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長距離トラック運転手労災認定事例─堺労基署・Hさん労災事件─ 弁護士 西 晃(民主法律228号・1996年8月)

弁護士 西  晃

1 事案の概要
(1) HさんはS社(本社大阪府茨木市、自動車運送業)堺営業所にトラック運転手として勤務し、長距離輸送を担当していた。平成6年2月6日、福岡に向かって走行中、午後6時頃岡山あたりで胸痛を感じた。Hさんはその後何とか途中何度も休みながら目的地の福岡まで行き、荷模作業の後、又途中休みを入れなから8日午前大阪まで帰ってきた。帰阪後、直ちに病院で診察を受けたが、「急性心筋梗塞」と診断され、直ちに翌3月13日まで入院することとなった(その後Hさんは通院加療を行い、現在心臓に後遺障害は残ったものの、軽度の事務作業程度の仕事であれば可能なところまで回復した)。
(2) Hさんの発症はその後の調査で職場での業務の過重性が原因となっていることが明らかとなった。すなわちHさんの業務量での主な特徴となる点は、
① Hさんの平成4年1年間の走行距離は15万3592キロメートル、平成5年1年間の走行距離は15万1847キロメートルにも達しており、これはHさんが勤務する堺営業所の同僚と比較すると、実に1年で4~5万キロも長くなっている。
② Hさんの発症前3か月の労働実態は10日以上の連続勤務が4回、1日の運転時間が20時間以上の日が9日、15時間以上(20時間未満)の日が37日間もあった。
③ Hさんの発症前一週間の労働時間は約112.5時間となっており、実に所定労働時間の2.08倍になっており、しかもこの間には1日の暦日はもとより連続した24時間の休みすら取れていなかった。
等々である。

2 労災申請と労基署の対応の変化
 平成6年6月8日、Hさんは堺労働基準監督署に労災申請を行った。本件労災事件において、事実関係を明らかにする上で最大のポイントは、Hさん本人が救命されており、しかも本人がきわめて詳細な運行記録をノートに記載していたのである。毎日どこの場所から途中どのような経過でどこの場所までトラックを走らせたのか、出発時刻と到着時刻を正確にメモしたノートである。これをもとに私達は発症前3ケ月間の毎日の走行距離、走行経路、実労働時間、休憩時間をほほ正確に再現することかできた。そして、それか会社の提出したタコメーターの記載とも一致することで、私達の作成した資料の正確性も高められた。
 労基署もHさん本人を2度にわたって本人聴取し、相当長文の聴取書を作成する等、それなりの調査はしたようであるが、昨年(平成7年)8月頃までは今一つ消極的な様子であった。「ここまで明確に労働実態が示されており、かつどうみても業務の過重性は明らかなのにとうしてそんなに消極的なのか!」それまでの過労死や過労に基づく疾病に対する労基署のガードの固さは十分に知っているつもりでいたが、「またか!」との思いで残念だった。

 さらに9月すぎには担当者から口頭ではあったが、はっきりと「困難だと思います」と言われてしまい、私達弁護団としては業務外になった場合の取消訴訟の準備に着手しようとしていた。
 ところが、その後大阪を中心とした全国的な過労死の労災認定の広がりの影響を受けて、本件事案も一旦担当者のレベルで業務外になった結論を見直すということになり、労働省に上げて意見を伺うということになった(このあたりの事情はもちろん正確には判らないが、担当者の言動や認定後弁護団で認定理由を聞きにいった時の話を総合するとこのようになる)。
 そして、年が明けて本年(平成8年)1月31日、正式に業務上という判断が下され、Hさんの発症は過重な業務によるものとされたのである。
 尚、本件事案において脳・心臓疾患認定基準との関係では、業務の過重性を判断する際、当該労働者の現実の業務と比較の対象となる「日常業務」のとらえ方について多少興味深い点か確認できた。
 すなわち、被災者の「日常業務」とは当該労働者の通常の就労時間及び業務内容であり、就業規則上の所定労働時間及び所定業務内容であること、そして就業規則上、不規則勤務が組み入れられておればそれが「日常業務」になるということは、従来から確認されてきたことである。
 本件でのHさんは長距離トラック運転ということで夜間走行や連日の走行が日常的であったが、就業規則上には何ら不規則勤務に関する規定はなく、ただ1日の所定就業時間が9時間であり、所定実労働時間が8時間であること、そして休日は1週間に1日もしくは4週通して4日の割合で与えられていると決められていたにすぎなかった。その意味では会社の就業規則にはHさんの労働実態との関係ではあきらかな不備があった。実は堺労基署が本省に意見を聞いたのは、このような場合であっても被災者の「日常業務」とは右内容の就業規則所定のそれと考えてよいのかどうかというものであったのであるが、後に私達弁護団か堺の担当者から聞いた話によれば、本省としても「それでよい」との回答てあったとの事である。

3 対企業交渉の現状
 Hさんは発症した年の10月末S社を退職しており、現在は別の会社に勤務している。心臓の後遺障害であるが、すでに症状固定にあるとして現在堺労基署により等級の認定を受けているところである。対企業との健康(安全)配慮義務違反を根拠とする損害賠償の交渉であるが、以前労災申請中に民事調停を提起したが、労基署の判断がでていないという事もあり、交渉がまとまらず不調になった経過がある。今後はHさんの後遺障害の程度に関する労基署の判断もふまえて、企業側代理人弁護士と交渉を続けていく予定である。(尚、弁護団は脇山、下川、西の三人である)
(民主法律228号、1996年8月)

1996/08/01