是正にとっても重要性を有するものです。
 届出なしの時間外・休日労働には、労基法第119条1号により6ヵ月以下又は30万円以下の罰金の罰則があり、また36協定で定められた限度時間を超えて時間外・休日労働をさせたときも前記の罰則があります。
 ⅰのケースは勤務医が1時間でも残業すれば労基法違反であり、ⅱのケースでは1ヵ月45時間を超えて勤務させれば同じく違反となります。違反することのないよう定めれば、先に述べた過労死ラインを大きく上まわるⅲのケースの36協定とならざるを得ず、現実にある大病院では1ヵ月150時間、1年1170時間との協定が締結されています。

6 賃金不払残業(サービス残業)の是正
 多くの医療機関では、勤務医が所定労働時間を超えて勤務しても、これに対する残業手当が支給されていないのが実態です。厚労省の賃金センサス(実際に支払われた額による賃金額の統計)によれば、勤務医の月平均時間外勤務は僅か10時間となっています。
 医療機関にとってコストのかからない労働時間であることが、勤務医の長時間労働を生じている大きな要因となっています。

7 宿日直勤務の許可の適正な運用について
 労基法第41条に基づき、宿日直勤務について、監視又は断続的労働として許可を受けたときは、労基法上の労働時間、休憩、休日に関する規定は適用が除外されます。
 厚労省は一般的許可基準として、勤務の態様として「ほとんど労働する必要のない勤務」であり、宿直については「週1回、日直については月1回を限度」等の基準を定めています。
 医師についての具体的許可基準としては、「夜間に従事する業務は、一般の宿直業務以外に、病院の定時巡回、異常事態の報告、少数の要注意患者の定時検脈、検温等、特殊の措置を必要としない軽度の又は短時間の業務に限ること(応急患者の診療又は入院、患者の死亡、出産等があり、昼間と同態様の労働に従事することが常態であるようなものは許可しない)」等の要件を定めています。
 しかし、宿日直勤務につき許可を受けている医療機関にあっても、「応急患者の診察又は入院」等に追われ仮眠も十分とれていないのがその実態です。
 この点につき厚労省は、平成14年3月19日付け基発第0319007号「医療機関における休日及び夜間勤務の適正化について」に基づき、全国の医療機関に自主点検による調査を行い、その後改善報告書の提出や監督指導をしています。
 しかし、未だ宿日直の許可基準を満たさないままに許可がなされている医療機関が多数あります。
 また、最高裁第1小法廷平成14年2月28日判決大星ビル管理事件は、警備員の仮眠時間について労基法上の労働時間に該当するかどうかが争われた事案です。
 同最高裁判決は、仮眠時間中、仮眠室における待機と警報や電話等に対して直ちに相当の対応をすることを義務付けられ、実作業への従事がその必要が生じた場合に限られるとしても、その必要の発生が皆無に等しいなど実質的に義務付けられていないと認められる事情もないから、労働からの解放が保障されているといえず、したがって、本件仮眠時間は、労基法上の労働時間にあたるとしています。この判決に照らせば、宿日直時の医師の勤務は、仮眠時間も含めて労基法上の労働時間に該当することは明らかであり、厚労省の宿日直についての前記許可基準そのものの見直しを迫る判決です。

8 勤務医の過労死をなくし勤務条件を改善するために
 以上、労基法の視点から、勤務医の勤務条件をみてきました。現在の医療は、勤務医の「人たるに値する生活」を無視した過酷な勤務条件によって辛うじて支えられていると言えましょう。
 医師不足、低医療費政策の下で労基法を遵守しようとしたら医療が壊れる、医療を守ろうとしたら労基法が壊れ、過労死・過労自殺が生ずる。医療と勤務医の勤務条件の問題は二律背反を生じています。
 過労死弁護団は2007年11月14日、厚生労働省に労基法に基づく勤務医の勤務条件の改善を要望するとともに、多くの医師、医学生、過労死した医師の遺族の参加の下に、シンポジウム「なくそう!医師の過労死」を開催しました。勤務医の過労死の現実を見据えるなかで、その勤務条件を改善するとともに、良き医療をつくるための論議が本格的にはじまることを期待します。

(民主法律272号・2008年2月)

2008/02/01