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有名中学進学塾専任講師過労死事件─日能研関西・酒井事件─ 弁護士 下川和男(民主法律249号・2002年2月)

弁護士 下川和男

1 はじめに
  私は、司法試験の受験勉強中の8年間に全国展開をしている進学塾の非常勤講師として8年間働いた経験がある。教室(いわゆる進学塾の支店)を管理する男性従業員(社員)は、だいたい1年から2年で転勤していたが、私の勤務していた教室の男性社員はそのほとんどが体調を崩し、入院もしくは通院をしていた。そこでは、子どもへの授業の外、非常勤講師の管理、生徒募集及びその管理など様々な業務をこなさなければならず、午前10時に出社しても、帰宅は午前0時を回っていることがほとんどであった。質的にも量的にも過重な労働をしているという実感をもっていた。
  そうした中で、(株)日能研関西に専任講師(社員)として勤務していた酒井博之さんが過労死した事件を受任することになったのは、不思議な縁である。

2 事案概要
 ① 当事者
  労災申請の請求人は、死亡した酒井博之さん(以下、「被災者」という。)の母酒井三四さん。被災者は、昭和36年1月24日、静岡県掛川市で生まれた。掛川西高、京都大学農学部を経て、京都にある進学塾に勤め、平成8年5月から、(株)日能研関西で勤務するようになった。しかしながら被災者は、平成12年1月23日、自宅で「くも膜下出血」のため倒れ、病院に搬送されたが、意識を回復することなく1月29日亡くなった。享年39歳であった。
  ところで、(株)日能研関西は、神戸市に本社を置き近畿から中国地方をエリアとする進学塾で、灘中学をはじめとする有名私立中学のための進学塾で小学生を対象とする進学塾では、関西エリアでは、「三番手」といわれる大手進学塾である。お正月に時々「小学生の受験合宿」風景が放映されることがあるが、それは系列の「日能研」の受験合宿であることが多い。因みに日能研関西の代表取締役は、ある地域の「長者番付」第1位であった。

 ② 被災者の業務内容
  被災者は、平成8年5月から、(株)日能研関西で稼働している。すでに10年以上別の進学塾での経験があったことから、被災者は、(株)日能研関西の「算数チーム」に配属され、兵庫県内の教室の算数の授業を担当するほか、大阪の拠点校である上本町教室において灘・特進コースの算数の授業を担当していた。上本町教室におけるトップレベルのクラスであり、生徒数獲得に大きな影響のある実績を出すクラスであり、中でも算数担当者はその中心となり生徒を指導していき、生徒及び父母からの信頼を寄せられる立場にある。授業及びそのための準備だけでなく、生徒・父母からの質問・相談に対応していかなければならない。そうした日々の授業及びそれに向けた準備だけでなく、算数チームとして、算数入試問題の分析、(株)日能研関西が算数の授業で使用するプリント・テスト類の作成業務、新たな生徒獲得のための父母説明会のスピーカー((株)日能研関西では説明会で中心となって父母に説明をする人をこう呼ぶ。)等の業務を行っていた。スピーカーとなるためには、入試問題分析(当然算数だけでなく入試全教科)のみならず、入学試験情報、有名私立中学校の情報、受験生のエピソード等盛りだくさんの情報をわかりやすく説明することが求められ、そのための準備にはかなりの時間が必要となる。スピーカーとなるには経験が必要である。被災者は、入社後まもなく「算数チーム」のリーダーとなっている。
  被災者は、異例の早さで算数チームのリーダーとなった。平成8年から始まった「灘特進コース」の開設により、(株)日能研関西全体の業務量が拡大していく時期でもあった。平成9年には、小学校4年生・5年生対象の教材・テストの作成、平成10年以降は4年生・5年生・6年生の3年分の教材・テストの作成となり業務量は大幅に増大していた。1年間に作成するテスト類は100を越え、その中心に被災者がいた。教材・テストを作成するにあたっては、実際に入学試験に出題された問題を分析した上で、算数チームでの「検討会」がなされる。被災者は算数チームのリーダーとして「検討会」を中心となって進めていき、他の算数チーム所属員が作成した教材・テストのチェックだけでなく、自らも教材・テストの作成をしていた。春休み・夏休み・冬休みに行われる講習会期間中は、早朝から夜までの授業とその準備に追われることから算数チームの業務も実質上停止する。したがって、教材・テストの作成は、講習会時期をはずした前倒しの圧縮する形で行われ、1週間に2~3本のテストを作成するというペースになっていた。
  被災者は、①算数チームのリーダー ②大阪地区の教務の代表 ③灘特進担当、それぞれに父母会・ミーティング・業務があり、一週間が休みなく進んでいく、正に、自転車操業のような状態であった。(株)日能研関西の1年のスケジュールは、週単位で立てられており、祝日などのランダムな休みといったものは考慮しないシステムで、むしろ逆に、日曜日・祝日は重要な営業日(休日は「入室テスト」)となっていた。そして、これらの業務は入試が近づくにつれて加速度的に密度を高めていき、休日を返上して働かなくては追いつかなくなっていく。(株)日能研関西代表取締役は、社員にむけ「9月以降は『戦時』だ」と叱咤激励するほどであった。
  被災者は、木・金が休日となっていたが、入試が近づくと休日を取ることはできず、明らかになっているだけでも平成11年12月1日から発症する平成12年1月23日まで1日も休みなく仕事をしていた(正月休みもなく)。さらに平成11年度は、入試日程が前年に比べ兵庫県・大阪府内の私立中学校で2週間ほど時期が早まったことでテスト作成の急増、教材の補充があり、また平成12年2月に広島県内に新教室を開設することになっていたためそのための業務(広島地方の私立中学校などの入試問題の分析、資料作りなど)の増加が追い討ちをかけることになった。

 ③ 被災者の業務実態
 (株)日能研では、以前に労働基準監督署が監督のため立入調査を受けたことがある。それまでは労働時間管理を「タイムカード」で行っていたが、監督署の調査以降、「タイムカード」が廃止され、「出勤簿」に押印をするという形式に変わり、労働時間を正確に把握していなかった。また、休日に出勤をしても「出勤簿」に押印しないようにという暗黙の指示があり、実際被災者も出勤をしているのにも関わらず、「休日(木曜日・金曜日)」ということで押印がなされていなかった。当職らの調査に対し、(株)日能研関西は、「出勤簿」に押印がないことをもって「出勤していない」と臆面もなく回答してきた。しかし、被災者の人柄もあって、たくさんの同僚たちが被災者の業務実態を明らかにするために協力し、資料を提供してくれ、事情聴取に応じてくれた。
  当職らの調査によって明らかになった被災者の平成11年12月1日から平成12年1月22日までの労働時間は次のとおりである。
一二月   出 勤    退 勤    労働時間
 一日(水) 一〇:三〇  二一:三〇  一一:〇〇
 二日(木) 一三:〇〇  一九:三〇   六:三〇
 三日(金) 一〇:〇〇  二一:〇〇  一一:〇〇
 四日(土) 一〇:三〇  二二:〇〇  一一:三〇
 五日(日) 一一:一五  二一:一五  一〇:〇〇
 六日(月) 一一:〇〇  二二:〇〇  一一:〇〇
 七日(火) 一三:〇〇  二二:〇〇   九:〇〇
 八日(水) 一三:〇〇  二二:〇〇   九:〇〇
 九日(木) 一三:〇〇  二二:〇〇   九:〇〇
一〇日(金) 一三:〇〇  一九:三〇   六:三〇
一一日(土)  八:〇〇  二一:三〇  一三:三〇
一二日(日)  八:三〇  二一:〇〇  一二:三〇
一三日(月) 一〇:〇〇  二二:三〇  一二:三〇
一四日(火) 一〇:〇〇  二二:三〇  一二:三〇
一五日(水) 一三:〇〇  二一:三〇   八:三〇
一六日(木) 一〇:〇〇  一九:三〇   九:三〇
一七日(金) 一〇:〇〇  二〇:〇〇  一〇:〇〇
一八日(土) 一〇:三〇  二一:三〇  一一:〇〇
一九日(日) 一一:一五  二一:三〇  一〇:一五
二〇日(月) 一〇:三〇  二二:〇〇  一二:三〇
二一日(火) 一一:〇〇  二二:三〇  一一:三〇
二二日(水) 一三:〇〇  二一:三〇   八:三〇
二三日(木)  九:一五  二一:三〇  一二:一五
二四日(金) 一三:〇〇  二一:三〇   八:三〇
二五日(土) 一一:〇〇  一九:三〇   八:三〇
二六日(日) 一二:〇〇  一九:三〇   七:三〇
二七日(月)  八:三〇  二一:〇〇  一二:三〇
二八日(火)  八:三〇  二一:〇〇  一二:三〇
二九日(水)  八:三〇  一六:三〇   八:〇〇
三〇日(木)  八:三〇  二一:〇〇  一二:三〇
三一日(金)  八:三〇  一七:三〇   九:〇〇
一月
 一日(土) 一二:〇〇  一七:四五   五:四五
 二日(日) 一二:〇〇  二一:〇〇   九:〇〇
 三日(月) 一二:〇〇  二一:〇〇   九:〇〇
 四日(火)  八:三〇  二二:〇〇  一三:三〇
 五日(水)  八:三〇  一九:三〇  一一:〇〇
 六日(木) 一〇:〇〇  二一:〇〇  一一:〇〇
 七日(金) 一〇:三〇  二一:〇〇  一一:三〇
 八日(土) 一一:三〇  二一:三〇  一〇:〇〇
 九日(日)  九:三〇  二一:三〇  一二:〇〇
一〇日(月)  八:〇〇  二二:〇〇  一四:〇〇
一一日(火) 一〇:〇〇  二二:〇〇  一二:〇〇
一二日(水)  七:〇〇  二一:三〇  一四:三〇
一三日(木)  九:三〇  二二:三〇  一三:〇〇
一四日(金) 一一:〇〇  一九:〇〇   八:〇〇
一五日(土)  七:一五  一八:〇〇  一〇:四五
一六日(日)  七:〇〇  一八:〇〇  一一:〇〇
一七日(月)  七:二〇  二二:〇〇  一四:四〇
一八日(火) 一一:〇〇  二二:〇〇  一一:〇〇
一九日(水) 一一:〇〇  二一:三〇  一〇:三〇
二〇日(木) 一一:〇〇  二一:三〇  一〇:三〇
二一日(金) 一〇:三〇  二〇:〇〇   九:三〇
二二日(土)  七:〇〇  二一:一五  一四:一五

  発症前一週間の労働時間は、81時間25分であり、(株)日能研関西の所定労働時間週40時間の2倍を超えている。明らかになっているだけでも被災者は、平成11年11月末から1日も休みなく働いていた。

3 申請、そして異例の速さの労災認定
  被災者が死亡した直後に、同僚から当職宛に問い合わせがあり、平成12年3月には、請求人から申請に向け、松丸正弁護士とともに受任した。申請前に会社への協力を要請すると、(株)日能研関西は、「協力はするが過労死とは考えていない」という見解を示した。そうしたことを同僚達に伝えると、同僚達は「酒井さんの死は過労死以外に考えられない」と申請に向けた準備に様々な協力をしてもらった。そうした中で被災者の労災認定を勝ちとる運動が生まれてきた。
  そして、準備を整え、平成12年10月26日、神戸東労働基準監督署に労災申請。当日は、請求人である被災者の母の外、被災者の妹、同僚達が集まり、またマスコミの関心も高く、当日のニュースでも取り上げられた。
  そして、平成13年3月21日、申請からわずか5ヶ月で「業務上災害」認定。当日は、労働基準監督署がマスコミへの「メモ」を作成する力の入れようであった。神戸東労働基準監督署は、被災者が、少なくとも平成12年1月からは1日の休日もなかったこと、所定労働時間を大きく上回る労働を被災者が行っていたことを認定し、被災者の死を「業務上災害」とした。

4 労働組合結成、会社を告訴、損害賠償訴訟
  被災者の労災認定を勝ちとる同僚達の運動は、日能研関西労働組合へと発展した。労災認定が認められても職場の労働実態が変わらないことが多い中で、同僚達は、「酒井さんの死を無駄にしない」を合い言葉に職場の労働条件の改善のために立ち上がり、会社との団体交渉を行っている。労働組合が結成されたことを請求人である被災者の母も大いに喜んでいる。また、「労災認定」に終わることなく、当職らは直ちに「残業代」未払であることが労働基準法違反であるとして(株)日能研関西及び代表取締役を神戸東労働基準監督署に刑事告訴し、(株)日能研関西に対して、安全配慮義務違反として損害賠償請求訴訟を神戸地方裁判所に提訴した。

5 さいごに
  少子化に加え、公立中学校への不安感から私学志向の高まりの中で、塾業界の競争は激化している。中には「大手」といわれる進学塾の倒産という話もある。学生アルバイトを中心とする多数の非常勤講師を少数の専任講師が監督するという進学塾の経営スタイルに加え、専任講師への業務負担を加速度的に増大させる中で、利益を上げていかないことには、塾業界の売上の維持はできない。ますます過重労働が増えていく。(株)日能研関西過労死事件を取り組む中で、他の進学塾の労働実態、教育産業の過重な労働実態が見えてきた。
                          (民主法律249号)

2002/02/01